「夢追い人」であれ
夢。
この世で数少ない、
誰でも無料で所有できるもの。
そしてその中で唯一と言ってもいい、
己をワクワクさせてくれるもの。
それが夢だ。
幼少期のわたる坊やの夢は、
F1レーサーになる事だった。
もはや改めて紹介することもないかもしれないが、
物心着く前からの車好きである。
F1レースが開催された翌日の月曜日。
わたる坊やは幼稚園から帰るやいなや、
親が録画してくれたVHSをセットし、
2時間テレビの前から離れなかったのである。
持つのは無料でも叶えるのは自分の努力では
どうにも出来ないこともある。
レーサーになるというのはF1に限らず
産まれた家計がよっぽど裕福でなくては難しい。
驚くなかれ。
レースに参戦するためにチームに金を払うのだ。
プロアスリートがチームからお金を貰わず、
(個人スポンサーを通して)チームに金を払う。
それも数100万円、F1にもなれば数十億円という
金額をだ。
そんな世界である。
世の中の99.99999999...%の家庭と同じく、
我が家庭にそんな余裕は無い。
そんなことを知らなかった当時のわたる坊やは、
引越し先に入っていた英会話教室のチラシを見て
通わせてくれと親にせがむのだ。
世の現実は知らずとも、
F1の世界では英語が公用語であることは、
なんとなく理解していたのである。
今思えばあれが人生で初めて
夢を諦めた瞬間だったのだろう。
でもその結果、新たな夢ができる。
英会話を習い、海外のニュースも見聞きするように
なったわたるは坊やから少年になっていた。
その時には世界の様々な問題に
関心を持つようになる。
「苦しんでいる人を助けたい。」
「F1録画しないわよ!」と怒られれば
すぐに言うことを聞いたわたる坊やが
いかに成長したかよく分かる新たな夢だった。
そのあまりにも漠然とした夢に、
大学生になり、いよいよ海外ボランティアを
経験した時、自ら疑問を投げかけることになる。
「助けるってなんだ?苦しんでる人ってどんな人だ?」
漠然とした夢がいかに漠然としていて、
そしてその主語がいかに自己中心だったか、
ということに気づいた。
「誰も見捨てたくない。でも自らの価値観も押し付けない。そんな方法を探したい。」
「誰もが夢を持てる世界を作りたい。」
夢に対する疑問が新たな夢を産む。
その時わたる青年はもはや成人を過ぎていた。
夢を持ち、夢を追って動いてみることで、
成長してきた人生なのかもしれない。
失敗99%、成長1%の人生を歩んできた。
目の前に花畑が広がった瞬間に
茨の道が現れる人生を歩んできた。
それでも夢を追い続けたいんだ。
どんなに目の前が茨でも、
夢を追い続けることはできる。
夢を追い続けていれば、
いつか茨も花を見せてくれると信じているんだ。
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