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毎年この時期がくると思い出すこと

1995年、私が小学5年生だった時のこと。
その夏はちょうど第二次世界大戦の戦後50年にあたる年だった。当時担任だった先生はたしか定年をあと3年後に控えていたはずだ。
つまり戦争経験者だった。

先生は元々とても厳しかった。
朗らかさだったり、冗談を言って和ませたり、ノリよく生徒の士気を上げたり、というような生徒が思う「こんな先生好き」にランクインする要素をまったく持ち合わせてないような先生で、いつも怒ったような難しい顔をしている記憶しか残っていない。

夏休みを迎える直前の先生はいつもに増して厳しい態度でその夏を迎えていた。あの年は戦後50年という節目の年だったから学校をあげての?教育委員会をあげての?取り組みだったのか、それとも戦争経験者である先生の使命感からくるものだったのかどうかはわからないけれど、「戦後50年」ということを先生がしきりに強調していた気がする。テレビなどでも特別番組が多く組まれていた記憶がある中、私は先生による重く厳しい平和学習を受けた。25年経った今でも覚えていることなんてそう多くないが、あの時の先生の気迫がいつまでもずっと私の中に残っている。

計算すると、先生が小学生の時に終戦したことになる。正直、授業の内容はなにも覚えていない。授業の時の空気、先生の厳しさ、思い出せるのはそれだけ。一切の私語を許さない、姿勢を崩すことも許されないような重たい空気、静かで、厳しい授業だった。先生が模造紙に資料をまとめたものを広げていたような…そんな記憶はうっすらと、一瞬コソッと私語をした生徒をもの凄い剣幕で一喝した記憶ははっきりと、覚えている。先生がつくる張り詰めた空気が、私が後々戦争に対してずっと抱き続けるイメージになった。先生の話をなにも覚えてない人間が言うのはおかしいけれど、どんなにわかりやすくまとめられた資料やテレビで観る映像よりも、あの重くて厳しい平和学習が、いつまでもずっと私の記憶に残っていて、戦争という言葉を聞くと必ず思い出し、紐付けされて先生のことも思い出す。

お元気であれば82歳になる先生は、あの夏の翌年持ち上がりで最終学年も担任してくださり、私たちの卒業と一緒に定年より1年早く退職された。
お元気だろうか、と毎年夏になると先生に少し思いを巡らせる。

あれから25年経ち、今年は戦後75年にあたる。
もうあと25年経った時に、私は50年前のことを何か語れるほど記憶していられるだろうか。戦争を経験した人は、意とせず強いられた辛い経験を、深く強烈に記憶に刻まれてその後の人生を歩んできたはずだ。
忘れたくとも忘れられずに。 

先日8月6日、保育園で戦争のことと広島に投下された原子爆弾のことを、先生が息子たちに話してくれたようだ。「むかしね、たたかいがあって、すごいむかしの今日こわーいばくだんがボーンっておとされたんだって!」と息子が私に一生懸命おしえてくれた。そうか、そういうことを少しづつ理解できる年になってきたのか、と成長に感心した。
これから先、戦争について我が子が興味や疑問を抱くことに対して、私が知っていること、私がどう考えているかを伝える場面が出てくるだろう。戦争を経験していない私は、辛さや苦しみを伝えることができない。命を奪い合ったり爆弾を落としたり国民の思想まで支配するような悲惨な戦争は、今の日本ですぐに起きるものとは考えにくい。ただ、時を変え手法を変え、昔とは違う形で争いは続いていたり、新たに起こっている。生きていく上で、これを他人事にしてはならない。争い合い、傷つけ合い生まれる悲しみを、戦争を経験した人たちは心を削るようにして語り続けてきてくれたのではないだろうか。それはきっと次を生きる世代への愛が成せることで、それを受け取った私たちはどのように生きていくのか、考えるにはそれでもう十分だ。

戦争について真摯に向き合い感じて、考えてほしい、と子どもたちにいつか伝えたい。
きっとその時にまた、私は先生のことを思い出すはずだ。


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