就職②

非嘔吐過食が初めて始まった社会人1年目の5月のことを私は今でも鮮明に覚えている。
ああ、やってしまった。頭が真っ白だった。

吐こうにも吐けない体質のようで今の今まで吐けたことがない。

その5月から非嘔吐過食は毎日のように続いた。
朝起きると生きていることに絶望する。
食べ物を貪りながら出勤退勤する。
下剤を飲みまくる。
過食後の運動が止められない。(酷い時は10キロほど歩く)
とにかく消えたかった。○にたい。
もう訳がわからなかった。

朝7時に家を出て夜の8時頃まで働く。
家に帰っても、休みの日でも仕事をしない時がなかった。
出勤すれば主任からのいじめとそれを見て見ぬ振りする上司と園長。
主任と一緒になっていじめるお局。
味方なんかどこにもいなかった。

家に帰り家族が支えになるのならよかったのかもしれない。しかし私の親は毒親だったため、私が食事をまともにとれないでいると殴る蹴る。仕事を辞めたい、というと「お前は甘い。私の方が〜、、」

終いにはメンタルクリニックに私が行ったことを後から話すと「かわいそうと思ってもらいたいんだろ」
もう限界だった


とうとうその年の12月、主任からのいじめを受けた私は自分の保育室で倒れてしまっていた。
子どもたちの降園後だった。数ヶ月前に入った後輩に見つけられたらしい。
救急車で運ばれ1週間入院となる。
結果は疲労だった。

救急隊員に後から聞いた話だが、主任は「この子エアコンをつけない部屋で保育室にいたから倒れた」と何度も言い張っていたらしい。

のちに親が病院へ来る。対面した一言目は
「私入院費ださないからね」

幼稚園はこれをきっかけに辞めることになった。
退院後出勤するも涙が止まらなくなり、情けなくも働ける状況ではなくなったのだ。

端折った部分も多いがこれが幼稚園教諭に就職した全てだ

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