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海水魚は淡水の中では生きていけない。私は私の世界で生きていく。

海水魚は、海水の中でしか生きられない。

例外的に”淡水浴”をさせることもあるが、これは病気治療のため。
通常は3.0%の塩分濃度に保たれた海水の中で生きている。
それが当たり前なのだから、治療のためとはいえ急に違う環境に入れられた魚はひどく苦しむ。ヒレをバタバタさせ、軽いパニック状態のようになることも。

海水魚を淡水に入れたら、塩分濃度の高い海水魚の体液の中に、塩分濃度が低い淡水が吸収され水で膨張して死んでしまいます。
引用元:海水魚・淡水魚の浸透圧の違いについて


最近、私は無理して淡水の中で生きようとしていたのではないか?と気づいた。自分にとって居心地のいい環境やモノが、人から見たときに決して”健康的”ではないから、ずっとそれをコンプレックスに感じていたのだ。(しかも人から見た私は「明るい」と表現される。これも私なのだけれど)

過去に”うつ”になったことのある私の心に、ずっと引っかかっている言葉がある。

「そんな暗い曲ばかり聞いてるからうつになるんじゃないの?」

そう言われたとき、驚くとともに、妙に納得してしまった。
(でも、こんなことを言うのは人としてどうかと思う)

昔から、鬱っぽい漫画が好きだ。
決してハッピーエンドで終わらないけれど、主人公達が”自分たちの正解”を作っていく映画が好きだ。
胸を締め付けられるような歌詞、ザワザワするけれど「ああ、こっち側なんだ」と安心できる曲が好きだ。
深夜に寂しさを感じながら、誰に見せるわけでもない絵を描くのが好きだ。

私が好きなものたちは、どこか”影”を持っている。
見なくてもいいものを、わざわざ探しにいっているように感じることもある。

物心ついたときからそうだった。
もしかすると、最初に出会った漫画…絵を描くきっかけにもなった作品が”影”のあるものだったから、その影響を強く受けているのかもしれない。

幼い頃に出会う”初めて”は、その後の人生に大きな影響を与える。大人になった今振り返ると、思い当たる節はたくさんある。

そうやって自分に馴染むものを集めていたら、私の世界はどこか薄暗くなってしまった。自分が歩んできた人生が決してラクなものではなかったから、そのせいもあるかもしれない。(もしかして、引き寄せているのかも?)

今まで、人から見た通りの”明るい私”になろうと頑張ってみたこともあった。

”影”なんて微塵も感じさせない、明るくてハッピーな曲。
ハッピーエンドでみんなが幸せになれる漫画。
なんの心配もせず、安心して笑って見られるコメディ映画。
健康的な食事に、早寝早起き。

でも、どうもしっくりこない。

「ああ、こう言う世界もあるんだなあ…」
なんだか、他人事のように捉えてしまうのだ。シラけてしまうというか。

20年以上作り上げてきた私の世界の壁は厚くて、ちょっとでも”異形なもの”が侵入すると、拒否反応を示す。(純粋に楽しめる事もまれにあるけれど)

恋人は私と正反対で、根っからの”明るい人”
裏表がなくて、考え方もポジティブ。こんなに”影”がない人と付き合ったの初めてで、昔は「どうしたら彼のように明るくなれるんだろう?」とよく考えたものだった。

でも、全く違う私たちだからこそ、「あなたはあなた」「私は私」と線を引くことができる。(幸い、会話や笑いのツボ、食の趣味が合うので一緒にいるのは楽しい)

そんな彼と出会ったことが、「私は私の世界で生きればいいんだ」と思えるようになったきっかけかもしれない。

私は私の世界で生き、違う世界のものをいいな、と思えば試してみればいい。もしそこで、また他人事のように感じてしまったとしても、私の世界に帰ればいい。

だからもう、人から見て不健康だろうが暗かろうが、自分の”好き”で埋め尽くせばいいのだ。人に遠慮しなくていい。頑張って自分を変えなくていい。


海水魚は、淡水の中では生きていけない。
自分に合わないものを取り込んで膨張して死ぬくらいなら、ひっそりと、自分の世界で生きていく。


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