13、その少年のおさがり

その少年は小学3年生になった。

クラスも変わり、今まで交友のなかった人たちと遊ぶようになっていった。

体も少し大きくなり、1年生の時に買い揃えてもらった様々な物が体に合わなくなってきていた。

体操服や水着、普段に着るズボンやダウンジャケット。
いろんな物に兄と姉のお下がりが増えてきていた。


3歳年上の兄は、6年生になりさらに体が大きくなっていた。
そんな兄は様々な物が新調されていた。

もうひとつ上の姉は、何事においても新品だった。
きょうだい2番手の兄も、男としては1番手なので新品が多かった。

さらに言えば、兄と姉は年子なので姉から兄へのお下がりは少ない。
兄が何か授業などで新しい物が必要な時は、まだ姉にも必要な時期でお下がりは不可能だった。

その点、3歳年下のその少年は、ズボンなどは兄のお下がりで、水泳キャップなどの男女関係ないものは姉のお下がり、という合わせ技のお下がりコンボを食らっていた。


末っ子であることが憎く思う時だった。
…アイスを選ぶ時に末っ子の優越感に浸っているバチか、とも思った。



その日は水泳の授業だった。

スイミングスクールに通っていたその少年は、泳ぐことに自信があった。

意気揚々と水着に着替え、クラスの中で一番早く着替え終わっていた。
3年生になって遊び始めたボンと呼ばれる友達が着替え終わるのを待っていた。

ボンの名前は日高なのだが、学年で一番頭が良くて家もお金持ちで、清潔感が漂う彼はまさに「ぼんぼん」だというところから、
「ひだかボン」→「ひがボン」→「ボン」という経緯で「ボン」と呼ばれていた。

ボンは無口で、その少年がやりたいと言った遊びには全て黙って付き合ってくれる物静かな優しい子だった。

ボンも着替え終わり、一緒にプールまで移動している時だった。
その少年はスイミングキャップを教室に忘れたことに気が付いた。

その少年は優しいボンに甘えた声で、「ボン、帽子忘れた。取ってきてくれない?」と、甘えでも何でもない、横着をボンにかました。

ボンは黙って頷き、教室まで戻ってくれた。
「俺の机の上にあるからー!」と、自分はその場から動かずに声をかけた。
ボンがボンでなかったら「自分でいけ」と頭をはたかれただろう。


ボンが白い、いや少しくすんだスイミングキャップを手に戻ってきた。

「ありがとう」と、その少年はスイミングキャップを受け取ると、


ボンが言った。


「なんで違う名前書いてるん?」


その少年は「え?」と声を漏らし、くすんだスイミングキャップの内側にあるタグに書かれた名前を見た。


そこには、その少年の苗字と違う苗字が書かれていた。

ボンが違う人のスイミングキャップを持ってきたのかなと思ったが、違った。
知らない苗字の横に書かれた下の名前が姉の名前だった。


それはたぶん、その少年が産まれる前に「お父さん」と呼ばれていた人の苗字だった。

ボンはそんなことを知るはずもなく、ただただ、その少年が先生から呼ばれる苗字と違う苗字を不思議がっていた。
姉のお下がりだということは理解しているようだったが、苗字が違うということが頭のいいボンでも理解できなかったみたいだった。

その少年は「あー、俺が産まれた時に苗字が変わったからだ」と、間違ってはいないが説明としては不十分で、遠回りな言い方をした。

するとボンは理解したのか理解していないのか、理解できない表情で
「なるほどね…」とだけ言った。


その少年は、次に言葉を発するのは自分のターンであることは分かったが、何を言えばいいのか分からないでいた。

すると、ボンが教室に走って戻っていった。

その少年は「あれ、友達やめるのかな」なんて過剰な想像を一瞬しそうになったが、すぐにやめた。


ボンが戻ってきた。

手にはマジックが握られていた。


「書き直したら?」

そう言って、ボンはマジックをその少年に渡した。


その少年は「ありがとう」を言うのを忘れて苗字を消した。
自分は呼ばれたことのない、姉の名前の横にひっつく苗字を、消した。


消し終わり、ボンにマジックを返し「ありがとう」を言おうとすると、
ボンはそれを制するように、「早く行こう、遅れちゃう」と言い、プールに向かって走った。

その少年はボンに付いて走った。
走りながら「ボン、今日はよく喋るな」と考えていた。


水泳の授業には間に合った。
しかし、マジックを手に持ったボンは先生に
「何でマジックなんて持ってきたの?」と怒られた。


しかし、ボンは何も言わなかった。

いつもの無口なボンに戻っていた。


先生にいくら聞かれてもずっと黙ってくれていた。


その少年は「ごめん」と「ありがとう」どっちを言えばいいかなと、考えながら
その他の人の中に埋もれて気配を消していた…。


つづく…。

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