人は人を透明にさせる

誰も彼もが私のことを気遣ってくれるわけではない。気にかけてくれるわけではない。私のことをふとした時に思い出したとして、連絡をくれるわけでもない。

私の存在は透明になっている。背景に溶け込んでいる。誰も気がつかない。

暖房をつけ、部屋を温めても、自分の心は温まらない。低体温のまま。いつになったら温まるのか、どうやったら温まるのか、自分で自分を慰めるしかないのか。

みんな自分の気持ちで精いっぱいで、あるいは「大丈夫だろう」という安易な想像で私のことを気にかけない。

たとえば今、この瞬間、私が自分の首に縄をかけ、さあ! あとはこの踏み台を思い切り蹴るだけだ! と、この世界に別れを告げる状態だったとして、誰がそれを気にかける? 誰がそれに気がつく?

誰も彼も気にかけない。気がつかない。私は透明だから。色と体温を失った人間はこの世界では生きていけない。自ら自分を殺さなくとも、その時点ですでに死んだも同然だ。

みんな知らぬ間に人を、私を透明にしている。知らぬ間だから罪はない。知らなければ「知らなかった」「しょうがなかった」「そんなに大変だとは思わなかった」などと驚いた表情をして、次に涙を浮かべながら「もっと早く気づいていれば……」と言う。

人は過去の過ちから学ばない。これまで幾度となく多くの過ちが繰り返されてきたにもかかわらず、人は、人を透明にすることをなくせない。今日もまた多くの人が透明になり、この世界に別れを告げている。過ちが永遠に繰り返される世界で私たちは生きている。

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