死にたい

夜寝る前、死にたいと思う。意識があることがつらい。これ以上、目を開けていることはできない。心がバラバラになってしまう。一刻も早く寝なければ。そう思い目を閉じる。これで、死にたい気持ちとサヨナラだ。バラバラだった心が少しだけ元に戻っていく音がする。心地よい音を聴きながら、深い眠りへとつく。

朝起きて、死にたいと思う。死にたい気持ちは消えていなかった。ただ姿を隠して、出てくるタイミングをうかがっていただけだった。死にたい。起きてすぐに死にたいと思う。朝の目覚めのお出迎えに死にたいコール。再び目を閉じても、寝返りを打っても、もうイヤだと毛布をかぶっても、なにをしても消えない。私の中から、死にたい気持ちは消えない。

死にたい。このまま目を閉じて、一生目が覚めなければいいと思う。死にたい気持ちにあらがいながら生きることの、耐え難い痛み。ただただもう生きられないと感じている。すべてを手放して、解放されたい。将来への不安、周りの目、親からの期待、自分のプライド、なにもかもが自分を殺す理由になる。

カーテンから、かすかに漏れる太陽の光。それを全身に浴びたら、死にたい気持ちが少しは減るだろうか。完全になくならなくてもいい。少し減ればいいだけ。そんなに多くない希望を抱きながら、カーテンに手を伸ばす。届かない。あと少し、もう少しなのに、届かない。目測では届く距離なのに、伸ばした手はカーテンに届かない。心が生きることを嫌がっている。

力なく戻した手。うずくまる。小さな体はさらに小さくなる。もうこれ以上は無理だ。ここで私の人生は終わるのかもしれない。何もできなかった。誰かに誇れるような経験も実績も学歴も、何もない。ただ苦痛の中で、その日を生き延びることに精いっぱいだった。一日を生きたら、もう一日。そうやって、なんとかここまで生を引き延ばすことができた。

しかし、どうやらもうダメらしい。心の生きる気力がなくなっている。ここまでよく頑張って生きた。だから、もういいのだ。疲れ果てた心を休ませるために、私という人間はこの世界からフェードアウトすることに決めた。それが心を助ける一番の方法なのだ。最後に言い残すこと? そんなものはない。それを考える気力があるなら、まだ頑張って生きるだろう。もう私にはなにもないのだ。苦痛の感情以外はなにもない。

さあ、このまま目をつむれば、私は一生目が覚めない。もうまぶたが半分閉じている。見える世界はいつもの半分。少しずつ、少しずつ、世界は狭くなっていく。最後に見るものは、あぁ、自分自身だ。涙を流している私が見える。今までこの苦痛に耐えてくれてありがとう。もうすべて終わりだ。解放される。ありがとう。サヨナラ。

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