16、その少年と野球

その少年は学校の部活で野球部に入っていた。

保育園の頃からマサキと毎日のように野球をしていたその少年は、
自分は必ずプロ野球選手になると心から思っていた。

マサキは地区の違う小学校に通っていたが、マサキも野球部に入っていた。
マサキが同じチームにいないのが寂しかった。

マサキとその少年は、同じジャイアンツファンだった。
いつもジャイアンツの選手の打ち方モノマネをしたり、好きな選手のすごい所を言い合ったりと、2人の間にはジャイアンツで溢れていた。

マサキは二塁手の仁志敏久ファンだった。
その少年は王道で、当時のルーキー高橋由伸ファンだったので、
マサキのその渋さについてはあまり理解できなかった。


保育園の頃、その少年はマサキと近所のタコ公園と呼ばれるタコの形をした滑り台のある大きな公園で毎週のように野球をしていた。

と言っても、マサキとその少年の2人しかいないので専らキャッチボールや、1人が投げて1人が打つといった試合とは呼べない2人で行う野球ゴッコのようなものだった。

いつか大人数で試合をしてみたい2人だった。


ある日、いつもの様にタコ公園の隅で打ち合い、投げ合いをしていた時のことだった。

大きな、メインのグラウンドで草野球をする大人たちがいた。
父親と同じぐらいの年齢の人たちが2種類のユニフォームをお互いに着て、これから試合をする様であった。

その少年とマサキは、野球ゴッコをやめてその大人たちの近くへ行き、本当の野球の試合が始まるのを待っていた。

2人はたまに開催される試合を見ていたのだった。
いつもどっちのチームが勝つかという予想をマサキとし、それぞれのチームを勝手に応援していた。

どっちが勝つか、それぞれのチームにいるおじさんのキャッチボールの様やバッティング練習の雰囲気を見てどっちが強そうか判断していた。

いつも応援するチームは、何の問題もなく分かれて選べていたのだが、
その日は応援したいチームが同じで、お互いに譲りあえなかった。

それは、片方のチームが7人しかいなかったからだった。
2人足りないというというのは守備の面で大きくフリになる。

じゃんけんで負けても、2人少ないチームを応援する気にはなれなかった。

マサキとその少年のチーム選びは平行線のままであったが、試合はいよいよ始まりそうになっていた。


そんな時、2人少ないチームのユニフォームを着たおじさんが声をかけて着た。

「おう、マサキ。何してんの?」

どうやら、そのおじさんはマサキの親戚のおじさんの様だった。

その少年は、
アンタのチームが負けフラッグが立っているから揉めてるんだ、と言ってやりたかったが、
5歳児が中年のおじさんに言えるわけもなく、黙ってマサキと中年が話し終わるのを待っていた。

マサキが「試合が始まるの待ってる。見るのも好きやから」と中年に言った。

すると中年が「一緒にやるか?」と言った。


その少年は一瞬、何を?と思ったが、ユニフォームを着たこれから野球をする中年とグローブを持った5歳児との間に置かれた「やる」という言葉に繋がるのは、
野球しかなかった。


その少年とマサキは断る理由なんてあるはずもなく、2人足りない負け確定チームに入った。

その少年は初めて9対9の野球をした。


試合は、負けた。

ボロ負けだった。


その後、人数が足りていても中年おじさんは、その少年とマサキがタコ公園にいるといつも試合に参加させてくれた。

その少年は少しずつ上達を感じていたが、試合に勝てたことはなかった。

やはりこのチームの負けは確定していたようだ。



そんな中年野球の経験があったからなのか、その少年は小学校の野球部ではすぐにレギュラーになれていた。

その少年のポジションはキャッチャーだった。
マサキと野球ゴッコをしている時からその少年はキャッチャーだった。
それは、マサキが左利きだったからだった。
左利きのキャッチャーなんていない、と話し合ったことはなかったが、自然とそうなっていた。


そして、夏や秋の大会になるとマサキの小学校と何度も対戦することがあった。

毎度、試合前に知らない子とキャッチボールをするマサキを見て、その少年は寂しさを感じていた。

マサキは当然のようにピッチャーで、知らない色黒の子がキャッチャーをしていた。
その少年はその色黒キャッチャーが羨ましかった。そして嫌いだった。

その少年は、「俺の家がマサキの小学校の校区だったらな」「俺がキャッチャーなのにな」とマサキとキャッチボールをする色黒を見る度に思っていた。


何度試合しても、マサキの学校に勝てたことはなかった。

その少年はマサキの球を、一度も打てたことがなかった。

そして、キャッチャーの色黒にめちゃめちゃ打たれた。

色黒に打たれる度に、
「マサキの小学校の校区だったら、レギュラーになれなかっただろうな」と思った。

でも、プロ野球選手にはなれると思っていた。

何の根拠もなく、漠然と、思っていた。


その1年後、
レギュラーキャッチャーの座にあぐらをかいていたその少年は、1学年下の子にキャッチャーの座を奪われることになるのだった。

そしてその少年はセカンド、二塁手に転向することとなる。

そこから大慌てで仁志敏久の渋さを勉強し始めるのだった。


そして、まだプロ野球選手になれると思っていた…。


つづく…。

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