夕飯のシコイワシを処理しながらふと
好きな花を使っていけばなをしてください、なんてお稽古をしていると、せっかく手にした花材を、ろくにかたちにしないままにうっちゃって、別の花を手にする人は残念ながら一定数いるものです。
花は卓の上で萎れゆくのみ(この点をあえて指摘することはありません)。
また、花材を食材に置き換えた例え話をすることも少なからずありますが、この時にピンと来る人とこない人がおり、当然日頃から食に対する意識を持っている人と、いない人の違いが出ます。
食に対する意識とは必ずしも自らが調理することを意味せず、命を扱っている自覚を持って調理している人の作った皿を食することも含んでいます。
さて、シコイワシ。
首根っこに爪を立てて首をちぎりがてら内臓を抜き、指を滑らせ腹で開きつつ処理するわけです。いやー。魚類にせよ動物にせよ、まずは栄養価の高い内臓を食らってから身を食するのが野生のセオリーですが、人間は時に処理対象とする。
日頃から食に意識のある人は、きっと花の命にもきっちり向き合ってくれているのだろう、と引き続き観察していこうと思います。あれ。
食べること≒自らの命をつなぐこと
だから当たり前の話なのか。
さて上記はあくまでも、自らのお稽古を通じての経験則にすぎず、これを一般化する気は毛頭ありません。
米粉をまとわせあげたシコイワシはとても美味しかったです。
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