12、その少年の別れ

その少年は小学3年生になろうとしていた。

その日は、2年生の終業式。
教壇にはいつものジャージではない、ジャケットを着た担任の先生が3年生になるその少年たちにクラス替えというものが行われると説明していた。

1年生から2年生になった時は、同じクラスで同じクラスメイトのままであったが、
3年生になるとクラス替えがあり、仲の良かった友達とは違うクラスになったり、
そのまま同じクラスになったりと、大きな変化が次の春に学校にきたときにはあると話していた。

先生も変わるから淋しいという様な事も声を上ずらせて先生は話していた。


何の基準でクラスのメンバーを決めるんだろう…。
まぁ何でもいいか。どうせ学校に来ればみんないるんだし。
薫とは休み時間にも放課後にも遊べるんだし。

と、その少年は声が震えすぎて喋れなくなっている先生をぼーっと見ながら思っていた。

すると、先生は大きく息を吐き、呼吸を整えて教室の空気を変えた。


「もう一つ淋しいお話があります」

先生はそう言った。


もう一つ?
その前の淋しいは何だったっけ?
隣の席の純平に聞こうと純平に声をかけた時だった。


「薫くんが転校します」


さっきまで鼻をすすって細い息で話していた先生が太い息で言葉を発した。


その少年は純平と目を合わせたまま、しばらく固まった。
純平の顔がみるみる情けない顔になっていくのをその少年は見ていた。

そして純平が鼻をすすった時、固まった視線は解除された。

先生の元へ視線を戻すと、先生はクラスの一人一人を力強く見て黙っていた。

みんなでさっきまでの先生を真似をしてるのかと思うぐらい、
教室中が鼻をすする音と細い呼吸になっていた。

その真逆で、ギュッと口を紡いで立っている先生と目が合った。

他のみんなより長い間、先生はその少年を見ていた。
そして、先生は薫の席へ視線を移した。

つられる様にその少年も薫の席を見た。

そこには誰も座っていなかった。


今日薫が来ていない理由がわかった。

朝いちで「今日薫は?」と聞いた時の先生の変なリアクションを思い出した。


しばらくすると、先生が話し始めた。
その少年には単語がポロポロとしか耳には入ってこなかった。

隣の県の名前、今朝、お父さんの仕事、
みんなの顔、別れられなくなる、楽しかった、ありがとう…。


そんな、先生とクラスのみんなが鼻をグスグスさせた終業式が終わった。

先生に薫の住所を聞く人、寄せ書きを集め出す人、
親から聞いて知ってたと自慢げに話す人、昨日見かけたと話す人。

それぞれが薫に関しての何かをやっていた。

その少年は、寄せ書きの人に求められた自分の家の住所だけを書いて、
足早に教室を出た。


その少年は自分はおかしいのかと思った。
みんなが悲しむ様に悲しめなかった自分はどこか狂っているのかと不安になった。

悲しい以前に何の感情も湧かなかった。
というより、何が起きたのかハッキリとは理解できなかった。

頭の中にあったのは、「とにかく早く薫の家に行かなきゃ」だった。


いつもの帰り道とは違う道を、走っている姿を誰にも見られない様に気をつけた。
兄や姉も今日が終業式で、帰る時間は同じだ。
この姿を見られて母に報告されたらとんでもないことになる。

この冷静さも自分はおかしいのかと不安になる要因だった。


無事に、薫の住んでいる高層マンションに到着した。
薫の家の8階まで階段で…はなく、
エレベーターの方が早いのでエレベーターで上がった。

冷静だ。


…閉まるボタンは連打した。


8階に着き、エレベーターを飛び出して一番端にある薫の家まで廊下を走った。

しかし、すぐに走るのをやめた。

いつも遠目に見える玄関前に置いてある大きな観葉植物がなくなっていた。


その少年はゆっくり歩いて近づいた。

近づくにつれて、

スノーボードの板や、自転車や、傘立てや、サッカーボールや、虫カゴ…

が、なくなっていることがわかった。


家の前まで来たその少年は表札に目をやった。

表札のシールは剥がされていた。
シールが貼られていなかった箇所との汚れ具合の差で、うっすらと薫の苗字が読めた。

いや、薫の苗字が貼られていたと知っていたから読めたのかもしれない。


その少年はインターホンを押してみた。
この2年間、数えきれないほど押したインターホンを押した。
初めて薫の家で遊ぶ時と同じぐらいの程度の緊張をしていた。

家の中で呼び出し音がなっているのが、外まで漏れて聞こえてきた。

その音がいつもより大きく感じた。

その少年は、


「あー、中も空っぽなんだな」


と、思った。


全ての家具がなくなった家の中で、どこにも何にも吸収されないで鳴る呼び出し音を想像した。

一緒にマンガを読んだあのデカいソファーも、
薫に1度も勝てなかったゲームをしたテレビも、
誕生日会でケーキを食べたダイニングテーブルも、
貸してくれた寝間着を出したタンスも、一緒に入った風呂場も、一緒に寝たベットも…全部なくなって、呼び出し音が壁だけに跳ね返っているのを想像した。


すると、その少年の鼻がグスグスし始めた。

あ、クラスのみんなと同じ状態になった…と思う冷静さはなかった。

グスグスを通り越して、吸うだけでは抑えきれなくなってきていた。


その少年はようやく何が起きたのか理解していった。



ひとりで玄関先でオエオエしているとマンションの下から声が聞こえてきた。

その少年は廊下から下を覗くと、このマンションに住んでいる寄せ書きの人たちが、エレベーターホールに入っていく姿が見えた。

鉢合わせになると思ったその少年は、全速力で階段を駆け下りた。

目や鼻や額や体中の至る所から水気を出しながら、息を切らしたその少年は1階からさっきまでオエオエしていた所を見上げた。

寄せ書きの人たちがインターホンを押していた。


「そんなダラダラと来たって間に合うわけないだろ」



と、あたかも自分は間に合ったかのように、薫の住んでいたマンションを出た…。



そして角を曲がると、姉に会った。

家に帰り、母の前でグスグスをした…。


つづく…。

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