自分を見極めて絞ると、他者への敬意も増すと実感。

昨日の投稿の流れの続きなんですが、今までちょっとある意味脇目も降らずに最短で解決したい問題があって、それに尽力してた大きい流れがあったんですが、それがひと段落して、ちょっと一歩引いた感じの視点を重視し出したつい最近です。

そんな新しい流れの中、改めてタイトルのような意識が自然と湧いてきました。

若い頃だとまだ無理だったかなと思うんですけど、自分なりに、目ぼしい幾つかのことを体感した結果、ある意味幸運にも本当に自分が得意な分野が幾らかの挫折や諦めの結果の果てに見つかったというか受け入れる結果になったみたいな流れがあり、諦めて明らめて、絞って集中することの重要性も認識するような流れの延長で、逆に、他の多くの分野ではその専門家に敵うわけないな、という実感も増してます。

別に人として今まで分かりやすく他者への敬意がなかったタイプなわけでもないとも思うんですが、自分を見極めて絞れば絞る程、他のことはそこまで出来ないなという実感も増して、自分に出来ないことをやってる人への敬意が増すという感じでしょうか。

おそらく、まだ何も突き詰めてない段階だと、そういう感覚も本当の実感として腑には落ちないんじゃないかなとも思います。

絞ることの重要性は以前から感じてましたが、それは有限な条件の中で成果を出すための現実的な選択として、という感覚が強かったんですけど、それだけじゃなく、本当に絞って見極めると、逆に自分にはそこまで出来ないことを自然にやってる他者の個性とか適性への敬意にも繋がるんだな、と実感した今夜です。




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