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【β版】千葉篤胤の転生記_13

篤胤はいま千葉兄弟の5番目、胤通(タネミチ)の中にいる。意識下でなく「中にいる」。久々の完全取り憑きだ。体も自由に動かせる。やはり自由に動けることは解放感もあって爽快だ。が、これからの事を考えると篤胤の気分は重かった。なぜよりによってこんな時なのか。これから篤胤(胤通)は使者として源信義へ会いにいく道中だった。

これより一刻(30分)ほど前に目覚めはおきた。胤頼(タネヨリ)より取り憑きメドレーは『胤通→師常(モロツネ)→胤盛(タネモリ)→胤頼』の順でよろしくともらっていた。今はその1番目である。

「胤通様、胤通様、なにぼうっとしてるのですか。危ないですよ。落馬しますよ」

胤通と師常には使者としてての活動上、完全取り憑きパターンも考慮して篤胤が困らないように同伴者はいると事前に胤通からは聞いていた。まさに今だ。篤胤は馬に乗っていた。胤通の意識は感じない。完全取り憑きとすぐわかった。声をかけてくる男は歩いて馬を引いている。二十歳ぐらいの若者である。

「えーっと、どなた様でしたっけ?」

特に胤頼からは同伴者に関しては詳しくは聞いておらず、なんかあった際は適当に対処してほしいとのことだった。起こってしまった以上は篤胤自身でどうにかするしかない。こんな取り憑き話などを配下の者たちにも伝えるわけにはいかないので、「重要な使者ゆえ極度の緊張をしていつもと違う様相になる場合はあるのでいろいろ手助けするように」とは伝えてあるらしい。

「胤通様、本当に緊張しているですね。まだ源信義様に会ってもいないのに。私はコクブですよ。クニにワケルと書いて国分、国分五郎です」

ああそう国分さんねと篤胤は頷いた。篤胤はあまりにも源信義の事を知らな過ぎたので国分にどんな人かを聞いた。国分はしょうがないなあという顔をしながら源信義の事を教えてくれた。源信義と源頼朝は遠縁らしい。甲斐に移って3~4代目くらいの源氏らしい。ここら一帯の源氏は甲斐源氏と呼ばれ、源信義だとどこの源氏か区別つかないので別に武田姓もあり、武田信義と呼ばれることもあるようだ。篤胤としても甲斐で武田なら信義は武田信玄の祖先なんじゃとはピンときた。国分五郎に武田信玄っていってもぽかんとされるだろうから言わないけど。源信義は50歳くらいで甲斐源氏を束ね、人柄も温厚で甲斐以外でも慕うものはいるらしい。西国平氏の世でも甲斐源氏は20年前の源氏没落となった騒乱には直接かかわってないので、そこそこの力を維持しつつ今に至るようだ。

どうこうしているうちに源信義の館に着いたらしく、篤胤と国分は中に通された。奥へ行くうちに「御付きの方はここへ」と待たされ、篤胤だけが更に奥にとおされた。これで完全ぼっちになり、篤胤は本当に極度の緊張を迎えてしまった。ようやく着いた奥の間には真ん中に源信義らしき人がいて左右横に1名ずつ人がいた。ここで預かっている手紙を渡すんだったなと一応胤頼から聞いている手順を思い出し、手紙を取り出すと右横にいた人がささっと近づき源信義へ渡し、手紙をさっと読んだ後、源信義は篤胤に語り始めた。

「八条院様からの御使者殿。遠いところからわざわざお越し頂きご苦労様です。御蔭で都の激動ぶりがよくわかりました。して、他に伝える事が御使者殿にあれば申して頂きたいのですがなにかありますかな」

篤胤はきたきたきたと緊張がより高まってきた。胤頼から言われている事。それは「源氏は結集できそうか否かを確認すること」だった。こんなのさりげなく聞ける話でもないし、信義いい人ぽいからぶっちゃけ聞くしかないよねと篤胤は腹を決めた。

「あのー。仮ではあるのですが、ちょっと平氏への不満が高まってきて、これは戦わないとなとなった折には、源氏の皆さまで力を合わせるという事は可能でしょうか」

篤胤は言ってみたものの、こんな聞き方まずかったでしょと後悔した。もっといい聞き方があったのではと焦りが出てきた。源信義はきょとんとして、ひと呼吸おいてから語り始めた。

「なかなか大胆な事を使者殿は聞きますね。まあ八条院様の意思でもあるのでしょうから濁さずお答えしましょう。ここ20年来、平家の世と言われつつも甲斐源氏は平氏とは揉めずにここまで来ました。今は亡き義朝様の一族は恨み辛みがあるでしょうが我々にはない。とは言え平氏に義理立てする事もない。源氏が一つになる。大いに結構な事。その折には力を合わせることは十分あるとお伝えください」

篤胤は聞けた内容より無事聞けた事自体に安堵した。


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