フォローしませんか?
シェア
江間義時と武田信光、千葉胤通は鎌倉の浜辺から海原を見渡していた。 若き頃から心を通わせて…
和田一族が総力を挙げて挙兵するも幕府の大軍に父である和田義盛も兄弟達も次々と討ち取られた…
「八田殿、この戦で全てが終わりますな」 千葉常胤がかように八田知家に語り掛けた。 八田知…
かって畠山氏は武蔵を拠点としていた。 源頼朝が挙兵した折、当主の畠山重能は京での務めに就…
後鳥羽上皇は御所の二条殿で思い耽っていた。 実朝の元へ坊門信子が嫁いで早十年以上の月日が…
阿野全成は今若丸という幼名だった。 下に牛若丸という名の弟がいた。 父の源義朝が敗死した…
北条政範は生まれた時から北条を継ぐように嫡子として育てられた。 小さい頃より自分は嫡子で長子と思って過ごしてきた。 ひょんなことから叔父と思っていた江間義時が実は二十も離れた兄と知った。 父と兄の義時の間になにがあったか知らないが、ある時から兄は北条義時から江間義時にとなったらしい。 数年の差の兄弟であれば、本人の器量や母の出処も影響するであろう。 ただこんなに歳が離れ、一度は北条家の嫡男となっていた兄が、自分の生まれと共にどこかで嫡男でなくなったのは理解しがたい。
場所は遠江の雙侶荘。 板垣兼信は弟である武田信光と共にいた。 板垣兼信と武田信光は共に甲…
「盛長、あんた若様についておくれよ」 安達盛長は義母の比企尼から不意に頼まれた。 若様と…
三浦義澄には兄がいた。杉本城を居城とする杉本義宗という名の兄だった。 父である三浦義明に…
後鳥羽上皇は御所の二条殿で思い耽っていた。 東国では和田義盛が挙兵するも2日で鎮圧された…
後鳥羽上皇は御所の二条殿で思い耽っていた。 院近臣の平賀朝雅が討たれた。 自身の知らぬ事…
頼政は一貫して『源氏のため』を想うてきた。 平治の乱でも当時の源氏の棟梁である源義朝と袂…
いまや後白河法皇と平清盛による治世となり永らくの年月を経ていた。二十年程前に謳歌していた源氏は平治の乱以来、軒並み廃れていた。 ただ全ての源氏が荒廃した訳ではなく、主に源氏の棟梁として君臨していた清和源氏系の地位が損なわれており、源平の争いに関わることなくきた宇多源氏はこの世でも大納言や但馬守など朝廷や地方で活躍していた。また清和の流れをくんでいても源頼政の様に平氏方についた源氏もいた。 その中で甲斐に巣くう源氏の一団は清和源氏の系統でありながら親平氏でもなく、沸々と独自