32、その少年のペナルティーキック
その少年は、なかなか好きになれないサッカーを続けていた。
実は冬になる前に退部をしようと考えていた。
理由はそもそもサッカーを好きでないし、冬の寒い中運動をするのは地獄だろうなと思ったからだった。
しかし、1年生大会があるということを知り、
1年生が9人しかいないこのサッカー部を今「やめる」とは言えなかった。
(9人で挑むことになった流れ:過去の記事【31,その少年は一応サッカー部】参照)https://note.com/watashiomu/n/n099de09fca5d
とにかく1年生大会が終わるまでは続けようと思っていた。
まぁ、一回戦で負けるだろうと思っていた。
いくらクラブチームに入っていたストライカー筒井がいるとは言え、
そのフォワードの後ろにはサッカー歴10ヶ月のその少年がいるのだ。
実質、自分のチームは8人だとその少年は自分を抜いてカウントしていた。
大会が近づくにつれて、グラウンドの隅っこで行われる1年生の練習は熱くなっていった。
メインのグラウンドでは2年生と3年生が練習をしており、1年生の大会が近づこうと何だろうと1年生がメイングラウンドで練習することは許されなかった。
その少年はメイングラウンドの方が何倍も広いので、
走らなきゃいけない距離が長くなるし、ボールも強く蹴らないと届かないしで、メイングラウンで練習をしたいとは思わなかった。
が、隅っこで8人で(その少年は既に自分を引いて計算している)勝つ為に必死に練習をする同級生たちを見ていて、2、3年生と顧問の丸刈クワハラに対して日に日に腹が立ってきていた。
どうせ勝てないとか、こいつらにメイングラウンドを使わせる価値はないとか、そんな事を思ってやがるんじゃないかと、
自分が一番勝てないだろうと思っていることを忘れて、腹を立てていた。
ストライカー筒井を筆頭に、1年生たちは2、3年生の練習が終わった後にメイングラウンドでボールが見えなくなるまで練習をしていた。
最初はその少年は、そのメイングラウンドでの練習には2日に1回や3日に1回のペースでしか参加しないでいた。
それでもストライカー筒井は、怒りも強要もしないでその少年が参加した時には優しくボールの蹴り方や、トラップの綺麗な受け方を教えた。
そしてマンツーマンレッスンが終わった後にはいつも「明日も気分が乗ったらでいいから。来れたら来てな」とその少年に優しく接した。
そんな筒井の優しさによって、その少年は暗くなるまでのメイングラウンド練習に参加する頻度が増えていった。
大会直前には毎日のように参加した。
そして、大会当日。
この頃にはその少年はとにかく1勝でいいから勝ちたくなっていた。
しかし、何度数えても自分を入れて9人しかいない自分のチームを見て不安は増すばかりだった。
筒井は試合前のウォーミングアップのパス回しをその少年としてくれた。
いつもの様に優しく蹴り、その少年がトラップしやすい様にパスを出す筒井。
サッカーを好きになったわけではなかったが、筒井のためにも絶対に勝ちたかった。
その少年は左サイドハーフというポジションについた。
フォワードがいて、ミッドフィルダーがいて、ディフェンダーがいて、キーパーがいる。
その、フォワードとディフェンスの間のミッドフィルダーの左側を任された。
フォワードには筒井ひとり。
そして9人のその少年のチームは、左サイドのディフェンダーがいなかった。
つまり左サイドで起こる出来事は全てその少年が対処しないといけなかった。
攻めも守りも、行ったり来たりだった。
その少年は前半10分で体力が尽きた。
フォワードの筒井が何度もフォローをしにきてくれ、
気がつくと自分よりディフェンス寄りに位置付いていた。
その少年はその姿を見て、心の中で「ごめん、筒井」と何度も謝った。
後半も早々に体力が尽きたその少年は、後半戦も引き続き何度も筒井に謝った。
奇跡的に0対0のまま後半が終了した。
フォワードがディフェンスをしているその少年のチームは点を取れるわけがなく、ずーっとディフェンスをしていた。
そして大会の規程で延長戦はなく、すぐにPK戦となった。
人数の差が関係のないPK戦ではその少年のチームにも勝機があった。
一番手に蹴るのは当然、ストライカー筒井だった。
それ以降はうまい順番に蹴るように顧問の丸刈クワハラが順番を決めていった。
その少年は「9番目か、俺には周ってこないで終わるな」と思っていた。
が、筒井がとんでもない提案を丸刈クワハラにした。
なんと筒井は、5番目はその少年に蹴らせようと言い出したのだった。
筒井曰く、その少年は奇跡的に「いいボール」を蹴る時があるらしかった。
その少年は、その奇跡的な「いいボール」をいつ自分が蹴ったのかも分からないほど、「いいボール」の定義が分からなかった。
が、筒井の提案を丸刈クワハラも聞き入れその少年が5番目に蹴ることになった。
5回中にゴールを決めた数が多い方が勝利のPK戦で、5番目の大トリを任されたその少年は「勘弁してくれ」とテンションが大下りした。
一度も外さないでこちらのチームがゴールを決めて、一度でもキーパーが止めれば
なんとかなるとその少年は思い、キーパーのスーパーセーブを願った。
しかし、一度もキーパーは止めないでその少年の番に周ってきた。
両チーム4本ずつ決めており、その少年も同様に決めて次にキーパーが止めれば勝利。
それかサドンデスのPK延長戦か。
その少年は、右か左か悩みに悩み…。
右に蹴ることを決めた。
筒井に教えてもらった蹴り方で、思い切り右隅を狙いボールを蹴った。
ボールは、少しだけ右にいき…
キーパーに弾かれた。
その少年はPKを外した。
「いいボール」は多分、蹴れていなかった。
その後、一度も止めていないその少年チームのキーパーは、
今までと同様に止められず、その少年のチームは負けた。
帰り道、自転車で少し先を走る筒井の背中を見ながらその少年は
「ごめんな」と心の中で謝った…。
次の日にその少年はサッカー部を辞めた…。
つづく…。
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