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古代ギリシャのころから暗記教育に異議を唱える~セネカ~

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暗記することは学ぶことではない

『事実』をただ暗記することは学ぶことではないとセネカは言う。『学ぶ』とは道徳・モラルを身につけることだ。学んだことは使ってなんぼ。使えるようになって、習慣になって初めて真価を発揮する。

知識を使用するとは

では、最も簡単に知識を使うとは?アウトプットは知識を知恵に昇華するために有効な手段だが、ハードルが高い。最も簡単に使うのは、自分自身の中に落とし込むことだ。つまりモラルとして身に付けること、半径3メートル以内の中で行動に起こすことだ。
アドラー流にいうと、『自分の世界観・ライフスタイル』に『学んだ』新しい世界観を取り入れるのだ。
『学ぶ』ことは他者と比較するのではなく、自分の変容のみを考えるべきだ。
他者との比較は意味をない。あくまで過去の自分と比較するべきだ。

たとえばのはなし

たとえばアドラー心理学を学んで、「課題の分離」という知識を手にした。仕事中に理不尽な叱責を受けた時に心像を拉致されずに「課題の分離」ができるかどうか、実践できるかどうかが肝要だ。
それで行うべきは、何を自分の世界観に取り入れるか?具体的にどういう行動をするか?をインプットするときに意識する。インプットした情報を網羅的に、包括的に自分の世界化に取り込もうとする、これはやってはいけない(自分もやってしまうのだが……)。全部覚えようとすると、全部忘れるものだ。基本は三つに絞る。自分の場合はまず一つだけに絞る。インプットに対して何を自分の世界かに導入するか、行動に反映させるかを考えてインプットするのだ。

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