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平成ライトノベル史――#ライトノベルオールタイムベスト のための走り書き

※この原稿は、2018年末~2019年初頭に羽海野渉が書き、その後『#ライトノベルオールタイムベスト』の選考における指針となった論考である。なお、『PRANK! Vol.4』に掲載された原稿は本稿の草案であり、似ている部分があることをここに記しておきたい。また、2021年現在、少し異なる部分があることを注記しておく。


ですので、過去に書かれた原稿であることを考慮したうえで、『#ライトノベルオールタイムベスト』と合わせて読んでください(今ならもっと違う感じに書きます)。そっちがメインです。


◆はじめに

 ライトノベルという単語をご存じだろうか。もしあなたがご存じないとしても、書店などの片隅でアニメや漫画に近いイラストが表紙に装丁された書籍を見たことがあるかもしれない。ライトノベルとは戦前の少年小説や戦後まもなくのジュブナイル小説などを祖として、アニメや漫画などのコンテンツと密接な関係を保ちつつ発展を遂げてきた小説群である。

 そんなライトノベルであるが、その歴史が振り返られる機会は意外に少ない。90年代初めより名前が冠されなかったものの発展してきたライトノベルは(もっとも1990年末にパソコン通信上の大手「ニフティサーブ」上において上北恵太がライトノベルという名称こそ提唱したものの、定着するまでに時間を要した)、ゼロ年代初頭にそのジャンル名が定着すると同時に東浩紀や新城カズマらが中心となったライトノベル批評ブームが巻き起こった。しかしその流れは数年で鎮火。それらに追随する流れは大学教員である大橋崇行や山中智省らによるライトノベル研究会の諸活動が辛うじて通年ペースで続いているくらいであり、彼らの活動を纏めた書籍『ライトノベル・フロントライン』(2015〜)も三号出たのみでその後活動録が刊行されていないところを鑑みるに、ブームも下火となりそれらの評論書を買い支える読者が減ったために続刊が刊行されなくなったと見てよいだろう。そもそもエンターテイメントという事物は生み続けられると同時に消費され続けるものであり、批評の対象として取り上げられたり、歴史を体系化して振り返られることというのは少ない。ましてやライトノベルはアニメや漫画、ゲームなどという他のエンターテイメントと比較するとやはり少数しかそういった研究は成されていない。


 しかし、読者がいないからといって歴史を体系化しなければいずれ振り返るという機会が出来た際に、ゼロ年代後半のライトノベル批評ブーム以降の歴史が纏められていないことは由々しき自体であろう。また、その時期に流通したライトノベル史というものも大きな問題を孕んでおり、そのまま語り継いで良いものではないのではないかという議論が大橋によって提起されている。その大橋の論旨とは、東や新城、大塚英志、大森望らによるライトノベル史はあくまで「自らが過ごした少年期に刊行された作品」をライトノベルの祖としているのであり、あくまで「筆者主観のライトノベル史」にしかなっていないのではないかというものだ。


 例えば、大森と三村美衣による『ライトノベル☆めった斬り!』(2004)は二人がライトノベルの歴史を紐解きながら各作品をピックアップしそれについて語るという内容を書き起こした対談本だ。その中において大森は「ライトノベルの第一号は平井和正の『超革命的中学生集団』である、という結論に到達しました」と発言しているが、大橋はこの結論に対して嫌疑を示している。大森は『超革命的中学生集団』(1971)の刊行当時に11歳であり、「同時代にいた一人の読者として感じとった自分自身の体験を語っているにすぎないもの」と大橋はこの記述を否定しているのだ。確かに『超革命的中学生集団』は漫画家・永井豪による表紙イラストが装丁されていることが当時の中ではエポックメイキングな出来事であったことは事実である。しかし、その一点と中高生を主人公としたストーリー設定だけを理由にして第一号と決めてしまうのは思い出補正による大森の主観ではなかろうか。


 こういった思い出補正や自身がファンである作品群・ジャンルに偏ったライトノベル史が出版され、それに後続する資料が制作されていない現状を鑑みると、やはりゼロ年代後半からライトノベルに関する言説が更新されていないのは問題である。前述したえライトノベル読書会の活動こそあれどそれだけでは移りゆく流行や文脈を捉えきっているとは言い難いだろう。


 また、この十年間に「小説家になろう」や「カクヨム」などといったインターネット上の小説投稿サイトから産まれた作品が根強い人気になり、書籍だけでなくその流れを追う必要がある。特にこれらのサイトでは独特のジャンルが派生し数多く生み出されており、それらについて言及していないゼロ年代中盤の書籍群では現状のライトノベルについての説明が難しい。川原礫『ソードアート・オンライン』(2009~)や暁なつめ『この素晴らしい世界に祝福を!』(2013~)、長月達平『Re:ゼロから始める異世界生活』(2014~)などの人気作が多数映像化されており、それらについて触れずに現在のライトノベル事情を語ることはできないだろう。

 このように体系化されていないからか、書店や図書館など普段書籍に親しんでいるはずの人物でも現在のライトノベルについて説明できる者は少ない。中でも問題視しているのは、私が受講した大学の講義での話である。その講義では元図書館員が教鞭を執っており、図書館の現状を伝えるという内容の一環としていわゆるヤングアダルト書籍について説明がなされた。ヤングアダルト書籍とは中高生に読んでほしい書籍を図書館員がセレクトしたものだが、ライトノベルも読者層の被りからそこに所収されることが多い。そこでライトノベルについても彼女は説明をしたのだが、そこで挙げられた作品群は現在のそれではなく十年前のライトノベルに対する認識であった。もちろんこれに関しては彼女が現役図書館員であった時期から逆算すればあまり齟齬は生じないのだが、この遅れた認識が学生にそのままインプットされそのまま流通してしまうというのは甚だ問題ではないだろうか。また、教鞭を執る者が最新の事情にアップデートしていないのというのも問題ではあるが、それを知るための体系化がなされていないのではないだろうか。


 そこで本稿ではライトノベルについてその成り立ちから現在まで、平成三十年間を中心に論述する。そもそもライトノベルとはどのように発生しどのような変遷を辿って現在まで至ったのか。また、これからライトノベルはどのように変化をしていくのか。このような点を重要視しつつ、前述の東や新城、大塚、大森らが代表とされる文献や言説を比較・参考していきたい。


 私事であるが、2018年8月より「コレ!」というWebサイト上において『ライトノベルの特異点はどこですか?』という連載を「羽海野渉」名義にて開始した。この連載を始めるにあたっての問題意識は本稿と同様であるが、ライトノベル評論ブーム以降の作品・作家に限定して論じていこうというものになっている。この連載に対して現役のライトノベル作家や研究者からも反応を頂いており、このような研究は意義があることを再確認した。そこで、本稿では連載よりも範囲を広げて「ライトノベル史」を紡いでみてはどうかと考えた次第である。


 それでは、ライトノベルの歴史を次章より紐解いていきたい。

◆第1章 ライトノベル前史から90年代

 ▼第1節 ライトノベルが生まれるまで

 ライトノベルの始祖については諸説ある。その代表的な例として挙げられているのは戦前から続く少女小説および少年小説からの影響であるという説と、戦後に登場したソノラマ文庫などのジュブナイル小説群からの派生であるという説だ。


 まず前者は大橋らが提唱し、近年有力となっている説である。明治時代より複数の雑誌にて連載されてきた少女小説は、主な読者層とされる少女たちに向けてファンタジーや恋愛などを中心に紡がれた小説群であった。対象読者層と作風が現在まで続くコバルト文庫や角川ビーンズ文庫などの諸レーベルに引き継がれており、確かにライトノベルの始祖といえるだろう。


 少年小説についてはこれらの流れを汲んで明治後期から大正時代にかけて生まれた小説群であり、現在の大衆小説に接続される吉川英治らの作品がそれにあたる。少年小説は冒険小説や探偵小説、SFなどを内包したジャンルでありここにもライトノベルとの類似点を見いだすことができるだろう。


 これらの小説群が現在のライトノベルの始祖と呼べるほどに見せた変化を、戦前に出版された雑誌「少年倶楽部」における諸作品に確認することができる。特に島田啓三『冒険ダン吉』(1934〜1938)は漫画的手法を取り入れ、キャラクターの容姿を文中にて指定せずイラストにて説明するという手法を使用。イラストをテキストの補完的役割として用いることを行ったのである。このような絵物語形式が少年小説に取り入れられ、それがテキスト量の増加に伴って現在のライトノベルのような形式に発展していったのである。


 対してソノラマ文庫などのジュブナイル小説群がライトノベルに派生したという説はゼロ年代中盤のライトノベル批評ブームでは東や新城らによって盛んに唱えられたものだ。この言説に対しては前述の通り筆者の主観が中心なのではないかという疑いもあると同時に、少年小説などに対する研究がテン年代に差し掛かってから活性化し的た事実を鑑みると、それらに対して影響を与えたものを考慮せず突然変異的に現れたと主張しているとするのが妥当であろう。


 しかし、『宇宙戦艦ヤマト』(1974〜1975)や『機動戦士ガンダム』(1979〜1981)など多数のテレビアニメなどのノベライズ作品を輩出したことや、笹本祐一『妖精作戦』(1984〜1985)のような比較的読者層に近い作家(笹本は執筆時点で二十代であった)による「中高生を主人公にした現実離れした物語」が生まれたという事実は現在に至るまでのライトノベルに影響を与えたことは疑いようもない。

 ▼第2節 角川スニーカー文庫と富士見ファンタジア文庫の創刊

 ソノラマ文庫などの諸作品が刊行されると同時に、日本ではファンタジーゲームが大ヒットを博していた。特にメジャーなところはファミリーコンピュータで発売された『ドラゴンクエスト』(1986)であるが、それよりも前にTRPGとして『ダンジョン&ドラゴンズ』(1974)が輸入される。


 TRPG(テーブルトークRPG)は名が示す通り卓上でサイコロを用いて進行するゲームである。ゲームマスターが素案となるシナリオを用意し、それを中心としてプレイヤーの思いつきによってストーリーの行方が左右されるというところが魅力だ。これらのゲームは最終的な結果となるストーリーをリプレイとして小説形式にすることがある。その流れを受けて「コンプティーク」に水野良『ロードス島戦記』(1986〜1993)が連載される。


 『ロードス島戦記』は『ダンジョン&ドラゴンズ』をゲームシステムの基礎としつつも水野や原案者の安田均らのオリジナル要素をふんだんに織り込んだファンタジー小説である。水野らはもともとTRPGのリプレイを同誌にて連載していたが読者からの人気に押される形で小説化を決意。イラストレーターの出渕裕による挿画を装丁し、角川文庫より文庫化されることとなった。


 当時、田中芳樹『アルスラーン戦記』(1986〜2017)などファンタジー小説が中高生に人気を博していたこと(ソノラマ文庫などの影響もあると考えられるが)からこれらを刊行していた角川書店はファンタジー小説などを中心とした新レーベルの設立を思い立つ。読者からの公募を経て名称を角川スニーカー文庫としたそれは、1989年8月に『ロードス島戦記』や『機動戦士ガンダム』を移籍させる形で創刊された。


 同時期となる1988年に富士見書房は「コンプティーク」の影響を受けて「ドラゴンマガジン」を創刊する。小説や漫画を掲載する総合誌という立ち位置だったが、のちに小説が中心の文芸誌となっていく。同誌は連載小説の文庫化という名目で富士見ファンタジア文庫を創刊。そして同誌にて連載とその文庫での刊行を前提とした新人賞・ファンタジア長編小説大賞を開始することとなった。


 同賞は角川スニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫、ソノラマ文庫に代表される「イラストを装丁した中高生向けの小説群」を募集した最初の新人賞であり、事実上現在のライトノベルに連なる文脈において意識的にそのような小説群を書こうとして応募する最初の試みだったといえるだろう。また、この第一回にて準入選を果たしデビューした神坂一は『スレイヤーズ!』(1989〜2008)を刊行。同作の意欲的な擬音描写や魅力的なヒロイン像はまさにライトノベルの基礎を築いたエポックメイキングなものだった。

 つまり、90年代に入るまでに角川書店と富士見書房という二社が互いにレーベルを築き、『ロードス島戦記』『スレイヤーズ!』という両レーベルを代表する作品を刊行したことで現在ライトノベルの呼称される小説群の根底が作られたのである。
 

 ▼第3節 角川書店お家騒動による分裂

 1992年、角川書店の後継者争いによるお家騒動によって創業者の次男である角川歴彦が同社を退社する。退社した歴彦は新しく出版社・メディアワークスを設立。同社では新たなライトノベルレーベルとして電撃文庫を創刊するが、その際に「コンプティーク」や角川スニーカー文庫ゆかりの編集者を引き抜くことで作家陣やシリーズも複数引き継いだ。深沢美潮『フォーチュン・クエスト』(1989〜)や中村うさぎ『ゴクドーくん漫遊記』(1991〜1999)がそれにあたり電撃文庫創刊期を牽引し、ファンタジー小説を多く刊行することになる。


 しかし電撃文庫も新人賞である電撃ゲーム小説大賞(現・電撃小説大賞)に応募された投稿作によってそのレーベルの傾向を変容させていくようになる。その大きな変換点となったのが第四回大賞を受賞した上遠野浩平の『ブギーポップは笑わない』(1998〜)である。


 『ブギーポップは笑わない』は“世界の敵”と相対するために少年少女たちがもがいていく様を描いた群像劇である。ファンタジー小説が隆盛を極めていた時代に問われた現代日本を舞台とした中高生たちの群像劇は、主な読者層とされる中高生を中心に人気を博すこととなる。電撃文庫ないしライトノベル全体は、本シリーズの影響を受けてゼロ年代初頭に至るまでファンタジー小説と同時に現代日本を舞台とした中高生たちの物語も多く出版されるようになる。

◆第2章 ゼロ年代 美少女ゲームの影響

 ▼第1節 セカイ系ムーブメント

 ゼロ年代に入ると同時にライトノベルは、『ブギーポップは笑わない』や時雨沢恵一『キノの旅 the Beautiful World』(2000〜)などのヒットを受けてストーリーがバッドエンドとも取れるような悲観的物語が多く排出されうようになる。この悲観的物語のムーブメントは同時期に最盛期を迎えた美少女ゲーム(いわゆるビジュアルノベル)からの影響が見受けられる。


 90年代後半に最盛期を迎えた美少女ゲームは、同時期に多くのメーカーによって多数のタイトルがリリースされた。中でもKeyによる『Kanon』(1999)や『AIR』(2000)、『CLANNAD』(2004)に代表される「泣きゲー」と呼ばれる作品群は同時期に発表されたライトノベルやアニメなどのエンターテイメントに多大な影響を与えている。


 これらは「セカイ系」と呼ばれる「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、『世界の危機』『この世の終わり』など、抽象的な大問題に直結する」事項を描いた作品群とされ、主人公とヒロインが読者と同じ現代日本に生を受けながらも、およそ現実的ではない世界の危機と立ち向かっていく様を描いた物語を描いている。これらの直接的な影響を受けた作品として新海誠による短編アニメ『ほしのこえ』(2002)や秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』(2001〜2003)が挙げられるだろう。


 これらの作品に共通していえることは、『スレイヤーズ!』より引き継がれていたヒロインが戦闘を行う戦闘美少女というスタイルがある種の完成を見たことである。元々はファンタジーゲームからの影響により現代日本ではないファンタジー世界を舞台としていたので普遍的に受け入れられていたが、『ブギーポップは笑わない』や『イリヤの空、UFOの夏』といった現代日本を舞台とした作品によって戦闘美少女といったモチーフが引き継がれることとなった。これがその後のライトノベルにおける重要なフォーマットとして作用していく。


 また、これらの文脈として角川スニーカー文庫からその新人賞たるスニーカー大賞を受賞して刊行された谷川流の『涼宮ハルヒの憂鬱』(2003〜)が登場。『涼宮ハルヒの憂鬱』は傍若無人な女子高生・涼宮ハルヒが彼女が退屈しない出来事を巻き起こしていくというSF青春ストーリーである。ここで重要なのは本作がSFギミックを用いてセカイ系を青春ストーリーの文脈に持ち込んだことだ。これは『妖精作戦』や筒井康隆『時をかける少女』(1967)といった先行作品をモチーフに作ったことが谷川本人によって語られており、ライトノベルというジャンルがまさしくそれらの文脈にあることを示す材料となるだろう。

 ▼第2節 ジュブナイルポルノ

 さて、前節にて美少女ゲームについて言及してきたので、そのノベライズやその直接的な流れであるジュブナイルポルノに言及しておきたい。ジュブナイルポルノとはライトノベル的手法を用いた官能小説のことだ。そんなジュブナイルポルノがどのように生まれ、発展してきたかについてここで短く纏めてみたい。


 ジュブナイルポルノだが、このジャンルが産まれたのはライトノベルとほぼ同時期とされている。官能的な描写さえあればどのような自由な作風でもリリースできるという土壌があったアダルトアニメブームと呼応するように1986年、同名アニメのノベライズ『くりいむレモン』(1986〜1993)が刊行される。最初期はアダルトアニメのノベライズが主であり、オリジナルのジュブナイルポルノに限定したレーベルは創刊されなかった。しかし1993年、官能小説の雄であるフランス書院よりナポレオン文庫が創刊。数十枚にも及ぶ挿絵が装丁され、官能小説と成人コミックの合いの子的要素で人気を博していく。


 1990年代後半になると前節までで触れたように美少女ゲーム人気が過熱。『同級生』(1994〜1997)や『痕 〜きずあと〜』(1996)など多数の作品がノベライズ化される。しかしゲームの膨大なテキスト量に比べ限られた紙幅ではどうしても内容はダイジェストとなってしまい、ファンアイテム的要素が高かったのではないかと推察できる。中には原作を再編したり、オリジナルストーリーを原作のシナリオライターが書きおろす試みが為されたが、現在へ続いていないことからも不発だったといえるだろう。


 ゼロ年代に突入すると美少女文庫と二次元ドリーム文庫、二見ブルーベリー文庫が相次いで創刊される。特に美少女文庫は現在まで存続するレーベルの一つであるが、創刊当時のラインナップに複数の成人コミックや美少女ゲームで知られるイラストレーターのみさくらなんこつを起用しており、美少女ゲームの影響が如実に表れたレーベルだった。とはいえ美少女文庫の編集長は当時を回顧して「創刊当時は萌えで行くのか、鬼畜で行くのかまったく決まっておりませんでした」としており、読者からの反応で作品の傾向が変わっていったと考えられるだろう。


 しかし、これらのジュブナイルポルノレーベルは美少女ゲームのそれと同じようにゼロ年代後半から刊行数が減少。これらの要因としてはシナリオの重視に伴って即物的なエロスを求めていた読者が離れたことが挙げられるだろう。


 テン年代に入ると小説投稿サイト「小説家になろう」の成人向け分家である「ノクターンノベルズ」からの書籍化作品や、ゆきよし真水『夏期補習』(2016)や水龍敬『おいでよ!水龍敬ランド』(2017)といった同人作品のノベライズが増加。また、オリジナル作品でも一般向けライトノベルレーベルで執筆している作家・イラストレーターを積極的に起用しており、新たなファンの獲得に努めている。

◆第3章 ゼロ年代 一般文芸との相互作用

 ▼第1節 「ファウスト」の創刊

 話を戻したい。主題は、セカイ系ムーブメントののちにどのような動きがライトノベルにもたらされたのかである。結論から言ってしまえば、これらのムーブメントは収束したものの、その物語性が失われることはなかったということだ。その例として、上遠野の作品に影響を受けた読者が作家になることで、その影響下にある物語が多数生み出されたことが挙げられるだろう。


 非ライトノベルレーベルであり、ミステリや伝奇小説を得意とする講談社ノベルスではメフィスト賞という新人賞が開催されている。その第二十三回を『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』で受賞し、デビューを果たしたのが当時20歳の青年であった西尾維新だ。『クビキリサイクル』は西尾が特に影響を受けたと語る上遠野の作風を引き継ぐものであり、本作を端に発する「戯言シリーズ」(2002〜2005)は序盤こそミステリ小説となっていたが、巻数を増すごとにアクション描写が増加。セカイ系へのアンチテーゼを含みつつ完結に至るという結果に相成った。もちろん、講談社ノベルスというレーベルの特性上、公式的にはライトノベルという定義内にある作品ではない。しかし、表紙イラストにイラストレーター・竹による可憐な美少女が描かれていることで、多くの読者にはライトノベルとして認知されているのではないだろうか。また、西尾と同じくメフィスト賞出身の佐藤友哉も上遠野の影響下にあることを告白している。


 この時期、セカイ系と並ぶ形でライトミステリー作品が多く出版された。ライトノベル初期から存在感を放つ角川スニーカー文庫は文庫内レーベルとしてスニーカー・ミステリ倶楽部を、富士見ファンタジア文庫は派生する形で富士見ミステリー文庫を創刊。前者からは米澤穂信『古典部シリーズ』(2001〜)、後者からはあざの耕平『Dクラッカーズ』(2000〜2007)や桜庭一樹『GOSICK ‐ゴシック‐』(2003〜2011)などの重厚感ある世界観を舞台に描かれる物語が多く紡がれた。


 これらの作品群は文芸誌「ファウスト」の創刊によって人気が加速する。上遠野の影響下にある西尾と佐藤、並びにミステリ界でも異端の扱いを受けていた舞城王太郎(舞城もメフィスト賞受賞者である)が中心執筆者となり構成された「ファウスト」は小説とイラストを織り交ぜた誌面が作られることで、従来のミステリ界隈というよりはライトノベル読者に注目されるものとなった。同人ゲーム界で確固たる地位を築いた奈須きのこや竜騎士07が中途参加したことも大きいだろう。これに対するカウンターとして早川書房はハヤカワ文庫JA内において「次世代型作家のリアル・フィクション」と題する文庫内レーベルを開始し、冲方丁『マルドゥック・スクランブル』(2003)や新城カズマ『サマー/タイム/トラベラー』(2005)などが刊行されている。


 「ファウスト」は創刊当時より東や笠井潔、斉藤環といった批評家を起用することで、小説と批評をリンクさせる体制を構築した。 ゼロ年代中期にライトノベルと批評が非常に密接な関係を保有した理由はここにある。元来、小説と批評は切っても切れない関係にあったが、ファンタジー小説が隆盛を極め、読者層が低年齢化した。その過程でその関係が断たれてしまったのである。しかし、ここで東らがライトノベルにコミットしたことで関係が再構築され、『ブギーポップは笑わない』以降の物語群が評価された。この結果がライトノベル作家のレーベル外流出である。

 ▼第2節 一般文芸へ越境した作家たち

  『GOSICK ‐ゴシック‐』の桜庭一樹は2004年、富士見ミステリー文庫より『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』(2004)を発表した。萌えイラストによる装丁こそライトノベルっぽさを保有していたが、描かれた内容は少女が父親に虐待されその果てに殺されてしまうというサスペンスである。この作品により注目された桜庭は、翌年に『少女には向かない職業』(2005)を東京創元社より発表。2008年には『私の男』(2007)で直木賞を受賞した。 それ以外にも、前述の佐藤が『1000の小説とバックベアード』(2007)にて三島由紀夫賞を受賞している他、文学賞こそ受賞していないものの多数のライトノベル作家が一般文藝へと活動の場を広げた/移した。中でも電撃文庫は『空の中』(2004)の刊行後、意図的に単行本判での刊行を行っているがここは後述する。


 その中で注目したいのは作家たちが描いてる主題だ。橋本紡は『猫目狩り』(1998)にてデビューした後、『半分の月がのぼる空』(2003〜2006)でブレイクを果たした。『半月』は難病の少女と出会った主人公の淡い恋を描いた物語だ。この物語の完結と前後する形で、単行本判の『猫泥棒と木曜日のキッチン』(2005)を刊行した。本作はもともと電撃文庫より刊行されていた『毛布おばけと金曜日の階段』(2002)に対してのアンサーソング的役割を担っている。そして本作以後、単行本判での刊行を続けている。それらの作品を貫く作品性は『半分の月がのぼる空』の頃、古く言えば『リバーズ・エンド』(2001〜2004)から変化していない。桜庭も一般文藝に移行することで性の香りが強くなったものの、主題としているものはゼロ年代初頭に刊行された『赤×ピンク』(2003)や『荒野の恋』(2005〜2008)から変化していない。つまり、ライトノベルから流出した作家たちは媒体によってテーマ性を変えたわけではないということだ。


 これが意味するのは何か。中高生を主な読者層として想定していたライトノベルにおいて、90年代後半からの主な読者層は既に成人を迎えてしまい読者が離れていった。その中で『ブギーポップは笑わない』を端に発する現実世界を舞台に重いテーマを紡いだ作品群が文壇から再注目されることとなる。その表れが「ファウスト」や大塚英志による「新現実」だろう。それによって一般文藝より作家の青田買いが行われ、90年代中盤からゼロ年代初頭に亘るムーブメントを形成した作家たちは徐々にライトノベルから存在感を薄くしていったのである。

 ▼第3節 悲観的物語の行方

 では、『ブギーポップは笑わない』以降のセカイ系ムーブメントを色濃く受け継ぐ悲観的物語の文脈はどうなったのか。これまでのライトノベルシーンを支えた作家たちが多媒体へと流出したことで、ライトノベル自体が多媒体からライターを確保する必要が生じた。「ファウスト」では前述のようにアドベンチャーゲームのライターであった奈須と竜騎士を中途参加させている。奈須は上遠野の影響を受けたと語っており、その物語性は『ブギーポップは笑わない』の延長線上にあると位置づけることが可能だろう。竜騎士は自身の制作するゲームのノベライズを中心にライトノベルにコミットしたが、その物語性は悲観的なサスペンスであった。


 「ファウスト」の系譜としてここで2006年に創刊された講談社BOXを挙げておきたい。中心となった人物はどちらも編集者・太田克史である。太田は西尾や奈須、竜騎士といったライターを中心にして講談社BOXを運営していくこととなる。ここで登場するのがこれまでライトノベルを執筆していなかった小説家たちだ。島田荘司が講談社BOXに、筒井康隆が「ファウスト」に参加したのである。前者はファンタジーSFであり、後者はセクシュアルSFと元々彼らが一般文藝にて行っていた作品性をライトノベルに持ち込んだ。これは前述の流出した作家たちも行っていたことと同じであるが、アニメ・マンガ調のイラストが装丁されることの多いライトノベルにおいても一般文藝と同じ作家性を保有した物語を紡ぐことが可能であるという証である。特に筒井の執筆した『ビアンカ・オーバースタディ』(2012)はいとうのいぢのイラストによって彩られていたが、内容としては筒井色の非常に強いものであり、角川文庫という一般レーベルに所収されたこともその表れと言えるのかもしれない。ちなみに、講談社BOXより太田は途中離脱し、星海社という出版社を設立している。そこへ「ファウスト」並びに講談社BOXの主な執筆者(西尾以外)を引き連れていった。


 講談社BOXとほぼ同時期——2007年5月に創刊されたレーベルがガガガ文庫である。これまで主立って触れてきたレーベルは角川書店を中核とする書店が設立したものか、太田を中心とする講談社の動きだったが、ガガガ文庫の主体は小学館である。小学館は元々スーパークエスト文庫を1992年に創刊していたが、2001年に休刊している。スーパークエスト文庫はファンタジーもののブームを引き継いで創刊されたが、ノベライズの占めるウェイトが多く、これといったヒット作を生み出せなかった。その小学館がライトノベルに再参入する際、実験的な作風を受け入れる土壌を形成し、これまでにないライトノベル作品を放とうと試みた。初期のガガガ文庫ラインナップを見てみると、田中ロミオ『人類は衰退しました』(2007〜2016)や深見真『武林クロスロード』(2007〜2009)など、悲観的物語性を色濃く想起させるものが多くなっている。また、後者や虚淵玄によるノベライズ『ブラック・ラグーン シェイターネ・バーディ』(2008〜2011)など硝煙の臭いが強い暴力的作品も多くラインナップされたことも大きな特徴だろう。


 ここで田中と虚淵について触れたが、彼らも元を正せばライトノベル作家ではない。アドベンチャーゲームのシナリオライターである。奈須や竜騎士もそうであったが、何故ゲームのシナリオライターがライトノベル業界に招かれたのかといえば、比較的早く文章量を多く執筆することが可能であり、その上元々のファンをライトノベルに呼び込むことが可能だからだ。特に竜騎士は前述のように自作のゲーム『ひぐらしのなく頃に』(2002〜2006)や『うみねこのなく頃に』(2007〜2010)をノベライズすることで、ゲームやアニメ版と相互作用を果たしている。つまり、他媒体から作家を招き入れることで流出した作家の穴埋めを果たすとともに、読者を呼び込むことに成功したのだ。

 ▼第4節 ライトノベル批評によってどのような影響が生まれたか

 「ファウスト」にて東ら批評家がライトノベルにコミットしたが、彼らはその後どうなったのか。結論から言ってしまうと、ライトノベル批評から去っていった。その理由を正すと、彼らが注目していた作家陣は一般文藝などの多媒体へ流出したのである。東がライトノベル作家・桜坂洋と共作した小説『キャラクターズ』(2008)において、「私小説化したライトノベル作家」の文学賞受賞について言及していることから明らかなように、彼らが注目していた対象は『ブギーポップは笑わない』を端に発する悲観的物語性を保有した作品群でありその作家たちだった。その後の学園ラブコメには興味が無かったのだ。東らの退場以後も、坂上秋成が編集した評論同人誌「BLACK PAST」において特集されたライトノベル作家は前述の虚淵や十文字、または森田季節であったし、十文字に至っては長編『果てなき天のファタルシス』(2013)が「BLACK PAST」に一挙掲載された(後に星海社より単行本化)。大橋と山中によって編集され、2015年に創刊された「ライトノベル・フロントライン」でもその流れは引き継がれており、こちらも十文字のインタビューが掲載されている。


 では、批評家はライトノベルに触れることで何を得たか。その答えの一つが批評家自身のライトノベル作家化だ。東は『キャラクターズ』の後に『クォンタム・ファミリーズ』(2009)を上梓した。本作は量子的家族を巡るSF小説であるが、シナリオライターの麻枝准の影響とともに悲観的物語性が色濃く反映された構成となっている。また、坂上も『惜日のアリス』(2013)にて小説家デビューしており、こちらも家族とセクシュアルについての悲観的物語性に満ちたストーリーが展開された。『クォンタム・ファミリーズ』は三島由紀夫賞を受賞し、文学として評価されたがその文脈はライトノベルにあったといえるのである。


 東が受賞後執筆した『クリュセの魚』は大森望が責任編集を務めたアンソロジーシリーズ『NOVA』(2009〜)に連載された。この『NOVA』はSF作家による書き下ろしの短編から中編が数多く収録されたものだ。『NOVA』はSF作家が多く集うという性質上、ライトノベルからも森田や野﨑、木本雅彦らが参加した。この試みはどこから連なる文脈かといえば、かつて『ファウスト』のカウンターとして生まれた「次世代型作家のリアル・フィクション」だろう。この文庫内レーベルはいわゆるSF冬の時代も進行しており、冲方丁や長谷敏司らライトノベル作家によって守られていた。レーベルの刊行が途絶えたあとも、冲方や長谷らがハヤカワ文庫JAを中心にライトSF小説を紡ぐことでその火は途絶えなかったのである。その火が再び燃え上がったのが『NOVA』なのだ。つまり、東は『ファウスト』からライトノベル作家化を経てカウンターの文脈に辿り着いたのである。

◆第4章 ゼロ年代 学園ラブコメはどのような学校生活を描いてきたか

 ▼第1節 『乃木坂春香』『俺の妹』

  では、作家の青田刈りが行われた結果、ライトノベルにどのような影響が現れたのか。それを書き記す前に、オタクに対する地位について記しておきたい。


 80年代後半に発生した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件によってオタクは「現実と虚構」の境界が曖昧で事件を起こしかねないといった犯罪者予備軍のレッテルが付与された。それによってオタクの地位が底辺となり、スクールカースト上でもそれが現れた。しかし、ゼロ年代中期より後期に至るまでの『涼宮ハルヒの憂鬱』や『電車男』(2004)といった作品が社会的に流行したことで、学校の教室を中心に「自分がオタクである」ということをカミングアウトしても問題が無いような空気感が醸成された。つまり、オタクの地位が若干ではあるが向上したのである。


 その現れがライトノベルにも現れた。ゼロ年代序盤に現れたものが五十嵐雄策『乃木坂春香の秘密』(2004〜2012)である。これまでの物語群とは異なり戦闘美少女が登場せず、容姿端麗・才色兼備なお嬢様であるがオタクの気があるヒロイン・乃木坂春香と邂逅を果たした主人公の関係を描いたラブコメディだ。この作品は電撃文庫だけでなく「電撃G'sマガジン」にて連載されていた公野櫻子『シスター・プリンセス』(2000〜2003)などの美少女イラストとテキストによる作品群の流れも汲むことは注目したい点である。本作以後、主人公またはヒロインがオタクであり、戦闘描写が登場しない物語群が多数登場することとなる。


 それがゼロ年代後期に大きなムーブメントとなった。伏見つかさ『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(2008〜2013)だ。メインヒロインである高坂桐乃はファッション雑誌のモデルとして活躍するほどの美少女キャラとして描かれ、学校の教室内では友人らとともに中心人物——クラス内ヒエラルキーの高いキャラクターとして描かれた。しかし、その実は妹モノのエロゲー/ギャルゲーをこよなく愛するオタクという相反するギャップによって構成されているのである。この構造は『乃木坂春香の秘密』と酷似しているが、ゼロ年代序盤の『電車男』のように社会的地位こそ向上したもののまだある種のバイプスをかけて見られていたオタク(今では死語だがアキバ系)とは異なり、クラスの中心的人物である美少女がオタクとしてエロゲーをプレイしているという物語性が受け入れられるようになったのである。


 『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の登場後、葵せきな『生徒会の一存 碧陽学園生徒会議事録』(2008〜2012)や村上凛『おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ!』(2011〜2016)、師走トオル『僕と彼女のゲーム戦争』(2011〜2016)といった作品のように、クラスの中心的人物がオタクである/オタクに好意的な立場を取っているというものが多くなった。それはやはりオタクというものが90年代からゼロ年代初頭にかけてのアングラな存在から一転して、公言しても恥ずかしくないくらいには中高生の間で地位を確立したという証明に他ならない。つまり、これまでの悲観的物語性とは180度異なる陽の物語性がここで確立されたのである。

 ▼第2節 スクールカーストの描きかた

 さて、文庫判のライトノベルに話を戻したい。『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』のヒット以後、オタクに好意的な物語群が増加したことは前述の通りである。その中でスクールカーストを取り上げる作品が増加した。渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(2011〜)である。『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』はクラス内ヒエラルキーの低い〝ぼっち〟の少年が少女たちと交流することで学校内外の問題を解決すべく奔走するラブコメディだ。『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』が新たに取り組んだのは、ヒエラルキーの低い者が高い者に切り込むことは可能か、ということだ。


 前述のスクールカーストが社会的に問題となり始めたゼロ年代中盤から、それを題材とした小説は何作も発表されるようになった。木皿泉の脚本による連ドラ化で話題となった白岩玄『野ブタ。をプロデュース』(2004)もその一つであるし、やや後年の作品ではあるが朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』(2010)もカーストの下底にいる少年が起点となって物語がスタートしていき、様々なキャラクターの思いが交錯していく模様を描いた青春群像劇だった。


 さて、この二作品は以下の点で対比的な作品であると言える。まず『野ブタ。をプロデュース』は、カーストの下底にいる女の子をプロデュースして上の方まで持っていこうというサクセスストーリーである。一方で『桐島、部活やめるってよ』は、主人公が周辺の空気を読んでそれを破壊することを望んでおらず、現状の地位に居続けながらなんとかサヴァイブしようとする物語だ。つまり、前者は成長して良い状態に這い上がることに焦点を当てていて、後者は空気を読んで生存することに焦点を当てているわけだが、この違いにより、同じスクールカーストをテーマにこそしているものの、キャラクターの動きがとても異なっている。


 そういった作品群の流れを汲んだライトノベルの代表格として挙げられる『俺の妹はこんなに可愛いわけがない』などの作品群において、主人公とメインヒロインの地位は大きく異なっていた。『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』では冴えない高校生の兄に対してモデルの妹であったし、『乃木坂春香の秘密』では平凡な男子と容姿端麗なお嬢様である。この両者はともにヒロインの立場まで自分の地位を向上させようと試みた。特に『乃木坂春香の秘密』ではヒロインの婿になるまでの過程が描かれており、平凡な学生が令嬢の婿となったのである。対して『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』では〝ぼっち〟な主人公・比企谷八幡に対して雪ノ下雪乃という容姿端麗なお嬢様とリア充グループに属する由比ヶ浜結衣が配置されているが、八幡は〝ぼっち〟であることを利用して様々な問題に接続しようと試みるのである。その果てには雪乃や結衣といったヒロインが〝ぼっち〟であるはずの八幡に対して好意を寄せることで、逆説的に〝ぼっち〟でなくなるという現象が発生している。つまり、これまでの「ヒロインの立場まで自らを高めよう」とする主人公像ではなく、「自らの立場を利用することでヒロインが降りてくる」構造が整えられた。このような作りは学園ラブコメというジャンルにおける一種のブレイクスルーと位置づけられるだろう。

 その構造が働いている例を丸戸史明『冴えない彼女の育てかた』(2012〜2018)でも確認することが出来る。主人公・安芸倫也はオタクであり、メインヒロイン・加藤恵との運命的な出会いを果たすことで彼女をメインヒロインのモチーフとした同人ゲームの制作に勤しむ物語だ。邂逅時にはコミケのコの字も知らない状態で登場した恵は、倫也と行動を共にする中で徐々に知識を蓄えることとなる。結果、コミケのサークル参加を理由に学友からの告白を断るほどにまで恵は倫也に対して接近するのだ。オタクを好意的に見るという構造こそ『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』などの物語群と酷似しているが、構造としては『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』のそれであり、徐々に物語性が変化したことが感じ取れる。

 ▼第3節 悲観的物語の文脈

 では、セカイ系を端に発する悲観的物語性の系譜はそれを支えた作家の流失とオタクの地位向上によって文庫判のライトノベルからは失われたのか。答えは否である。しかし物語性が変容せずそのまま残留したわけではない。その例を二つ取り上げることにしよう。


 森橋ビンゴが2014年に刊行した『この恋と、その未来。』(2014〜2016)は構造こそ学園ラブコメを装っていた。主人公の周りに複数のヒロインが配置され、広島の高校を舞台にした胸キュンな展開が描かれると予想して本作を手に取った読者も少なくないだろう。しかしその実は、メインヒロイン・織田未来は性同一性障害であり、身体こそ女性であるものの心は男性であった。主人公は未来に対して恋心を抱くが、それは身体が目当てのことなのか行き過ぎた親友感なのかそれとも、という事項で苦悩するのである。本作は学園ラブコメという構造を利用し、悲観的物語性を発揮したのだ。


 このような試みは本作だけに留まらない。十文字青はゼロ年代中盤に『薔薇のマリア』(2004〜2014)という悲観的物語性を保有したファンタジーものでヒットを収めた作家である。十文字は本作の完結後も文庫判ライトノベルを中心に活躍していた。その中で生まれたのが『灰と幻想のグリムガル』(2013〜)だ。2013年に第1巻が刊行された『灰と幻想のグリムガル』は異世界を舞台に記憶を失われた少年少女たちが生きるためにもがく物語となっており、オンライン小説などで再び注目を浴びたファンタジーものの中で死生観すなわち悲観的物語性を色濃く描いている。『灰と幻想のグリムガル』に限らず、十文字はそのような作品を描き続けているが、『灰と幻想のグリムガル』や続く『魔法使いと僕』(2016〜)などの異世界を舞台とした作品においても流行っているテーマに人間の抱える命題(死生観やセクシュアル描写)を持ち込むことに関しては特筆すべきものがある。


 学園ラブコメにセクシュアル描写、異世界ファンタジーに死生観を持ち込むというこの二者の行っている試みは悲観的物語性を更新する役割を担っていると言えるだろう。このように異なる物語感が混合することによって新たな物語性が創造されたのである。

◆第5章 テン年代 ライト文芸の誕生

 ▼第1節 メディアワークス文庫の創刊

 2009年12月に電撃文庫を有するアスキー・メディアワークスはより大人向けのレーベルとしてメディアワークス文庫を創刊した。作家陣は野﨑まどや綾崎隼ら当文庫にてデビューした作家を除き、殆どが電撃文庫にて執筆していた作家だ。もちろん、「大人向けの電撃文庫」であるところのメディアワークス文庫は突如創刊されたわけではない。その予兆とも言えるのがゼロ年代中期の『空の中』を端に発する単行本判のリリースである。


 『空の中』を著した有川浩は処女作『塩の街 wish on my precious』(2004)こそ電撃文庫からの刊行だったものの、二作目となる『空の中』以後電撃文庫及びライトノベルレーベルでは作品を発表していない。その理由として『空の中』のあとがきにてこのように記されている。

 何より『空の中』の第一稿を提出したときの電撃担当さんが男前だった(女性だけど)。
「私はどうしてもこれをハードカバーで出したい。今の電撃の力では損をさせるかもしれないけど、ついてきてほしい」
有川(2008)、504頁

当時の有川担当は後に電撃文庫の編集長を務める徳田直巳である。徳田がこのような決断に至った理由として、自衛隊をテーマに扱った物語であり主な電撃文庫の対象読者であった中高生ではなくそれよりも高い年齢層に響くものだったことが挙げられるだろう。『塩の街』『空の中』『海の底』(2005)にて構成される〈自衛隊三部作〉の後、有川が刊行した『図書館戦争』(2006〜2008)がこの決断による成功といえる。本屋大賞にノミネートされ、その他の文学賞にも顔を出した本作は紛れもなく電撃文庫編集部が送り出した作品だ。しかし、アニメ・マンガ調のイラストを廃し単行本判にするだけでこれまでとは異なる読者層に届いたのである。そんな『図書館戦争』や『猫泥棒と木曜日のキッチン』のように作家性を保ったまま、異なる読者層に届くことが証明された結果、ライトノベルを卒業しそう/した層を主な読者としたレーベルを創刊することとなった。それがメディアワークス文庫である。

 そんなメディアワークス文庫一の代表作といえば三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』(2011〜)だろう。主人公とヒロインの恋路を描きつつ、古書に纏わるミステリを紡いでゆくという構成はミステリファンを中心に話題となり、文学賞へのノミネートやテレビドラマ化などのメディアミックスを果たしている。本に纏わる物語という点ではゼロ年代中期の倉田英之『R.O.D READ OR DIE YOMIKO READMAN〝THE PAPER〟』(2000〜)があるし、ライトミステリについては言わずもがなだろう。ゼロ年代中期に隆盛を極めたムーブメントがここで大人向けライトノベルという形で現れたのである。
 メディアワークス文庫以後、後追いする形で宝島社文庫がライトミステリを多く刊行するようになった他、新潮文庫が文庫内レーベルとして新潮文庫nexを創刊。また、創元SF文庫が『妖精作戦』を、文春文庫が『半分の月がのぼる空』を文庫化している。

 ▼第2節 一般文芸のライトノベル化

 読者層が中高生ではない作品の増加によって従来の文庫判ライトノベルでは対応しきれない場合が出てきたことについてここまで述べてきた。もちろん単行本判になったとき、レーベルの名前が付与されていない場合もある。ではそれらが一般文芸の諸作品と異なる点はなんだろうか。それはキャラクターの想像の余地が読者に与えられているか否かである。


 普通、小説の登場人物については本文中にて触れられた容姿の情報にて読者が姿を想起する。よってキャラクターの姿は読者によって十人十色である。しかし、アニメ・マンガ調のイラストが表紙に装丁されているとき、いくら本文でキャラクターの容姿について触れられていても、そのイラストに描かれているキャラクターが公式の提示する一次情報となる。ライトノベルの殆どはキャラクターの容姿について一次情報を公式が付与しているため、読者がキャラクターの容姿を想起する必要はない。そのため、読者によっても齟齬が発生することが無く、Aと言えばAの姿が全読者共通のものとして想起できるようになっているのである。この点が単行本判のライトノベルが〝キャラクター文芸〟と呼称される所以であろう。


 前述の『ビブリア古書堂の事件手帖』でも表紙にて描かれた黒髪ロングのスレンダーな女性がメインヒロインの栞子であると読者に対して情報を付与した。この結果、テレビドラマ化にて栞子役を女優・剛力彩芽が務めることになった際、茶髪ショートという姿がイメージと異なると大きく話題となったのだ。つまり、単行本判のライトノベルが一般文藝と交わらない/交われない理由は、読者の想像力を公式が奪ったことにより、イラストの力を頼らざるを得なくなったからである。

◆第6章 Web小説史

 ▼第1節 アルファポリスの諸作品

 ここでウェブ上にて連載された小説群について触れておきたい。オンライン小説については、それこそパソコン通信時代より小説投稿サイトや個人サイトにて多くのユーザーが小説を紡いでいた。それがインターネットの普及によって増加し、出版社・アルファポリスがそれらの作品の単行本化を手がけるようになる。2005年に刊行された吉野匠『レイン 雨の日に生まれた戦士』(2005〜)は、吉野自身がウェブ上にて掲載していたファンタジー小説をアニメ・マンガ調のイラストを装丁した上で単行本化したものだ。内容としては90年代中期まで隆盛を極めたファンタジーものを引き継いでおり、2011年にはシリーズ累計100万部を達成するほどのヒットを収めている。この他、アルファポリスは柳内たくみ『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』(2010〜)などを書籍化している。


 ゼロ年代の時点ではこういったライトノベル的な手法を用いた単行本はそれほど刊行されず、インターネット上の小説の書籍化といえば「魔法のiらんど」に代表されるケータイ小説が多数を占めていたことはいうまでもない。また、アルファポリスも市川拓司のような恋愛小説の書き手を発掘していたことから、ライトノベル業界からはそこまで注目を集めていなかったのである。

 ▼第2節 川原礫のデビュー以降

 さて、オンライン小説を投稿しているユーザーの中にはプロ作家になることを目的としている層が多く存在している。オンライン小説は習作で新人賞への投稿作品は別に書く者もいれば、ウェブ上にて執筆し削除した上で投稿する者も存在する。第15回電撃小説大賞を受賞しデビューした川原礫は後者だ。処女作『アクセル・ワールド』(2009〜)は小説投稿サイト「Arcadia」上にて連載されていた『超絶加速バースト・リンカー』を加筆修正及び改題の上で出版したものである。本作と並行して川原自身のホームページ上にて連載されていた『ソードアート・オンライン』(2009〜)及び『絶対なる孤独』(2014〜)も合わせて電撃文庫から刊行されている。また、前者としては第16回電撃小説大賞に作品を投稿し遭えなく落選したが、編集者の目に留まりデビューすることとなった佐島勤が存在し、「小説家になろう」上にて連載されていた『魔法科高校の劣等生』(2011〜)が電撃文庫より出版されている。


 アルファポリスや電撃文庫に追随する形で、テン年代初頭から多数のレーベルがオンライン小説の青田買いを行った。MF文庫Jの『Re;ゼロから始める異世界生活』や角川スニーカー文庫の『この素晴らしい世界に祝福を!』が主な例だろう。これらの作品は主人公が中高生であり主な読者層と似通っていることから文庫判にて刊行されている。しかし、主人公が中高生でない作品も存在している。前述の『ゲート』はまさにそれだ。自衛官を主人公とした本作は、主な読者層を中高生ではなくそれよりも高い年齢層に設定した。その表れが文庫判ではなく単行本判での刊行であり、数百万部という大ヒットに繋がっている。


 この単行本判でのオンライン小説のリリースという形は既存のレーベルだけでなく、エンターブレインのホビー書籍編集部などの編集部が手を挙げた。エンターブレインはファミ通文庫というライトノベル文庫レーベルを有しているが、オンライン小説の書籍化にて先行して行ったのは単行本判という形態だった。その中で特筆したいのが橙乃ままれ『まおゆう魔王勇者』(2010〜2012)だ。本作の初出は2ちゃんねる上のスレッド「魔王『この我のものとなれ、勇者よ』勇者『断る!』」である。スレッド上にて記された即興小説という性質上、本作には地の文が存在しない。ホビー書籍編集部は他にもブラッドレー・ボンドとフィリップ・ニンジャ・モーゼズによる海外小説の翻訳(という体で実際は日本人の本兌有と杉ライカが執筆。彼らは訳者としてクレジット)『ニンジャスレイヤー』(2012〜)などの独自色が強い作品を刊行しており、文庫という枠組みではもはや括れない/リリースし難いタイトルが出現したことを体現しているといえるだろう。

 ▼第3節 「小説家になろう」「カクヨム」の書籍化ラッシュ

 これらの書籍のヒットを受けてKADOKAWA(2013年10月に角川書店や富士見書房らが組織改編)は小説投稿サイト「カクヨム」をリリースし、自社内で書籍化の体制を整えるようにする。また同時期に富士見書房から単行本として刊行されていたライトノベルをカドカワBOOKSというレーベルに整備し、本格的にオンライン小説の発掘に取り組み始める。


 そういった流れの中で伏瀬『転生したらスライムだった件』(2014〜)や愛七ひろ『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』(2014〜)のようなファンタジーの色を濃く引き継ぐ作品や、柞刈湯葉『横浜駅SF』(2016〜2017)や赤野工作『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』(2017)といった新人賞では発掘されにくい意欲的作品、しめさば『ひげを剃る。そして女子高生を拾う』 (2018〜)や涼暮皐『ワキヤくんの主役理論』(2017〜)など悲観的物語の文脈にある作品など多岐に渡るものがKADOKAWA内外から多数のオンライン小説の書籍化作品が刊行された。

◆おわりに

 ここで話を整理しよう。90年代後半からゼロ年代初頭にかけて生まれた悲観的物語性を保有した物語群は一般文藝への作家流出を経たものの、単行本判のライトノベルという形で生き永らえた。そしてそれらが単行本判へと移行することで空洞化した文庫判にはオタクの地位向上によって隆盛した学園ラブコメが幅を利かす形となった。もちろん、前述のように文庫判の中に今なお悲観的物語性を保有した作品や作家は存在しているが、大きく分類するのならば、二つの物語性がライトノベルという枠組みの中に現在介在するのだ。では何故そのような結果になったのか。


 前述のように悲観的物語性を保有した作品群をリアルタイムで読んでいた層は2018年現在20代後半から30代となった。そんな彼らが感情移入のしやすい同年代を主人公にした悲観的物語性に満ちた大人向けライトノベルもしくはラノベ文芸を放つことで、彼らはライトノベルを卒業することなく現在まで進行した。そして文庫判ライトノベルの主な読者層とされる中高生が新たに入学して来たが、彼らに対しては現在の境遇を反映した陽の物語群を放つことで新たな読者の確保に成功している。その結果、悲観的物語性と学園ラブコメのような陽の物語群がライトノベルという一ジャンルに内在することとなった。


 更に述べるとするならば、アニメ・マンガ調のイラストが装丁される試みはラノベ文芸のヒットによって一般文藝にまで波及した。東川篤哉『謎解きはディナーのあとで』(2010〜2012)がその最たる例である。これらは決して悲観的物語性の文脈に基づいてはおらず、ミステリー小説の系譜にある。しかし、キャラクターの一次情報を公式が付与することによって、読者から想像の余地を奪ったという観点から見るのであればライトノベル、ひいてはライトミステリの影響下にあることは間違いないだろう。また、「小説家になろう」上にて連載され、双葉社から一般文藝の単行本として刊行された住野よる『君の膵臓をたべたい』(2015)が本屋大賞のノミネートなど一般層にまで波及したことを鑑みれば、悲観的物語性はライトノベル外に影響を及ぼしたことは必至である。しかし学園ラブコメなどの陽の物語群は受容されず、悲観的物語性による物語群と陽の物語群は二極化した。


 この二極化は今後どのように進行していくだろうか。私は更に深刻化すると考えている。90年代後半の『ブギーポップは笑わない』が始祖といえる悲観的物語性と、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』のような陽の物語群では読者層が異なっているのは述べたとおりである。今後、この読者層がそのまま歳を取っていったときに、また新しい読者がライトノベルに入ってくるだろう。そのとき、10年前の社会的状況を反映した物語群に共感をするだろうか。いや、しない。中高生にとって10年前など記憶があるかないかの境であり、自己投影がし難いものとなっているからである。そこで、ライトノベルは新たに入ってきた読者層に対しての物語群を創りだす必要が生じるのである。


 今年、ライトノベルのトレンドを表す「このライトノベルがすごい!2019」において第一位を獲得したのは瘤久保慎司による『錆喰いビスコ』(2018〜)だった。本ランキングはこれまでシリーズの巻数を重ね着実にファンを増やしてきた作品が首位となることが通例だったが、本作は集計期間内にシリーズがスタートした新作であり、新作が首位となるのは史上初という結果となっている。本シリーズの特徴としては支持している読者層が20代後半より上となっており、ひいてはライトノベル読者の高年齢化が示される形となった。


 しかし、これは以前ファンタジー一色だったライトノベルに上遠野が新しい作風を持ち込んだように、中高生向けだけではない多様性がライトノベルにも生まれたと受け取ることはできないだろうか。私は「このライトノベルがすごい!2019」においてライターとして多数の作品をレビューしたが、その中でも様々なジャンルと作風を垣間見ることができた。ランキング上位でレビューを担当した作品だけを取ってみても、『ひげを剃る。そして女子高生を拾う』のような二十代後半以上の読者に向けて書かれた作品と中高生向けに記された屋久ユウキ『弱キャラ友崎くん』(2016〜)のような作品が並んでおり、その多様性の現れとして受け取ることができるだろう。つまり、今後のライトノベルは現在より更に細分化されて新たな表現を増やしていくのだ。


 冒頭にて私は「教鞭を執る者が最新の事情にアップデートしていないのというのも問題」と記したがこういった事情をさらってみるとそれも当然であり、造詣の浅い分野が急激な発展を遂げているのを誰が知ることができるのかという話である。加えてこれからもさらなる発展が望めるため、その流れを必ずしも知る必要はないものの絶えず変化していることだけは抑えてもらいたいように感じる。


 そんなライトノベルだが『スレイヤーズ!』が生まれてから三十年経つ。さらなる変化に期待しつつ、今も絶えず刊行される多くの作品に触れていきたい。

◆参考文献

書籍
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記事
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「ライトノベルは終わったの?」『ダ・ヴィンチ』2008年4月号、メディアファクトリー、16〜31頁
Web記事
大森望「ライトノベル第1号? 平井和正『超革命的中学生集団』」『大森望の新SF観光局・cakes出張版』2015年2月14日
https://cakes.mu/posts/8329
堀内彰宏・Business Media 誠「あかほりさとる氏が語る、メディアミックス黎明期」『ITmedia ビジネスオンライン』2010年12月30日
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1012/30/news001.html
堀内彰宏・Business Media 誠「アニメ化は必ずしもうれしくない!?――作家とメディアミックスの微妙な関係」『ITmedia ビジネスオンライン』2010年12月31日
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1012/31/news001.html
ミヤザワ「死ぬまでに読むべき名作ライトノベル」『BOOK・OFF Online』更新日不明
http://www.bookoffonline.co.jp/files/lnovel/pickup/pickup_meisaku.html

(原稿はここまでです、以下はおまけです)

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