あのときの感情はいまも言語化できない

高校生のとき、私の知らないところで、私は「とんでる女」と呼ばれていたらしい。
卒業後、友人が教えてくれた。
飛んでる?跳んでる?とんでる??? と可笑しくて問い詰めたけど
それほど私は異端だったんだろうか。

特に希望してはいなかったけど、入試時の成績によって特進クラスに入った。同じ高校に進学した彼とも同じクラスになったけど、楽しい高校生活の始まり♪ なんて高揚感を味わったのかどうか、今の私は覚えていない。

クラスメイトには国立大学や早慶に進学した人もいたから、九州の田舎の公立高校のわりにはレベルが高かったかと思う。
でも、宵っ張りの朝寝坊かつ大学進学なんてさっぱり考えていなかった私は、0時限目という特進クラスのみの朝課外からほんとにもう嫌だった。たまにクラスメイトと脱走したりもしてたけど、結局出るのをやめちゃったくらいに。
私はドロップアウトしたということだ。

そんなころ、彼から「I don't love you」という手紙をもらった。
びっくりした。
そう思われるのは仕方ないかもしれないけど、母語を使わないのか!とか、対面じゃなくて手紙かよ!とか、そっちにびっくりした。
こういう大事な局面で向き合ってもらえないのかと寂しかったし悔しかったなぁ。
ちなみに、30年後に再会した彼によると、別に別れの手紙じゃなかったそうだ。なんだそれ。
人生で唯一ふられたと思っていたのは違ったようなので、ふふふっとふんぞり返ってしまったじゃないか。

1年次の秋ぐらいから学校に行ったり行かなかったりするようになったけど
それにこの別れは関係あったのかなかったのか、自分でもわからない。
ただただ学校がめんどうだった。
同じように学校になじめないと思っていた男子と2人、フリースクールのこととかいろいろ話したなぁ。
田舎にそんなものも概念もあるわけなく、書籍を読んでは夢想するだけだったけど。

知らないところでなにか言われているという不気味さを初めて実感したのはこのころだと思う。
書店で、『りぼん』と『なかよし』を両方買うだけでも
(りぼん派、なかよし派という言葉があったくらいだから、どちらかだけを買うのがふつうだったのか?)
平日の学校帰りに洋服屋に寄るだけでも言われ
あげくの果てには中絶して病んでるとまで言われてたらしい。
優等生がそんな失敗するかいなとは思ったけどね。




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