見出し画像

彼女は頭が悪いから

思い出は常に美化されていく、というのは嘘っぱちで、私は今も学生時代に抱えた、あのとき作ったたくさんの傷を、当時のまま鮮明に抱えたまま生きている。それでも時を経るにつれてそれらを思い出す機会が減ってきていることも、感情に折り合いをつけられるようになってきていることも、事実。

そんな過去を痛いほどえぐり出してきたのが、この本だった。

実際に起こった東大生による集団わいせつ事件を題材にしているということで話題になっているのは知っていたが、ずっと手に取らないままだった。ある日書店に行ってぶらぶらしていたらたまたま見つけて、買ってみて、読んだだけのことだ。(所属する会社の福利厚生の一環で毎年2万円分、ジムや語学研鑽や子育て介護などの「いいこと」をするのに補助が出て、その補助金を使い切るため、私は本屋を訪れていた。)

結果、そのせいで、夜中2時になっても眠れず(私はいつも0時頃には寝るようにしている)、過去の傷をツイッターに連投することになるなんて、本を手に取ったときには考えてもいなかった。


話は加害者、被害者が大学生になる前から、その人格を形成する段階から踏み込んで描かれている。

東大に入って、世間から賞賛される職業(=弁護士、医者、高給取り)につくことが全てと教えられ、自身もそう思い込むようになっていった加害者たち。

地元の半径数キロの範囲内で生きて、そんな”キラキラした”人たちと自分は違うことを疑問にも思わず、ただ目の前の日々を友人や家族と朗らかに過ごす被害者。


ページをめくるたび、加害者の中にも、被害者の中にも、自分が見えて、非常に辛かった。

学歴偏重主義、恋愛市場において自分だけが選ばれないことへの静かな焦り、自分の常識が世界の常識のような錯覚、驕り、世の中について無知ゆえの諦め。

地域で一番の高校に行くことを当たり前のこととして考えていた小学校時代、はないちもんめで最後まで選ばれなかった日のことも、同じマンションの子とソリが合わず一人だけ登下校のグループから外れた日のことも、全部覚えている。中学校にあがったら気づけば周りは彼氏彼女を作っていて、一方で自分はどのタイミングでメールアドレスを交換するのかすら知らなかった。腰パンをしないといじめられることも、彼女がいつの間にか私のことだけ無視するようになったことも、全てあとから知ったことだった。「勉強ができる」というただ一点で人権を獲得していた私は、勉強のできない、地元の世界しか知らない、将来高給取りにはなりえない彼らを心の中でバカにすることでしか、息ができなかった。

だから私は良い学校に進んで、それなりに名の知れた会社に就職した。地元の同級生たちと全く違う世界をみているという自負はある。


罪と無罪の間はひどく曖昧で、私と加害者/被害者の間には弱々しく0.5mmのペンで引かれた線が引かれているだけだ。

東大に入るほど要領よく勉強できなかったし、女だったから、加害者にならずに済んだまでで、私は彼らと同じ世界を生きている。同時に被害者とも同じ世界を生きていて、たとえば周りが男女交際を始めているにもかかわらず、その順序も知らなかった私はずっと社会から取り残された気分になっていた。ただ私の目の前にはインターネットの無限に広がる世界があって、アメリカの日常もキューバの日常もすぐ隣にあったから被害者にならずに済んだだけのことだ。


被害者の示談条件は実際の事件のものと同じらしいが、なるほどなと思った。人間の心は弱いもので、自分を定義するために、自分ではない何か、世間的に価値があると認められたものにひどく依存してしまう。学校名、職業名、彼氏彼女、子供、趣味、国家、宗教、エトセトラ。

私が加害者だったら、この示談を受け入れられただろうか。私が被害者だったら、どんな示談条件を出しただろうか。読み終えた今も、過去の傷をえぐられながら、考え続けている。


写真はキューバの人(ピンボケ)、動画は一番好きなMAD、Creepy Nuts本人も認めたという。