幸福の科学の創立者で総裁の大川隆法氏66歳が3月1日東京の自宅で倒れ、2日死亡が確認された

新興宗教の教祖が、66歳の若さで急逝しただけでも驚くニュースだが、同氏は2004年には心不全で一命を取りとめており、内部分裂の心労がたたったのではないかと憶測を呼んでいる。

・大川氏の死因は明らかになっていないが、教団の後継者争いに発展するのは必至とみられている。

・大川氏は、女性問題でいつも苦労していた。2010年から協議離婚中であった大川きよう子と2012年に離婚、前妻との間には、5人の子供がいる。

・大川氏は、離婚後まもなく、教団職員の近藤紫央と再婚した。現在の正妻が、近藤紫央で大川紫央である。大川紫央の大学卒業後の経歴はこちらです。

  • 2008年:早稲田大学法学部卒業、日本銀行に勤務

  • 2009年:幸福の科学に入局、過去世龍馬を発表

  • 2010年:宗務本部第二秘書局長就任、その後第一秘書局長、専務理事を歴任し、総裁補佐就任

  • 2012年:大川隆法総裁と結婚

・後継者争いは、正妻、大川紫央と、宗教法人幸福の科学を母体として2009年5月に結成した「幸福実現党」の党首、釈量子のどちらかが、教団を率いるのではないかとみられているという。

・大川隆法は、2012年に離婚し再婚したのであるが、再婚してほどなく、参議院選挙に出馬させた幸福実現党の党首・釈量子との関係が親密なものとなり、正妻と釈量子の間は、常に喧噪状態で、その争いが教団を二分する内部分裂にまで発展していたらしい。

・大川自身は、本妻を捨てて釈量子をとっていたといわれている。既に事実婚の状態だったともいわれている。報道によると大川氏は、2月28日の未明、東京・港区の自宅で倒れているのが見つかり、病院に搬送され、2日に亡くなったということだが、自宅で発見したのは誰だったのかが気になるところだ。

・大川は、宗教法人幸福の科学を母体として2009年5月23日に結成した幸福実現党の創立者兼総裁であった。釈量子は、2013年7月24日から現在まで、幸福実現党の党首である。全国政党を標榜して、全国47都道府県全てに支部や拠点を配置し、2019年まで8度の国政選挙と全国各地の地方選挙に公認候補者を擁立しているが、選挙で国会議員を輩出するには至っていない。

・大川隆法は、もともとは生長の家の信者だった。1981年に東大法学部を卒業し、総合商社のトーメンに入社する。大学を卒業して商社マンとして勤め、1982年8月に米国法人のニューヨーク本社に研修生として派遣され、その間にベルリッツ語学学校ニューヨーク校を卒業し、ニューヨーク市立大学大学院センターで国際金融論を学んでいる。しかもこの間、大川は株式投
資で300億円儲け、帰国後には、「谷口先生みたいに総裁になりたい」と言って、その儲けた300億円を元手に、「幸福の科学」を創設し、自ら総裁になったのだった。谷口先生とは、生長の家の創始者・初代総の谷口雅春のことである。



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