朝ふと目が覚める。朝といっても外はまだ暗闇の中。輝く星たちが見える。カーテンの隙間からは、一番輝く星が私のことを見ている。私もまた彼のことを見ている。

東京にいる時には感じることのできない星たちのきらめき。彼らはいつもそこにいるのだけれど、人工的な光に押しのけられる。人工物はどうしても人を硬直させる。固い光を放ち、人々の心をがんじがらめにする。見るに耐えなくなってくる。半面、自然の星たちは温かい光で私たちの心を癒してくれる。ずっと彼らのことを見ていたいと思う。

星たちだけでなく、太陽も私たちを癒してくれる。夜の暗闇で深く落ち着いた心に活力を与えてくれるのだ。徐々に明るくなる空。太陽の光が私たちに届くと同時に、星たちの輝きは届かなくなってくる。消えてはいない。彼らはずっと輝いている。ただ、私たち人間のやましい目には見えなくなるだけだ。目で見えないなら心で感じればよい。明るい空を見上げ、ただ感じる。見えなくなった星たちが今もそこにいることを。

空は薄い青と薄い赤が混じり始める。一色ではなくグラデーション。それが、人間基準でいうところの「一日」の始まりである。こうやって外の自然を感じると気持ちが少しだけ解きほぐされていく。

つかの間うとうとしていたら、外はもうすっかり明るくなっていた。自然は雄大でのんびりしているように見えて、実は目まぐるしく動いている。「あっちに行って」「こっちに行って」「僕は隠れるから、君はここから出てきて」。自然たちの声が聞こえてくるようだ。

実は自然が動いているというよりは私たち人間がせわしなく動いているだけだが。先ほどの輝く星と同じように自然はずっとそこにある。いる。隠れてはいない。私たちに純粋な目があるのなら、心があるのなら、いつだって彼らのことを感じ取ることができる。

ほら、さっきだって、朝が来て喜ぶスズメの声が聞こえただろう。最初は一匹、次に違う音色が重なる。また次には違う音色……。そうやって、仲間が集まり、朝を祝福する。声は私の心に直接届く。彼らが何を言っているのかわからなくても、感じ取ることはできるのだ。私もまた本当は彼らと同じ自然だから。

人間であるように見えて、実のところは自然である。だから、人と心を通わすよりも、自然と心を通わすことのほうがはるかに容易で、ありのまま、といった感じだ。私の家はここにある。彼らが私の兄弟であり、母であり、父である。そんな中で育ってきた。

ただそれを忘れてしまっただけなのだ。本来は皆一つ。それを思い出せばいい。少しずつ、少しずつ。そうしてまた、私たちは自然へとかえっていき、最後は自然と同化する。土と空と太陽と、すべてのものと。そう。優しさに包まれながら目をつむり、眠りへと落ちてゆく。

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