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妊婦が「燕は戻ってこない」を見て思うこと

NHKにて火曜夜10時〜放送されているドラマ「燕は戻ってこない」。
全10話で8話まで放送が終了している。(更新が遅れたので現在は9話まで放送済み)
桐野夏生の同名小説が原作となっているこちらの作品。
物語のあらすじはこうだ。

派遣社員として暮らすリキ(石橋静河)は悩んでいる。職場の同僚、テル(伊藤万理華)から「卵子提供」をして金を稼ごうと誘われたのだ。アメリカの生殖医療エージェント「プランテ」日本支社で面談を受けるリキ。そこで持ち掛けられたのは「卵子提供」ではなく「代理出産」だった。元バレエダンサーの草桶基(稲垣吾郎)とその妻、悠子(内田有紀)が、高額の謝礼と引き換えに二人の子を産んでくれる「代理母」を探していた―。

「代理出産」という言葉は以前から知っていたが、それが日本では法律的に認められていないこととは知らなかった。
というより、初めてその言葉を耳にして以降特に気にしたこともなかった。

代理出産について少し調べてみたところ、日本では2001年に長野県のクリニックで代理出産の実施を公表されているが、2007年には代理母出産により生まれた子供を実子とする届出を認めないという判決が最高裁によって下されている。

理由として、「第三者の女性に対し、精神的・肉体的な負担を引き受けさせるという点、家族構成を複雑にするという点、代理懐胎契約は論理的に社会全体が許容しているとは認められないという点(母体の商品化、児童売買といえる事態が生じかねない)があげられているようだ。(https://dairibo.com/surrogacy/引用)

このドラマでも、結局そうした代理出産が公に認められない理由としてあげられていることが問題になっている。
こどもを熱望しながらも不育症などの理由でどうしても妻がこどもを産めない。ただ、優秀なバレエダンサーである夫の遺伝子をどうにかしてこの世に残したい。そんな裕福な夫婦が、お金に困った若い女性の卵子と子宮を借りてこどもをもうけようとするわけだ。
若い女性にとってメリットは「お金」だけ。それ以外には何もないどころか、リスクの方が大きい。

実際自分が妊娠するまでは、自分の子宮で胎児を育てるということがこんなにも大変なことだと知るよしもなかった。

妊娠したら10ヶ月間、四六時中ハッピーなんだと思っていたが、
実際は検査薬で陽性が出た翌日には未来のことを考えて不安に陥っていたし、数日後にはつわり地獄に陥って最悪なメンタルだった。中期に入ってつわりが落ち着き、妊娠している状態に心身が慣れてきたことである程度落ち着いていられるようにはなったが、後期には子の成長状態が気になったり、出産の恐怖に怯えたりとまたしても落ち着かない日々だ。妊娠生活は簡単に送れるものじゃない。
愛する夫と自分が望んだことだからと納得させながら、少しずつ苦しみを受け入れ、そしてたまに感じるワクワクで不安をカバーしながら乗り越えていくものだと私は感じている。

だから、このドラマでリキがお金のために安易に代理出産を引き受けたことについて、心の底から愚かだと思わざるをえない。
ただ、このドラマのテーマはそういった「行為」が愚かだねとか、素晴らしい社会貢献だねとかいうことを考えさせるものではなく、「いのちは誰のもの」かを考えさせるものになっている。

物語の中盤、リキは依頼者の草桶基からの心無いメールに腹をたてた勢いで複数の男と避妊をせずに関係を持つ。

その6日後に基の精子と人工授精を行うというにもかかわらず・・・
結果、リキは双子を妊娠するが「父親がわからない」という状況に陥ってしまうのだ。
一人で抱えられないリキは基の妻である悠子にだけ相談を持ちかける。長年不妊に苦しんできた悠子はせっかく宿った命を奪うことに強い抵抗を示し、基には黙っておくから絶対に産んでほしいとリキに懇願する。

しかし、しばらくはリキとの秘密を守れていたものの、次第に秘密を抱えられなくなった悠子は基に事実を打ちあけてしまう。
そこからはカオスだ・・。当然自分の遺伝子を残すために子を作ろうとしていた基にとって、自分ではないどこかの誰かの子供を育てるなど想定外だし、望んでいない。
おろすようにと強く求める。

3人の思いがもつれながら、堕胎が許されるリミットまで刻一刻と時が流れる・・・という日々の中、ある日リキからもらったエコー動画を見たことをきっかけに基の中で何かが変わるのだった。
というところで8話は終わった。

果たして「このいのちは誰のものだろう」

自分の才能を引き継ぐために子供をつくる
子供を産み育てる経験をしたいということに執着して子供をつくる
お金のために子供をつくる・・・。

結局みんな「自分のために子供がほしい」のだと感じさせられた。
でもそんな大人たちのエゴによって生み出された命をまた、「自分の遺伝子じゃないからいらない」「お金がもらえないならいらない」と簡単に殺してしまうことは果たして許されるのか。

そもそもこどもは誰のために生まれてくるのだろうか。
自らの子宮に宿る命が、我が子が、小さく動く胎動を感じながら、そんなことを深く考えさせられた。

答えは出ていない。
私も結局「自分と旦那のために子供をつくった」一人だと思う。
どんな命でもどんな子でも大切に育てられるか、ときどき自信がなくなる。
健康で生まれてきてほしいということすら自分達のエゴのような気すらするのだ。

それはまだ妊娠中で、我が子といえど実体が見えないから・・・なのか、やはり自分の覚悟や責任感が不足しているからなのかわからない。

一人の命をこれだけの期間子宮に宿して、はじめて真剣にそういったことが考えられるようになったと思うし、このドラマを「いのちは誰のものか」という視点で見れたのもそのおかげだと思っている。きっと妊娠未経験だったら全然違う感想を持ったと思う。

いい時にいいドラマを見たと感じる。
あと2話。3人がどのような答えに辿り着くのか結末が気になる。

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