見出し画像

孤独力の修行メニュー

ひとりひとり「孤独行(こどくぎょう)」の方法は違って良い。
と言うわけで私なりに考えてみた。

こちらの本を読んだ。
原始仏教や哲学をベースにしており、まさに修行!というストイックな本で私は好み。

以前も書いた通り、孤独については人によって解釈がかなり違うため、先に著者の定義を書くと、以下である。
・「孤独」そのものは寂しさ等のマイナスを除いた「1人でいること」(私とわりと近い)
・「孤独力=やさしさ+注意力+集中力」

ここで言う、注意力は「選択的に何かに注意を向けること」、集中力は「その選択した何かへの集中を継続すること」である。
自分で選んだ物事に対して純度の高い「明瞭な意識」を向けることが大事。
何かに心がさざめいても執着せずすぐに凪に戻すこと。
そして、1人でいるものの、周りへの優しさは忘れないこと。

この本を読んで初めて知ったこととしては、よく知られている「呼吸に意識を向ける」タイプの瞑想・あるいはマインドフルネスは、本当の意味での瞑想の一部だけ切り取ったものらしい。
本来の瞑想は「常に日常からどの動作についてもしっかりと明瞭にそれだけに意識を向ける&その動作をしっかり丁寧に行う」ことである。修行ですね。
まずは掃除、炊事などの全行程を意識したりすると良いらしい。

しかし、それはあまりにもハードルが高いということで、こちらの本の中でもまずは「小さな代替手段」を持つことを推奨されていた。
小は大を兼ねることは無いということを忘れずに少しずつ鍛えていこうというものである。

この本自体は「スマホ断食」「断捨離」「瞑想(と代替手段)」「優しさを養う」「運動」などいろいろなことが書かれているが、今回書きたいのは自分なりの「瞑想」やその代替手段についてである。
原始仏教もいくつか引用されていたが面白そうだなと思った。「犀の角のように」でお馴染みの(孤独本でよく引用される)『スッタニパータ(犀の経典)』をまず読んでみたい。

(このブロックは読み呼ばし推奨。
こういう本はスマホを毛嫌いしていることが多いなーと思うが、普通に使い方が悪いだけで、通知が本当に必要な警報とかしか来ない上に、読書も創造的な活動も全てスマホで対応している自分には当てはまらない。そういう取捨選択は必要ですね。あと動物のこと大して知らないのに(間違った知識で)、人間上げするために動物下げしないで欲しいよな、これも本当によくあるけど。それ以外は良い本)

無駄に心の声を漏らしてしまったが、気を取り直して「瞑想の代替手段」の話である。
代替となるのは「自分だけで動かすことが出来ること」と言うのが条件。
この本の中では「勉強(1人で机に向かって深く学ぶ)」「読書(速読と遅読はバランスを取る)」「ゆっくり書く(動作に意識を向ける)」が上げられていた。
逆に「動画」「音声」等、相手に主導権があるコンテンツはたとえ勉強や読書と同じ情報でも適さない。これは私も感覚として分かる。
「受動的で楽だ」と言われがちだが、自主性や自由を求める自分にはこれらのコンテンツは逆に疲れるというのもある。耳だけが暇なときに割り切って音声コンテンツは聴くが、それ以外はやはり文章が良い。
別の章(運動)で書かれていたが、歩く瞑想なんかもここに入れても良いのかも知れない。

私の場合は、以下から始めていきたいと思う。
日常、または今既に行なっていることの延長でハードル低く。効果が見られたら続編noteも書くかも知れない。

・部分的な瞑想としては、歯磨き、ドライヤーなど他のことと一緒にしづらいもので行う。徐々に他の日常動作に広げる。
(有名な呼吸瞑想は何度か挫折しているので、動作に集中する物の方がハードルが低く感じる。)
・ついつい通勤の歩いている時間に、音声を聞いてしまうのだが、ここは「歩く瞑想」とする。
・時々している紙に書くジャーナリングは「ゆっくり書く」ことを意識。
・読書は既に毎日1冊くらいは読んでいるが、これをメリハリを持って速読、遅読をしてみる。意識しないと速読になるので、上記の『スッタニパータ』みたいなゆっくり噛みしめた方が良い本を間に挟むようにする。
・勉強もテーマを決めて既にやっているので継続する。このまま続けて研究者レベルになるぞ!

私の最初の「孤独行」修行メニュー


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?