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ワクワク、好奇心を失った人の心のリハビリ。

13日の金曜日、お泊まり保育で家族はみな不在。夕方前に都内で撮影を終えて、いつものようにまっすぐ家路に就いている自分に「おいおい」とツッコミを入れて道中にあるスノーショベリングに立ち寄る。「金曜夜の本屋が楽しくない、はずがない。」という根拠のない確信にも似た感覚に従って寄り道決定。

車を駐めて、撮影で使わなかったバンダを2本手にして店に向かう道中、「見てほら可愛いお花持ってる」と女の子がワクワクしながらお母さんに伝えてくれました。「本当ね」と微笑む母親。よかった、きっと素敵な家庭に違いない。「ダメよ、しっ。」なんて親も、いないわけじゃないんです。

店に入り、女性と話している店主中村さんに花を差し出す。
「えっ」という顔をする女性。わかります、そのリアクション。
でもね、あげたい人に花をあげるってのはしあわせなことです。

店主と話していた女性は”本屋さんぽくない本屋さん”的な自己紹介してくださいました。そのフレーズで彼女の屋号がひらめいたので伝えてみるとビンゴ。実はここ数週間で彼女の存在に幾度か触れる機会がありまして、13日の金曜日に出会えたてしあわせ。

いけばなの話から好奇心に関する話題に移って今時、好奇心すら持たない人がいるのはなぜだろうか? と3人頭をひねりまして。

子供は好奇心の塊で 知りたい知りたい=生きること みたいな存在です。

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我が子もそうです。が、右へ倣えの教育を受けているうちに、あるいは集団生活での同調圧力に、またあるいは、忙しい親から「余計なことをしないで、言わないで」と、言われ続けるうちに、削がれていってしまう好奇心、という仮のゴールにたどり着き。子供の好奇心を保つように努めねばと自戒。

では、好奇心を失った大人が、再び好奇心を発露させるために必要なリハビリってなんだろう、という点。本を読むって、きっとこれに当たるんだと思うんです。読みたいジャンル、という好奇心のタネが必要なれど、蒔かれたタネは、本に触れることで大地に根を張り、お日様に向かっていくのだろうと思われます。

そして好奇心のリハビリって、いけばなを再び盛り上げていくためのヒントにもつながっているような気がしているわけでして。なにせ、どうして花をいけているのですか、と問われたら「植物の素晴らしさをもっともっと知ってもらいたいんです」「植物にみいだしたワクワクをいけばなというかたちにして見せているんです」なんて答えている自分です。

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植物への好奇心のタネをひとつ。

セロームは花を咲かせると自らを摂氏44度に発熱し、保つといいます。なぜか? それはある種の甲虫がこの温度での交尾を好むからで、自らを甲虫の”床”とすることでくんずほぐれつする甲虫に花粉を浴びせかけ、受粉の可能性を広げているというのです。なんという生存戦略。甲虫の生態を知らずしてこの進化が遂げられるでしょうか。これを知性と言わずして何を知性と言えばいいのか。

好奇心は若返りの薬だとも言われてますから、際限なく好奇心を刺激する植物を扱う仕事は、長寿の秘薬かも知れません。

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ありがたくいただき、世界のどこかにタネを撒こうと思います。