大事なものをあえて手放す

昨年末から今年の始めにかけて、類い稀にみる入稿ラッシュだった。書籍3冊に執筆や編集記事約40本。頭の中が忙しすぎて、日常をどう過ごしていたのか、あまり記憶がない。

それでも、隙間時間に本を読むようにしていた。美しい文章を読んで心を整える、という意味では、写経とか禅に近い効果がある。私にとってなくてはならないコトの一つが、自分以外の誰かの人生を疑似体験するために、そして、知的好奇心を満たすために本を読むことなのだ。

今年はマンネリ化を防ぐために、抱えていた仕事の半分を手放した。ここ数年ではありえないことに、いつもの倍の空白時間がある。これは、緊急度が低かったけれども、やりたかったことをやるチャンス! 会いたかった人に片っ端から連絡をして会った。もちろん、コロナ対策万全の場所で。

今まで手をつけたくでもできなかった、ありとあらゆる身の回りのモノの断捨離もした。パソコンの中で眠る古い書類から、スマホで撮影した一万枚を超えるプライベート写真、メールボックスに溜まった不要なメール。それらを一気に整理して、不要なモノを捨てまくったら、心にスッと風が通る隙間ができたような感じがあった。

そしてラスボス、思考の断捨離である。

最後まで死守してしまうような、長きに渡って自分の心に居座ってしまうようなものは、経験上、一度手放すのがよいと思っている。

1週間ぐらいじっくり吟味して、そのまま持ち続けたときの未来と、手放したときの未来を天秤にかけてみる。もし、あとでいくらでもリカバリーできると思ったのならば、一度捨ててみるといい。

当然、心にぽっかり穴が空いたような気分にはなるけど、それでも心を鬼にして手放す。本当に必要なものだったら、取り戻す努力はいくらでもするだろうし、そのために心を砕くはず。ただ、今の自分にはどうしようもなく足かせになるというだけなのだ。気まぐれでやるのではない、必要なのは強い覚悟。

あえて強制的に(思考を含めて)環境を変えると、次の景色が見えてくる。抱えているコトやモノの重みで、スコトーマになっていることがいかに多いか。捨てたモノが大事であればあるほど、どうしようもなく凹むししんどいのだけれど、(というか、やったこと自体を後悔したりもするけれど)そこから見える景色は決して悪くはない。

準備が整ったので、与えられた空白時間を使って、ずっと挑戦してみたかった夢の一つに着手してみる。すぐには結果が出ないだろうから、まずは3年頑張ってみたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?