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北条時政の狂気_01 千葉純胤の時空移動

成胤は千葉館の奥で独り熟思していた。

北条家・比企家の騒動は北条家の逆転劇で終幕した。

千幡様はほどなく実朝と名を変え、征夷大将軍を継いだ。

頼家様は修善寺へ幽閉されたのち、お亡くなりになられた。頼家様が北条の手のものに討たれたのは誰もが薄らと感じていた。

もう北条家を止める他家はいない。北条時政殿を諫めれるものなどいない。

成胤には純胤が言い残した

「しかし鎌倉の動乱はまだ終わりません」

この言葉が呪縛の様に頭を巡っていた。

まだといういう以上、はるか遠くのことではないであろう。動乱とはなにを示すのか。また家同士の争いか。実朝様など重要な人物が亡くなるのか。はたまた京の朝廷から大軍が押し寄せるのか。皆目見当がつかない。

なんにせよ鎌倉が主体であるようなので成胤の心配事である千葉一族内の下総上総での争いはなさそうだ。

成胤は「鎌倉の動乱」にあたる事をひとつひとつ思案を巡らせた。

まずは他家だ。北条家には比企家の様な相容れない家同士のいざこざは他家に思い浮かばない。もめ事なしとしても北条家に少しでも盾突けそうのは三浦家、畠山家、武田家、そして千葉家あたり程度。この中では三浦家が群を抜いている。軍事力だけなら三浦一族が最も高いとはいえ単独では無理だ。ただし組めば可能性はある。

そこで成胤がちらつくのは朝廷と西国武士の一群だ。ここと三浦家が手を組めば北条の優位さはない。とは云え朝廷と西国武士たちが東国へ攻め入るにしてはつい先日に朝廷は実朝様の征夷大将軍への任官を許している。朝廷には東国と闘争する気はなさそうだ。

すると実朝様の死去による動乱か。実朝様はまだ齢十五にも満たない。子はいない。実朝様がお亡くなりになった場合は誰が継ぐのか。頼家様の長子である一幡様はこの世にいない。ただ二子であった善哉様は比企家の騒動を逃れ存命だ。ただ善哉様が継いだとしても北条家の保護下には実朝様と変わりなく特に荒れることもないであろう。

北条家自体はどうか。嫡男である北条政範殿はまだ齢十五か六。いま北条時政殿に倒られたら北条家は瓦解する。この際は分家となった元嫡男である江間義時殿は複雑な立場でどう出るかは不明瞭だ。

成胤は考えれば考えるほど純胤の示す「鎌倉の動乱」にどの予測も確信が持てなかった。

成胤は思考を巡らせた日より数か月後、急に事態は動き始めた。源実朝の正室として嫁ぐことになった坊門家の娘を迎えにいく使者として北条政範は上京していたが、病で急逝してしまった。

「鎌倉の動乱」は始まりを告げた。




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