2021.06.03 Keep Updating

数日空くとすでに書きたくなっている自分がいるこの場所は、結構貴重かもしれない。

例えば本気で副業収益を目指すのであれば、ここ自体は今の使い方ではその目的は果たしていないと思う。どちらかというと純粋に書くことそのものが楽しいので、ここまで続けられているのだと思う。(とはいっても、まだ2ヶ月程度。)


今日は10日ぶりの丸一日オフだった。


たいてい、休日に目が覚めるときは体が軽く朝から色々と行動できることが多いのだが、今日は二度寝に二度寝を重ねて12時半頃まで寝ていた。


まぁそんな日もあるかと気を取り直して、さっそく今日やりたいことをこの間届いたA4用紙に書き出していく。



…何かおかしい。



普段であれば1分と経たずに10以上はすらすらと出てくるのに、今日は中々出てこない。


筆走りも頭回りも悪い。


寝すぎたからかな、それとも疲れからかな。


いずれにしても「出ないときは出ない」は人体の間違いない真理なので、とりあえずリラックスするために湯船に浸かる。



最近は朝7時のコーチングクラスに、しっかりと毎回起きて受講することができている。

今は週4で受けている時期なので、今週は正直かなりきつかった。。


よく頑張っている。えらいぞー。



クラスには様々な種類があり、質問や承認のスキルを学ぶ回もあれば、自身の状態を整えるための技術を学ぶ回もある。


そこで習うことは、なぜかかなりの確率で自分が今一番解決したいと思っている課題だったりすることもあり、カリキュラムって本当よくできているなぁと実感する。さすが、165万。。


ここのところ学んでいるものの一つに、ストレスコントロールがある。

ストレスと聞くとそれだけでネガティブな印象を持ちがちだが、実はストレスは無くてもダメだし、あり過ぎてもダメなもののようで。

あえて言い換えるとすると緊張感、緊迫感、自分への負荷。

使われる文脈にもよるが、これらの日本語が適切に当てはまるかなと思う。


サッカー選手に例えると分かりやすいかもしれない。

ストレスが高すぎると、試合で委縮、満足なパフォーマンスを発揮できない。逆に低すぎても、気が抜けすぎていて覇気が感じられなかったり、怪我をしたりすることもある。


思い返せば自分がサッカーしていた頃、気が抜けて怪我をすることが多かったなぁ。


小学生の頃。一度試合で右足を怪我して、1週間ほど練習ができなかった。


やっと今日からできるぞ~と、練習直前にグランドでジャンプして喜んだ。そしてそのジャンプで、着地の際に左足を捻る。ちなみにこっちの方がひどくて、全治4週間とかでした。


ほんまアホや。


現代に時を戻そう。(久々のぺこぱly)


今はそれでいうとかなり自分に負荷がかかっているのよね。

会社員としての自分も、コーチングを学んでいる時間も。


この過去の怪我の話を振り返ったのもこのnote書きながらが初めてだったけど、そう考えると自分は多少緊迫感ある方が頑張れたりするのかな。


乗り越えたときには、また一皮剝けていそうな気はするんだけど。


自分はこうである、というものも、やっぱり案外あてにならないから、あまり決めてかからない方がいいんだろうなぁ。


ましてや他人のことなんか理解できるはずもないというか、自分の予想や期待と違っていても当然だよね。


コーチングでも常に相手をラベリングすることなく、常にアップデートし続けていくみたいな考え方があるんだけど、やっぱり真理だなと思う。



自分は割とそういう考えに共感しやすいのかも。

ここでも過去の記憶にアクセスしてみる。


大学のゼミでは、法律、特に会社法を学んでいた。そこまで真面目に取り組んでいたわけではなかったので、卒論は何となく自分の興味が向いた死刑の是非について書いた。


Amazon Primeに死刑基準という映画があるのだが、暇な方はぜひ観てほしいと思う。


まぁ別に観なくていいので、俺の話を聞いてくれ。


日本以外の国では死刑を廃止している国も多いが、一旦その事実は置いておいて、日本だけで考えた場合に。


・死刑があることが犯罪の抑止に繋がるor繋がらない

・冤罪だった場合にどうするのか

・死刑を執行する側のメンタルヘルス

・死刑囚を税金で生かしておいていいのか

など、私が考えつくようなものはすべて議論されつくしているし、まだやむ様子はない。


ああ完全に余談ですが、これ英検1級のWritingで出たときに全然書けなくて落ちたなぁ。。


正直、どれも正しい。ただしここでの正しいとは、誰から見ても言える「客観的な正しい」ではなくて、その人の立場から見た際に言える「主観的な正しい」だ


これを扱うのが死刑基準という映画なので、興味があればぜひ観てほしい。


やっぱり観てほしいんかい。


そこで私が感じたことは、カスタマーレビューにこのように書いた。

ていうか、今は映画は観れなくなっていた。残念。


スクリーンショット (7)

Amazon カスタマー
5つ星のうち3.0 一見の価値ありです。
2016年10月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
死刑に対し賛成派、反対派のどちらを支持すべきなのか悩んでいた私は、この作品を見て自分はどちらの立場を選ぶべきか、ますますわからなくなりました。

同時に、少なくとも現時点で私自身が結論を急ぐ必要は無く、あらゆる視点や見解に触れて考え続けることこそ私個人においては重要であるとも感じました。

作品内でもそうですが、立場が変わればどんなに強かった意見さえも揺らぐことがある、それほどまでにデリケートな問題に対して、その意見がまとまらないのも素人の自分であればなおさら当然のことで。考えるきっかけを与えてくれるという意味で、充分に観る価値のある良い作品だと思いました。

個人的に終盤の駆け足感が少し気になったので星は3点とさせていただきました。


10人のお客様がこれが役に立ったと考えています


けっこう評価されてますねぇ。。さすが私である。


時を戻そう。(5分ぶり2回目)


まあ何が言いたいって

何かを考えたり探求したりするうえで、そこに絶対の真理は無く、
ただそれを追い求め続けることだけが真理

という考え方を私は持っているということ。


教育者とか職人、研究者にありがちな考え方かなと思うんだけど。

自分は職場ではそんな風に言われることも多いので、ストンと腑に落ちた。


こだわりが強いんだよね。別に他人には求めないし文句もつけないけど、自分のジャンルへのこだわりはえげつない。

かといって、飽きたら周囲も自分も驚くくらいスッと手放せる。ちょっとサイコ。


だから自分の可能性を信じて頑張り続ける人に共感するし、応援したくなるんだろうな。

そして自分も今、それを体現したいとようやく思えるようになった。


逆に言うとだからか。

他者の否定ばかりして、いつまでも現状に固執しようとする考え方を持つ人に微妙な嫌悪感を覚えるのは。

いや、その人のその考えそのものはその人の自由だから別にいい。

そういう人の言葉に影響されて諦めてしまう人もいるから。

または自分がそれを言われる側になったときにめちゃくちゃ腹が立つのは。

自分の中の価値観と真逆だったからか。


いやぁ、これは思わぬ発見だった。


コーチングをしているとよくあるけども。

このnoteも言えばセルフコーチング的な要素もあるので、気づけば1時間以上、そして3,000字近く書いてるんだけど、その投資をする価値はあったな。


自分にとっては宝だけど、読んでいるあなたにとって宝とは限りません。

僕は他人にとってはここは三角コーナーだと思っているので、見てくれる人には本当いつも感謝をしております。。

最後にお知らせを。

コーチング枠、2名だけ募集をします。


ご興味ある方はTwitterのDMからお知らせください。


どんなものか知りたい、という方には最初にオリエンテーションをするので、それを聞いたうえで受けてみるか決めていただければ結構です。


こういう使い方したのは初めてだなぁ。


これが正しいかはわからないが、違っていても無知の知、ここがスタート。


ああそんなこと言ってる間に約3,300文字。


お気軽にご連絡くださいね!


ではまた!


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