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結局”わくわく”をシェアしたい。

Q: あなたはどうして花をいけるのですか?

ここ数ヶ月の間に受けたインタビューで度々質問されまして、

A: 僕はなんでいけているのだろう?

なんてものが回答として受け入れらることはないと思われ、その都度、頭をひねらせるわけです。漠然と以下のパターンで回答しています。

1. いけばなを通じて思考がまとまる
いけばなという思考方法がある、ということを知ってほしい。手と頭を使って目の前にある植物を一杯の作品にまとめあげる、という積極的な気分転換としてのいけばな、という存在。いける過程で頭の霧が晴れていく感覚。

2. いけばなという鏡がある
花をいける過程、ないしは仕上がった一杯にいけての人となりや状態、美意識が現れる。凹んでる人は凹んだ花を、悩んでいる人はこんがらがった花を。日頃花に限らず、美しいものに触れている人は花の美しさを引き出すのも上手、などなど、花への触れ方扱い方、仕上がった作品の完成度、と作品のいたるところに、いけてが顔を覗かせています。

3.いけばなを教える若い人を増やしたい
いけばなを学ぶ人が減っています。ひたすら減り続けていると言って過言ではありません。新しくいけばなを学ぶ人を増やしたい、と考えた時に、先生の高齢化ってひょっとしたら一因としてあるのではないだろうかと思いまして。いけばなを学ぶ若い人たちに、自らがこれからの先生像の先鞭をつけるぞ、ぐらいの奢った考えで、いけばなをこんな風に教える方法もありだよ、僕みたいな人間でもいけばな教えてるんだよ、と教えたくなるきっかけづくりができたらいいと思っている。

4.わくわくをシェアしたい
子供と一緒に自然に触れる中で彼らが見つけた植物や昆虫そのた好奇心の対象物に、僕も心躍らせることがあります。同じように、僕が市場でまたは庭で裏山で見つけた自然の力、みたいなものを皆さんにもご覧いただき、わくわくが伝播したらいいなと思ってます。

3.は、雑誌の質問からの回答ではなく、教室を始めた頃から漠然と思い、ゆるゆると種まきしていたことながら最近すっかり忘れていた感覚。で、本日、銀座 蔦屋書店さんでWSの打ち合わせを終えてからふと思い出したことです。

4.が本懐ですね。このわくわくが多くの方に伝播すれば、おのずといけばなの面白みたる、1.も2.も知ってもらうことができると思うから。

僕自身は花をいけるときに、眉間にしわを寄せていけることはあまりありません。
しかし生徒に教えるとなると、ついついあれもこれもと生徒の現状、実力を顧みずに僕自身が思い描く理想に向かって手直しをしてしまい、結果的に誰もが眉間にしわを寄せて終える、なんてことも少なからず。でしたが、やっぱりこれじゃ続かないのではないか、と思い改めています。
続けることが上達への近道だと、ここのところ不理解な英語で少しでも日常会話をこなせるようになりたい、とテキストに向かう毎日で改めて思うのです。いつまでたっても喋れないし聞き取れないからイライラしてはくさすなんてこれまでを繰り返すのではなく、喋れるようになった時に広がるであろう世界、このわくわくをイメージしながら勉強に励むということにようやく気持ちが切り替わりました。
英語でいけばなを教えたいというのは向こうしばらく難しいかもしれませんが、せめてそのための下準備を、と遅ればせながら進めています。
いけばなにおいても、生徒に花が思うようにいけられるようになった時に得られるであろうわくわく、をどう示していくかはまだまだ落とし所をさぐりつつではありますが、これは同時に、教えるわくわくを見せていく、ということにもつながるのかもしれず、結果3.にもつながるドミノだおし。
わくわくを共有できるように、これからますます心がけていきたいと思います。

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軒先に放置していたツルウメモドキに若葉が萌えているのを見つけて、わくわく。早速一杯仕立てたものの、写真じゃ伝わらないこの躍動感。写真が上手くなりたい、というのも一つですが、こうしたものを生で見ていただく機会を作るのが先決だな、と思ったりもいたします。空間も、いけばなの醍醐味、旨味忍者ですから。

ありがたくいただき、世界のどこかにタネを撒こうと思います。