某ネコ型ロボットに思いを馳せる夜
先日、仕事関係の講演会で人工知能(AI:artificial intelligence)についてのお話を聞いた。おもしろかった。
AIはなにかと話題に上がるし、そのときに考えたことでもちょっと話していきたいと思う。
よく人工知能について言われることってなんだろうか。
日常に即したものであれば”自動運転”とか、少し狭いターゲット層を考えると”将棋・囲碁ソフト”とかもあるらしい。
ただ様々な面で話題にあがりがちなのは
”人工知能は人にとってかわる存在になるのか”
という点である。これに関しては今後もずっと言われることだと思う。
ちょっとその点について述べていく。
結論から言うと、
人を越える時代はまだこないと言ったとこだろうか。
軽く説明するね。
AI にも強弱がある。
いやこれは実際に”強いAI”と”弱いAI”という言葉が存在している。(気になる人は調べてみてね。)
本当に正しい解釈かは分からないので話し半分に聞いてほしいのだが、
”強いAI”というのはイメージとしては某青いネコ型ロボットである。
あらゆる要望に自ら考えて最適解をだす、人間の代わりとなれる可能性をもつ存在である。
対して”弱いAI”とは、将棋AI のように、学習を通してある一分野において人間を越えるような狭義の中での存在である。
そして今の時代を見ると、まだ後者の”弱いAI”での話が進んでいる段階らしい。
この点を考えるとAI に支配されるのはまだまだ先の話かなぁと思ったりする次第である。
もう一つ
先に述べたようにAIはこれまで人間の知能と競い合い、上回っていこうとする技術としての側面が強かった。
しかし、近年はAIと人間が競うようなトレンドは少なく、むしろAIとの共存をよく耳にする気がする。
AIの導入プロセスから人間を排除するような動きではなく、人間を中心に据えたうえでのAI("共存AI"と呼ぶことにする)を考えるというパターンが多くなっていると感じる。
もちろんAIのデータ処理が人間を上回ることも可能になったのは既知の事実だし、画像・動画などのデータ処理においても高いクオリティを出すこともできるようになっている。
自動運転車は道の真ん中を走り続けるし、疲れないし、前の車にだってぶつからない。
それでもAIが人間に取って代われないのは何故か。
どうしても信頼が足りてないからである。
人間がそれに気づいたからこそ、共存AIというかたちで人間を手助けするというものに今はシフトしているという形なのではないだろうか。
今は人工知能も、共存AIとして人間の生産活動を促進し、新しい技術のために人間の知能を勉強しているところなのかもしれない。
まあ、結局研究するのは人間なんだけどな。
しかしこれまでの歴史を振り返ると、反乱と革命というのは突然に思いもしない場所から生まれたりもするからどうなるかはわからない。
今は人間と共存しているAIが突如に反旗を翻すかもしれない。
もしかしたらもうすでにタイムマシンで未来から来た "人類ではないなにか" が混ざってるかも知れないしね。