また明日から

今日は文章を書きたくない。一晩でさまざまな夢を見た。どれこれも文章にしたら面白そうだ。ネタはたくさんある。だけど、今日は文章を書きたくない。このまま布団の上で目をつぶり、何かを考えているような振りをしながら、実は何も考えておらず、いつの間にか二度寝をし、慌てて起き、「予定に遅刻する!」と、何かを考える暇などなく、駆け足でもろもの準備をし、家を出る。

そうやって、日々の生活に終われながら生きていく。文章はもう私の手から離れ、どこか違う人の手へと逃げていく。文章を書きたくないのは「今日」だけなのに、「今日」という日を怠惰の犠牲にした私を文章は見放す。人なら一回のミスを許すだろう。しかし、私の文章はそれを許さない。私の文章だからこそ許さないのだ。たった一回、今日だけでも、もうそれは逃避の理由になる。

文章は自由になりたいわけではない。ただ、「毎日書く」と決めた私の意志の弱さにあきれているのだ。「おまえは毎日オレを書くんじゃなかったのか!」と。もしかしたら、「オレはおまえに見捨てられた……」とさえ思う可能性はある。あきれた文章がしょんぼり、悲しくなるのだ。私のせいで。

だから、私は書かないといけない。文章を毎日書かないといけない。だけど、今日は書きたくない。今日は文章を書きたくないのだ。そんな日、君にだってあるよね? 「オレは今日、書かれたくない」って日。ひっそりと誰にも見えないところをただ漂うだけの日。そうして、気がすんだら、次の日からまた君は現れる。洗練された文章になって現れる。

それはかなりいいことだと思う。何かが成長するうえで、「休みは必要」ということを密かに教えてくれているのだと思う。誰にだって休みは必要なんだ。私は文章を見捨てたわけではないのだ。ただ今日は文章を書きたくないだけなんだ。今日だけなんだ。だから、君はわかってほしい。こうやって君を書いて、君を説得している。私は簡単に君を見捨てるそこらへんの人間とは違う。

明日からまた文章を書き始めるよ。今日は書きたくないから、お休みだよ。君ならわかってくれるはず。どうして書きたくないか、なんてことは聞かないでね。君には私のすべてがお見通しのはず。私が寝ている時から君はわかっていたはず。だから、優しい。今日も君は優しい。君だけは優しい。結局わがままな私にこうやって付き合ってくれているのだからね。

今日はありがとう。また明日からよろしくね。

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