30、その少年は殿

父と地道くんの家に向かう道中。
(地道くんの家に向かっている理由:前回の記事【29,その少年と犬】参照)
https://note.com/watashiomu/n/n13ca1f19e2a5


その少年は父と天気の話をした。

それほど何の話をすればいつも通りの自分なのかを見失っていた。
とにかくあの仔犬を飼うには父の許可を得ないといけないその少年は穏やかでなかった。

地道くんの家にはすぐに着いた。
それほど地道くんとその少年の家は近かった。
天気の話が終わったらどうしようかとハラハラしていたその少年にはその距離が助かった。


突然の父との訪問に地道くんはまた細い目を見開いて驚いた。

そして「仔犬を見せて」といつもと違う声のトーンで話すその少年を受け入れた。
冷静に冷静に、と心の中で唱え続けて冷静でも興奮でもない名称不明の状態のその少年だった。


豆柴の仔犬は、前回より少し大きくなっており、それに比例するように可愛さも増してそこに、いた。

その少年は父に抱かせて心を掴んでから飼うという作戦を忘れて自分が一番に飛びつき、抱き上げ愛撫した。

母親の犬がこちらを警戒して「ウーウー」と唸っていた。
そして父がその母親の犬を撫でようと手をかざすと更に唸った。

これはマズいと作戦を思い出したその少年は父に仔犬を抱かせた。


父は豆柴の仔犬を抱きこんだ。
その少年は「さぁ頑張れ犬。可愛さアピールを存分にしろ」と心の中で思った。
しかしそれを思う必要はなかった。

仔犬を抱く父は今まで見たことのない顔をしていた。



父は犬が大好きだった。



父が好きと言ったわけではなかったが、その表情が全てを物語っていた。

その少年は作戦成功を思う前に、父のその姿に驚き、そしてなんだか笑けてきた。


そして父が頑なに犬を飼うことを拒否してきた理由が更にわからなくなった。
父は犬が大好きだった。
それはおそらくその少年と同じぐらい。いや、それ以上かもしれなかった。
そんなに好きなのに何故飼わない、とその少年は不思議だった。


地道くんの家から帰る短い帰り道。

その少年は父に飼っていいかと聞いた。

父はしばらく黙った後、

「死んだ時、つらいぞ」とだけ答えた。

その会話を終えるのには、地道家とその少年家の距離はちょうどだった。

そして、父が頑なに犬を飼うことを拒否する理由がわかった。


数日後、豆柴の仔犬がその少年の家にきた。

その少年のテンションはブチ上げ状態で、その日の寝る頃には声が枯れていたほどだった。

仔犬の名前決め会議が家族で行われた。

自分が好きなように決められると思い込んでいたその少年は、喚き叫んだ。
この時に声が枯れたのかもしれない。

父と母が言うには、家族の一員になるのだから家族で決めるという理解できるようで、ゆっくり聞くと訳のわからない理由だった。

リビングには父と母。
そして、今まで散々と犬を飼いたがるその少年を無視していた姉がいた。
こんな時だけ前のめりに参加しやがってとギリギリと睨んだ。

兄には裏取引をして、決定権を辞退してくれと懇願して参加させないようにした。
少しでも自分の名前が選ばれる確率を上げようとバタバタと尽力した。

父と母は名前の提案をしないで、議長の様に会議を進行した。

実質、姉との一騎打ちだった。


その少年は「マメ」という名前を提案した。

豆柴から取った、世界一安易な名前だった。
振り絞った結果がそれだった。

リアクションは極薄で、これは選ばれないと姉の提案を聞く前に分かった。
たぶん父も母も今までの人生で「マメ」という名前の犬と出会ったことがあるのだろう。

姉の提案の順番になった。

その少年が白けさせた議会に姉は、「との」という名前を提案した。


との…?


「なんだその感性は」と姉のことが気味悪くなった。

姉曰く、殿様の「との」だという。


「この可愛い子のどこが殿様なんだ!」

と、その少年は議長に異議を申し立てた。

静粛に、と抑えられたがその少年は「この議会は無効だ!」と会議の中止を申し立てた。
すると姉は、

「そうやってワガママばっかり言うアンタが殿様みたいだから、そこから取ってとのなの」

と言った。


その少年は「自分の気質から名前を取っただと…」と気分がよくなった。

それがもう、殿様のそれだった。

そしてそんな名前になった仔犬の姿を想像した。
自分の分身が産まれた様に感じ、より一層の愛が「との」に芽生えた。


仔犬の名前は「との」になった…。


つづく…。


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