「コロナ禍」ということばが好きではありません
いつからか定かではありませんが、ニュース記事等で「コロナ禍」ということばを目にする機会が増えているように感じます。新型コロナウイルスによる影響がそれだけ大きいということを物語ってるのだと思います。でも、わたしはこの「コロナ禍」ということばが好きではありません。ことば自体というより、その使われ方が好きではないというのが正しいです。
本当に新型コロナウイルスの流行によって起きていることを表しているのであればよいのですが、それに伴って起きていることもひっくるめて「コロナ禍」と表現してしまっているケースが多いように思います。うまく説明できないのですが、ミスリードしているというか、新型コロナウイルスのせいにしてしまっているというか。。
「感染した場合に症状が重篤化する可能性が高い」人たちにとってはまさに現状は「コロナ禍」と言えます。こういう使われ方であればよいのですが、以下の2つのパターンで好きではないなと感じます。
1つ目は、"コロナ禍の中で伸びる企業"などの表現が好きではありません。こういう表現をされてしまうとなんかネガティブなイメージを持ってしまいませんか?なんかコロナ禍を利用して伸びてる、、的な響きに聞こえるのはわたしだけでしょうか?特需的な要素があることは否めませんが、そういう機を適切にとらえ、かつ、社会に貢献しているのですからこういう表現のされ方は不当ではないかと感じます。
2つ目は、"コロナ禍に耐えられず倒産"という表現が好きではありません。本当に「コロナ禍」のせいで倒産するということも少なからずあると思います。そういうケースであれば文句はありませんが、そうじゃないケースもあるのではないか、と思います。以前、『 BCP(事業継続計画)と働き方改革は別もの 』という記事でも書きましたが、単に事業継続計画をサボっていてそれが露呈してしまった会社とかも少なくないのではないか、と思います。そういうのも"コロナ禍のため"ということばで片付けられてしまっているように感じるのです。実態はわかりませんし調べることもできませんが、だからこそモヤモヤしてしまいます。
あと、使われ方ではないのですが、そもそも「コロナ禍」というよりも「人災」じゃないか?と思うこともあります。たとえば2日前に書いた『 どういう気持ちなのだろう? 』という記事で伝えたような状況で、仮にそこがクラスターになったりしたら、それは「コロナ禍」じゃなくて「人災」だと思います。そもそも新型コロナウイルスが流行していなければこんなこと起きていないんだから「コロナ禍」だという考え方も理解できます。ですが、わたしの感情的にはそういうのを一緒にしちゃだめでしょ、と思うのです。
とはいえ、「コロナ禍」ということばはとてもキャッチーなので使いたくなるのは理解できます。でも、その使い方には十分な配慮が必要です。うちの子が外に遊びに行けなかったりするのに対して「コロナが悪い!」とよく口にするのですが、それと同じレベルで「コロナ禍」ということばが使われているような気がします。これはさすがに乱暴すぎるのではないでしょうか?
それでは、今日はこの辺で。
Image by Priscilla Du Preez from Unsplash
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