34、その少年が無理して持った興味

その少年は恐怖の入部関門をくぐり抜け、陸上部に入部した。

走ることは大嫌いだったが、この陸上部には砲丸投げという競技がある。

ただ走るという、罰ゲームとも思える長距離や短距離の競技をするその他の部員たちとは違うメニューで自分は謎の大人とマンツーマンでやるんだと、入部早々に特別枠を気取っていた。
(砲丸投げとの出会い&謎の大人とは:前回の記事【33,その少年の次の部活】参照)


入部初日。
顧問のテカテカ小林が部員全員を集め、その少年はその大きな円のテカテカ小林の隣で自己紹介をした。
「声が小さい!」と指摘され何度か名前を言い直した。

その円の中に、砲丸投げをしていた人もいた。
どうやらその人は3年生のようだった。

自己紹介だけの為に作られた円は、その少年の「よろしくお願いします」が終わるとなくなった。
そしてみんなそれぞれの競技の練習へと戻った。

その少年はどうしていいのか分からず、とりあえず砲丸投げをしている3年生のあの先輩の元へ行こうとした。
するとテカテカ小林に呼び止められた。

「長距離か短距離、どっちがいい?」と聞かれた。

その少年は、すぐに聞けと思った。
なんで一瞬ひとりぼっちで迷わせる間を作ったんだと思った。

その少年は「砲丸投げを…」と答えた。


するとテカテカ小林は「は?」と聞き返してきた。

そしてその少年も「え?」と聞き返した。

もう一度「ん?」と来たので、「砲丸投げ…」ともう一度、さっきよりは弱めに言い直した。


するとテカテカ小林はとんでもない事を言い出した。

「砲丸投げは、この陸上部にはない」


その少年は、このテカテカは意味の分からない間を作ったり、タラタラと話が長かったりと少し抜けているおバカさんなのかなと思った。
今もまさに砲丸投げをしている部員がいるのに砲丸投げがこの陸上部にないとは、何を言っているんだと思った。

その少年は言葉尻を柔らかく、心の中の言葉の語尾をマイルドに年上の人用にして砲丸投げをしている先輩を指差してテカテカ小林に説明を求めた。


するとテカテカ小林は「あいつだけ別メニューだ」と答えた。
そしてその砲丸投げをする先輩の横にいる謎の大人を、その先輩の父親だと説明した。
その先輩は基本的には短距離の練習を他の部員としているが、個人的に出場する大会があるときはその競技の練習をすることを許可しているとのことだった。


その少年は完全に罠にハメられたと思った。


誰も罠を張っていないし、ハメようともしていないのだがその少年はそう思った。

そしてテカテカ小林に「あの人だけ特別なのはおかしい」と、入部初日の人間が言うとは思えない異議を申し立てた。
さらに「自分も特別に砲丸投げをやらせてくれ」と特別な人間がいるのはおかしいと言っているのに自分も特別にしろという、軸がブレていないようでブレている事を言った。

それに対し、テカテカ小林は「じゃぁ自分で砲丸を用意しろ」と言った。

その砲丸先輩は自分で用意した鉄の球を投げているらしかった。

テカテカ小林は「この学校には砲丸はない。やりたいなら同じ様な対応をしてやるが、同じ様に自分で道具を揃えろ」と言った。


その少年は、あんな鉄の球がどこに売っているのか分からなかった。
そしてあの鉄の球はいくらするのか金額の検討もつかなかった。


その少年は砲丸投げを諦めた。



特別対応を諦めると言うその少年にテカテカ小林は、

「よし。じゃぁ長距離か短距離どっちにする?」と最初の質問を最初と同じテンションで聞いてきた。
それはその少年が砲丸投げをしたかった事をなかった事にしたような空気だった。

その少年も、同じようになかったことにした。


そして長距離と短距離のどちらにしようか真剣に悩むその少年がいた。
長距離は体育の授業のマラソンでもいかにサボろうかと考えるほど嫌いだった。
短距離も短距離で、足が速いわけでもない自分が練習についていけるか不安だった。

決められないでいるその少年を待ちきれず、テカテカ小林は「とりあえず今日は長距離にしとけ」と長距離のチームにその少年を入れようとした。

が、その少年は今からマラソンをすることになってしまうと危険を察知し、
「短距離にしてください!」と慌てて短距離を選択した。

そして短距離のチームがいる所に向かうのだった。
その足は重かった。

それは砲丸投げを出来なかったからではなかった。
あっさりと諦めた砲丸投げ。
後ろから、ボスン…ボスン…と鉄の球が土に落ちる音が聞こえた。
振り返り、改めて砲丸投げをする特別な先輩の姿を見た。
その姿を見て格好いいとは思わなくなっていた。
その姿を見て思うのは、あの球いくらするんだろう…だった。


短距離チームの元へ向かう足が重い理由は、単純に走りたくなかったからだた。

その少年はまたやってしまったと思っていた。

サッカー部に入った時と一緒だと思った。
その競技自体を好きでないのに、深くまでは考えないで勢いで入ってしまったのだった。
そもそも走ることが嫌いだった。
走ることが嫌いなのに陸上部に入った自分に呆れ果てた。

なんとか興味を持てた砲丸投げは簡単には出来なくて、出来ないとわかるとすぐに興味をなくした。その程度の興味だったのだ。
その少年が陸上部へ持った興味は入部初日になくなり、陸上部には嫌いな走るという行為しか残っていなかった。


ノロノロと歩きながら短距離チームへ向かうその少年の後ろからテカテカ小林が大きな声で「走れ!」と叫んだ…。

その少年は入部初日に陸上部を辞めたくなっていた…。


つづく…。

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