二十一歳

 自殺はおそらく、早いうちにするのがいい。大人になるにつれて、地面が自分から離れていく。地に還る方法がわからなくなっていく。

 昔から、大層な事を言うとそれなりに心配されるような家庭だった。だから、大層な事を言うにはそれなりの理由が必要だった。大層な事を言い換える言葉が必要だった。嘘だよ、を言い換えたら、他人から聞いた話なんだけど、作り話なんだけど、になった。都合よくそこに小説があった。私は小説を書く人間になった。小説を書くことで、何とか生き長らえる人間になった。本当は言いたかった言葉を、嘘だよ、に変えることで、生き長らえる人間になった。

 今でも死にたい、毎日死にたい。明日の朝に生きていられる保証があるなら、明日の最後には安心して眠れる保証も欲しかった。 歳を重ねる度、眠れる場所が、段々と無くなっていく予感だけが募っていた。歳を重ねる度、家が老朽化していた。歳を重ねる度、お金の価値が変わっていた。歳を重ねる度、大事にしたい人が居なくなった。

 結婚式に呼べる人がいない事には、かなり前から、薄々気がついていた。 小学校の友人は二人、腐れ縁と、何とか保っている縁。中学校の友人は二人、実際はもう変わってしまっている趣味によって何となく繋がっている縁。高校の友人は一人、過去に揉めた六人と繋がっている。大学の友人はよく分からない。この他を呼ぼうとすると、逆に百人にも二百人にもなってしまう。 そもそも新郎も新婦も神父も隣に居ない。家族は祖父母、母方の曾祖母まで何故か全員が健在だけれど、それでも親戚も入れて計スリーテーブルくらい。互いにほぼ知り合いではない友人で組まれたワンテーブルを含めて、だ。

 私の人生は常に下降曲線を描いている。何も考えていないうちに、高いところに居れば、何とか死ぬ迄は最低限度の生活ができたかもしれないのに、息継ぎの仕方が分からないまま生きているうち、あまりにも泳ぐのが面倒で諦めてしまった。常に同じように手を動かすのに疲れてしまった。手を早めたり止めたりしていたら、余計に酸素が無くなっていた。 二十一歳の夜、ただ只管に、もう元には戻れないものだけが積み重なっていた。人生のストックはもう空っぽだ。昔の最悪だった記憶も、楽しかったであろう記憶も、既に全て曖昧になっていた。

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