人づきあいが苦手な人は、まだ”出会えていないだけ”かもしれない。
こんにちは。フリーランスイラストレーター/デザイナーのるるん(@lulun_ADHD)です!
先月末に書いた『”体力ない系”の人がフリーランス目指してやってきたこと。』の反響がものすごく、未だに通知が来ることにびっくりしています…
なんと、Twitterでは2000以上のいいね、note内では500近いスキを頂いています。(サポートしてくださる方までいらっしゃって、本当にありがたいです…!)
私と同じように”体力ない系”の方のお役に立てたのかな、と思うととても嬉しいです。
色々なところで紹介してくださった方々、ありがとうございました!
この記事を書くまで、しばらく文章を書くエネルギーがなかったのですが、今回のことがいいキッカケになりました。
できれば週1くらいで何か書いていきたいな〜という感じ。
流れ的にはフリーランス活動に関する内容を書くのがいいんだろうな…と思いますが、今回はタイトルの通り全然?関係ありません笑
気まぐれなので思いついたことを書くスタイルで、、
興味ある方は読んでくださると嬉しいです。
今回のテーマは『人づきあい』。
これ、私がずーーーーーっと悩んできた問題なんですよね。
以下本文↓(丁寧語が面倒くさいので口調変わります…)
社交的だけど『友達づきあいが苦手』な私
自分で言うのもなんだけれど、私は社交的なタイプの人間だと思っている。実際、初対面の人と会うときは全く緊張せず、人と打ち解けることにそれほど苦労しない。
友達にも「るるんって集団に馴染むの早いよね」と言われたことが何度もあるから、多分周りから見てもそうなんだろうと思う。(”上手く”コミュニケーションが取れているか?と聞かれると微妙な気も…)
でも、『社交的=友達が多い、友達づきあいが上手い』というわけではないのだ。なぜなら、私がそうだから。
どんな人ともそれなりに上手くやり取りできるけれど、友達づきあいに関しては基本受け身で、何かの集まりにも”誘われたら行く”というスタンスだった。
これは、「断られたらどうしよう」という誘う側の不安を感じてというより、そもそも自分から”会いたい!”と思う気持ちにならなかったから。(小学生、中学生の頃は記憶の彼方すぎて覚えていないけれど、少なくとも高校〜つい最近までそんな調子だった)
「私って冷めてるのかな」「人に興味ないのかな」なんて、よく悩んでいた。
だけど、ここ数ヶ月でそれが単なる”思い込み”だということに気づいた。
今となっては自分に暗示をかけていたのかも?と思うレベル…
”友達づきあいが苦手”は思い込みだった。
「会いたい人」に出会えていなかっただけ。
私がこの”思い込み”に気づいたのは、前の会社を辞めてから。
退職した私を待っていたのは、”どこにも居場所がない”という強い孤独感。しかも精神的ダメージを受けている状態で、一人でいると嫌なことをぐるぐる考えてしまう。
そんな孤独に耐えかねて始めたのが『Twitter』だった。
SNSはなんとなく嫌いだったけれど(友達がどうしてるとか興味がなかったし、依存しそうで怖かった)、そんなこと言っていられなかった。
とにかく誰かと繋がりたかった。
最初はADHDの情報収集として始めたアカウントで、今みたいにイラストやフリーランス関連の呟きメインになるなんて考えもしなかったけれど。
その経緯はコチラ↓
退職してからも精神的に波があったりして、最初は「とにかくよくなりたい」という思いが強かった私。でも、次第に気持ちの余裕が出来て”自分の好きなこと”に目を向けるようになって(イラストやデザインなど)。
そうして好きな絵描きさんやデザイナーさんをフォローしているうちに、ADHDだけのコミュニティが少しずつ広がっていった。
”好きなものが同じ人同士”、”考え方が似ているもの同士”で繋がれるようになった。
一番のきっかけは、Twitterで知り合った写真家の武田サキちゃん(@_sakitakeda)。
今は写真・映像の制作会社勤務だけれど、出会った頃はフリーランスで、価値観やバックグラウンドが似ていることもありTwitterで頻繁にやりとりしたり、電話で何時間も話したりした。
彼女は友達というより”仲間”みたいな感じで、同じ熱量で話せるのがすごく楽しかったのだ。私の中で人付き合いに対する考えが変わっていくのを感じた。
それからの私は、まるで別人。
「人に会いに行く」「人を誘う」という、今まででは考えられない行動を取るようになった。
最初に動き出したのは3月。(なんかプロジェクトみたいだな…)
Twitterで繋がった友達や、好きなイラストレーターさんに会いに行くことにした。(わざわざ田舎から東京に出て行くなんて、今までの私なら考えられないこと…!)
もちろんサキちゃんにも会った。
彼女はTwitterの印象以上にパワフルで、最初は圧倒されたのを覚えてる…笑
ただ、この時の私はまだ精神的に不安定で、「楽しかったけど東京も人と会うのも結構疲れるな…」というのが正直な感想だった。
それでもこの出来事が私の中でターニングポイントになり、翌月も東京へいくことに!
なんとこの時は、自分でイベントまで企画したという…
※Twitterで参加者を募って、『デザイナー・イラストレーターの会』を開いた。すっごく楽しかった…!(どこかでこれも記事にしたいけどまだ出来てない😭)
さらにさらに!!5月も東京行きを計画。
(直前に風邪をこじらせて肺炎になり、5月の東京いきは断念…)
でも、月末は地元に帰るタイミングでまた人に会うことに!
大好きな絵描きで漫画かのウッケツハルコさん(@ukketsu_haruko)に会いたくてハルコさんのツイートに猛アタック…
すると、「関西コミティア一緒に行きませんか?」と誘ってくださり…
私の友達とハルコさんの友達の4人で行くことが決定。
関西コミティアは初めての経験でもちろん楽しかったけれど、そのあとにファミレスで何時間も絵のことや仕事のことをお話出来たのがすごく面白かったし勉強になった。
同じ熱量で話せる人との会話はこんなにも楽しいのか…と、人付き合いに対する価値観がアップデートされた。
きっと私は今まで「会いたい」と思える人に出会えていなかっただけなのだ。
”会いたい人”は自分のコミュニティの外にいるかもしれない
別人かと思うほど積極的に人と会うようになった私は、この数ヶ月間を振り返って、あることに気づいた。
それは、「”会いたい人”は自分のコミュニティの外にいるかもしれない」ということ。
このコミュニティというのは、自分が当たり前のように所属している場所のこと。例えば学校だったり、職場だったり…。
身近で、当たり前で、ある意味「用意された」ような場所。
(受験や就活を頑張って勝ち取った場所だとしても、そのコミュニティは自分が入る前から構成が決まっているもの、という考えで「用意された」と表現している)
そこに集まる人たちは同じ目的(勉強や仕事)を持っているけれど、「人付き合い」が一番の目的ではないはず。
だから、その中で上手く友達関係を築けるのは、ある意味すごいことだと思う。
だって、学校のクラスも職場の部署も、自分では選べないから。
でも、きっと多くの人があまり疑問を持たずに「今ある環境」の中で人間関係を築こうとするんじゃないだろうか。(もちろん、生活の大半を過ごすコミュニティで快適な人間関係を築くことは大切)
与えられた環境でうまく生きるための人付き合い
↑で書いた『きっと多くの人があまり疑問を持たずに「今ある環境」の中で人間関係を築こうとするんじゃないだろうか』というのは、モロ過去の私で。
私が今までやってきたのは、『与えられた環境でうまく生きるための人付き合い』だったのだと思う。
こんな風に書くと大げさな気もするけれど、他にうまい言葉が見つからない。
特に中学生や高校生の頃なんて、『学校』という場所が自分の世界の全てで、外の世界に興味を持つことすらなかった。
今の十代の子たちと当時の私とでは環境が全く違うだろうから一概には言えないけれど、少なくとも私はそうだった。
だからそのコミュニティの中で友達づきあいを頑張ったし、そこからあぶれたら生きていく場所がないとすら思っていた。外の世界なんて全然想像できなかった。
でも、”頑張って合わせる”人間関係は想像以上にキツイ。
同じグループの子たちがテレビドラマの話をしていたらその話をしなきゃい。自分が好きな漫画やアニメの話をしたくてもできない。(趣味が合う友達が全くいなかった訳ではないけれど、隣のクラスだったり…)
みんな与えられた役割があって、リーダーっぽい子がいたり盛り上げ役の子がいたり。私は”いじられキャラ”だった。
いじられキャラといえば聞こえはいいけど、中学生のいじりなんてほぼイジメだ。心ないことを言われて傷つき、家で泣いたことも沢山あった。
そんな私は高校生になってもそのキャラを貫いた。
”面白いいじられキャラ”でいれば、とにかく周りの子たちは仲良くしてくれるから。ひとまずのけ者にされることはない。
そうやって入学してすぐ友達が沢山できた私を見て、中学からの友達(すぐに周りと打ち解けられなかった子)は、私が励ますつもりで言った「私は嫌われるのが怖いから、周りに合わせてるんだよ」という言葉を、同じグループの子に言ったらしい。ひどい話だ。
ちょっと記憶が曖昧だけど、「愛想笑いが上手い」とか「八方美人」とか言われた気もする…(もはやこれって友達と言えるの?)
そうやって築いたコミュニティは決して居心地のいいものではなかった。
当時の私はちょっとギャルっぽかったから、どちらかというと目立つグループにいて…
小さい頃からずっと書いていたイラストも、「隠れてコソコソ絵を書いているなんて、恥ずかしい」という理由でやめてしまった。
無意識に”今のコミュニティに合う私”に必要なものとそうでないものを選別していた気がする。
私の学生時代の思い出は少し薄暗くて、思い出すと心が苦しくなる。
用意されたコミュニティの中で本当に楽しいと思える人間関係を築けた人もいれば、私のように無理して過ごしていた人もいるだろう。
これってほとんど運任せみたいなものだと思う。
当時の私に「その世界が全てではないよ」と教えてあげたい…
大人になった私は”コミュニティを選べる”
ジメジメした過去を持つ私だけど、今は本当に人に会うのが楽しい。
それは、”自分で所属するコミュニティを選べる”から。
学生の頃はその存在さえ知らなかった外の世界を知って、自由に会いにいったり、人を呼んだりすることもできる。
なんて素敵なことなんだろう。
気づかせてくれた友達や今の環境には本当に感謝してる。
ありがとう。
まだ自分は狭い世界に生きている気がするけれど、大きな悩みのタネだった『人付き合い』の問題はクリアされた。
人と繋がることがこんなにも楽しく素晴らしいことだと知って、これからの人生が楽しみで仕方ない。
きっと、これからもどんどん私の価値観はアップデートされる。
狭い世界を飛び出して、もっと加速していくだろう。
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