分断の可視化とあったかもしれない未来

音楽やりてー

なんか、もしも音楽やってたら今頃どんな人生やったんかなとかよく思う。毎日思う。毎日音楽を聴くたびに思う。

小さい頃からピアノはやってたけど本当はずっと歌が歌いたくて、でも親にそれを言うとバカにされるというか反対されるというか、もっとそれ以上の根本的否定をされると思って言い出せないままだった。

そんなこんなで大学生になり就活の時期になって、軽音サークルで歌を歌うようになっていた自分は歌うことに自信を持ち始めていたので一大決心をしてついに親に言ったのである。

私は歌がやりたいのだと。両親二人の前で。話があるとか言って。

結果は当然ノーである。お前は何言ってるのか?大学の人に毒されたのか?夢でも見てるのか?みたいなテンションでノーである。

この時に最終的な分断が決定してしまった気がする。

私がどれだけ音楽を愛しているかなどこの人たちには伝わるはずもなければ、理解しようという気もないのだと知らされてしまった。

何より小さな頃からの関係性が良くなかった。もしも本心を伝えられるような仲だったのなら、もっと小さな頃から歌を始めることができただろうし、

夢の実現に向けて現実的に動いたかどうかは別として、協力してもらえた、共に歩んでもらえたという信頼感を彼らに対して持つことが出来ただろう。

だけど私の親はそうではなかった。

その上、突然、理由もわからぬようなことで、タイミングで、怒りだすような人たちだったから、

私は自分が本当に好きなことについて話し、それを否定されることだけは嫌だった。それを恐れていたのに、結局それは現実となった。

親の言うことは絶対となった人生の中で私はあっさりと音楽を諦めて、自分なりに右へ左へ奔走し、いろんなことがあったけど、

結局いまはわけのわからない病気になってしまった。

体も自由に動かせなくなり、この体の支配者はもう私ではなく、神か何か、一体誰なのかわからない何かに閉じ込められて、

ただ毎日に絶望し、ささやかな出来事に傷付いては悔し泣きに枕を濡らしている。

もしもあの時、それとももっと子供の時から自由な人生が歩めていたなら、私はこんな体にならずに済んだのだろうか。

たとえ夢が叶っていなかったとしても、こんな体にならずに済んだというただそれだけで、それ以上に幸せなことはなかっただろう。

なんで生きてるんだろう。

苦痛ばかりの肉体の中で私の心だけが暴発しそうに叫んでいる。

早く楽になりたくてしぬことを想像してしまう。

空気にでもなった方がマシだ。

ジ・エンド


HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞