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俺が悪霊を殺(や)る理由

3分間バトル小説「悪霊ハンター@MATUYAMA」  

初出 2019年11月8日

⚠️ショッキングなシーンがありますので苦手な方は読まないでくださいませ

 修学旅行の貸し切りバスには、人間しかいなかった。
 日曜日の朝は、化け物たちも開店休業。 空には青空が広がる絶好の行楽日和だ。


「自由行動、ユリアちゃんと約束しちゃったんだ。一緒にいられなくて、ごめんな」

 でかい野球ボールがプリントされた、悪趣味なTシャツ姿の親友、翔太《しょうた》が申し訳なさそうに手のひらを合わせる。野球部丸出しファッションのこいつは、つい最近彼女ができた。
 高校最後の修学旅行を大好きな彼女と過ごせるなんて、めでたいことだ。
 謝る必要なんて、これっぽっちもない。

「別にいいよ。1人の方が気楽だし」

 翔太はまじまじと俺を見ていった。

「なんかさ、セキ、いつもよりテンションが低いね。つまんないの?」
「いや、全然」

 とんでもない。
 むしろ今、俺は最高の気分だ。
 なんてったって、生まれて始めて松山を出るのだ。

 人口50万人の地方都市。呪いに満ちたこの街を。

 朝方、兄から投げかけられた言葉が頭をよぎる。

「後悔しても知らないぞ」

 俺はぐっと拳を握りしめた。
 兄貴は小心者だ。
 人生の選択肢はいくらでもあるのに、運命なんて、意味のない言葉に縛られている。

 未来なんて、いつでも変更可能だ。
 必要なのは勇気。ただ、それだけ。

 マイクロバスは街路を抜けて高速を快調に飛ばしている。
 周囲はあっと言う間に、山と川だけになった。
 牧歌的な風景が続き、左方向にひときわ大きな山があらわれた。
 大きな翼の鳥が飛んでいる。
 鳥は、青空をまっすぐに飛び、川の上を旋回する。
 流れるような美しい動きだ。
 翼のある生物はすごい。あっと言う間に、どこにでも行ける。
 国境という概念すら飛び越えて、とことん自由だ。
 それに比べて陸をはう生物は、見えない鎖に繫がれているようにさえ思える。

 冷たいものが腕に押し付けられ、俺はハッとした。
 翔太だ。
 カラオケのマイクを持ってにかっと笑いかけてくる。

「デュエットする?」
「……遠慮する」
「セキは恥ずかしがり屋だな。じゃあ、俺が美声を聞かせてあげましょう」

 翔太はミスチルをがなり始めた。
 音程がかなり外れているが、いやし効果は満点で、バスの中は爆笑に包まれる。

 窓の外を見ると、もう鳥の姿は消えていた。
 その代わり前方に標識が見えた。
 もうすぐ高速は松山を出る。俺にとっては大きな第一歩。
 バスが県境を越える。
 やった。
 ほら見ろ、兄貴。
 俺は勝った。

 ひっそりと腰のあたりで、小さなガッツポーズを決めた瞬間。

 あたりは一気に真っ暗になった。

(え?)

 ぎや、と、い やな音が鼓膜をうち、俺は首を横に向ける。

 翔太の頭の上に古い映画「エイリアン」に出てくるみたいな、つり上がった鋭い目と何層にも重なるギザギザのとがった歯を持つ怪物が乗っている。
 俺と目が合うと、そいつはニヤリと笑い、翔太の首筋に尖った牙を突き立てようとする。

「このバカ」

  俺は化け物を引き剝がす。
 まだ誰も、異変に気が付いていない。
 突如現れた暗闇も怪物も、能力者である俺以外には見えないのだ。
 翔太の歌う下手くそなミスチルが、 ホラーな雰囲気をかきたてている。 どこから湧いて出たのか、バスの中は化け物だらけだ。 窓の外は墨汁をまいたみたいに真っ黒で、 フロントガラスの少し前には大きな渦が口を開けている。
 まるで地獄への入り口みたいなその場所へ、 バスはまっすぐに進んでいる。
 運転手の真横に怪物がいる。
 そいつは、節くれだった長い指先をハンドルに掛けている。

「 やめろ」

 俺は立ち上がり、前列へ弾丸みたいに飛び出していった。
 怪物は、ちらりと俺の顔を見る。

「ほらな、言ったろ」

 頭に浮かぶ兄貴の声。俺は激しく首を左右に振った。
 黙れよ、馬鹿野郎。
 俺の目から、涙があふれる。
 運命なんて変わらなくていい。
 一生俺はこの街を出ない。
 だから、やめろ。やめてくれ。
 怪物がハンドルをくるっとまわす。
 ガガガガゴゴゴゴ、とタイヤのスリップする音がして、 次の瞬間 車内は阿鼻叫喚に包まれた 。
 俺は化け物をハンドルから引き離したが、もう渦は目の前に迫っていた。
 一瞬、ふわっと、体が浮き、次の瞬間、黒い渦の中へとバスは吸い込まれていく。

 バスは錐揉み状態になり、永遠かと思えるほど長い……しかし、恐らくは数秒が過ぎていき、すさまじい衝撃が俺の体を襲った。
 いやらしい笑みで俺の顔をのぞき込む、怪物の顔を見つめながら、俺は意識を手放した。



 夢の中で、俺は爺ちゃんの声を聞いていた。

『ソウに、セキ。お前たちは夏目漱石《なつめそうせき》の末裔じゃ。漱石はすぐれた文豪で、そして素晴らしい預言者でもあった。全国にわいて出る呪いの全てが松山に集約されるよう、道を作った。お前たちは呪いを祓う力がある。人を助けるのが、お前たちの運命。選ばれし者には、それ相応の義務がある。一生松山を出てはならんぞ。運命に逆らえば代償を払うことになる。取り返しのつかんことになってしまうからな』

 だけど俺は、禁を破った。
 松山から出ようとした。

 ほんの少しくらい大丈夫だと、そう思った。
 そしてその結果……。



 目が覚めたらバスの外だった。
 とりあえず、生きている。しかし体がピクリとも動かない。あたりは真っ暗だ。まだ、異次元に捕らわれたままらしい。
 血と肉の焼ける匂いがした。
 胸の奥が、ずん、と痛くなる。
 ガチガチに凝った首をひねって横を見ると、野球ボールのTシャツが目に入った。

「翔太……」

 震える手を伸ばして少年っぽく狭い翔太の肩を掴み、俺はその体に、手も足も、頭もついていないことに気づく。

「嘘だろ……」

 俺ははじかれたように立ち上がった。体は全然動く。ダメージがあったのは、メンタルで、肉体はなんの損傷も受けていないらしい。

 結界が破れ、黒一色だった世界に色が戻っていく。

 煙の匂いが 鼻をつく。
 バスは崖の下に落ちていて、俺の周囲にはちぎれた死体が散乱していた。

「うわ……うわあっ」

 俺はその場にへたりこんだ。
 あまりの惨状に腰が抜けた。この中には、翔太の彼女や先生もいる。
 知っていた人間が跡形もなく変わってしまった。
 二度と動かない。二度と会えない。

 命はもう二度と戻らない。

 俺のせいで。


 体がちぎれるような後悔と凄まじい罪悪感が俺の魂を押しつぶす。
 俺はうなだれ、激しく泣いた。

 と、視界の端に奇麗な革靴が目に入った。

「ひどい有様だな。だから言ったのに」

 落ち着き払った声。

 こんなときに 取り乱さないなんて 、人間じゃない悪魔だ 。

 俺はゆっくり顔を上げ、兄貴のソウを睨みつけた。

「どうして止めなかった」
「止めただろう、何度も」
「こうなるって知っていたら行かなかった!」
「本当に?」

 兄貴は膝をついて、俺と目線を合わせると、俺の前髪を掴みぐっと顔を上向かせた。

「人間はいくら説明しても、現実に起きたことしか信じない。確実に想像できる未来ですら、あらゆる楽観的思考を駆使して無視しようとする。夏目一族の役目について、お前は知っていた。そうだろう?」
「でも……!」
「お前は自分で決めて、運命に逆らい、その報いを受けた。ただそれだけのことだよ」

 俺の右目から涙があふれ出るのがわかった。
 兄貴は、前髪から手を離すと俺の額をちょんとつついた。
 たちまち体から力が抜け、俺は地面にあおむけになった。

「もうすぐ助けが来る。お前はたった1人だけ生き残ったミラクルボーイとして、しばらくの間、世間の脚光を浴びる。まあ、無傷だといろいろ詮索されて厄介だ。ダメージを少しだけ残しておいた」

「くそ……」

 こんなやつに身体の自由を奪われるのが嫌で、俺は必死になって手足を動かそうとした。しかし、ぴくりとも動かない。

「じゃあな。セキ。病室に駆けつけるときには、ちゃんとマスコミ向けの悲しい顔を作っておくよ」

 最後にそう言って兄貴は消えた。

「待て。待てよ!」

 叫んだが、返事はない。

 頭上に広がる青空を見つめながら、俺は大きく息を吸った。
 山の高いところを大きな鳥が飛んでいる。さっき見た鳥だろうか。
 翔太のへたくそなミスチルがよみがえってきた。

「デュエットする?」

 悪戯っぽいささやき声が頭の中にリフレインする。馬鹿で、優しくて、いいやつだった。
 もう、あいつはこの世にいない。

「ごめんな……」

 ほんの少しの勇気があれば、運命なんて変えられる。
 俺の浅はかな思い上がりのせいで、お前の人生はたった17年でブチ切られた。

 ごめんな、翔太。
 俺のせいで死なせてごめん。
 すぐに悲しんであげられなくてごめん。
 俺だけが生きていてごめん。

 どんなに謝っても取り返しがつかない。

 救助ヘリがやってきたのは、それから3時間後。

 悪霊ハンターになる決意を固めたのは3週間後のことだった。



「友への贖罪を胸に秘めて……、だと? なんだ、このキャプションは。こんな記事、使えるか!! 何年報道記者やってんだ!」

 編集長はパソコンを開いたまま、私を怒鳴りつけた。
 昨日送った原稿が気に入らないらしい。予想はしていたが、諦めきれずに私は食い下がる。

「悪霊ハンターセキの初インタビューです。これは掛け値ない真実ですよ」
「大衆はこんな真実求めてない」
「ですが……」
「いいか?」

 編集長の目が鋭いものになる。

「どでかい怪物を難なくぶった斬る、セキは日本中のヒーローだ。そのヒーローが、正義感も使命感もなく、ただ贖罪のためだけに動いてるだなんて知ったら、大衆はシラける。しかも重圧を1人の若者に背負わせてるんだぞ? 気分が悪いだろうが!」
「でも、それこそが私の伝えたかった事です」

 私は身を乗り出した。

「セキは過去の記憶に苛まれながら、険悪な関係の兄と共に2人だけで怪物と闘っています。それがどれほど苦しいことか……」
「伝えてどうなる。誰も代わってやることはできん。能力と孤独はセットなんだよ。だからこそのヒーローだ」
「それでは……あまりにも……可哀想です……望んで悪霊ハンターになったわけじゃないのに」

 俯く私に、編集長は言う。

「本当にそうか?」
「え?」
「真実は何層もの事実の中に隠れている。目に見えるものだけが全てじゃないぞ」

 編集長の言葉の意味はわからない。
 しかし、前のめりだった心にブレーキがかかったのは確かだ。
 編集長の声が和らぐ。

「どっちにしても俺たち報道が誰かを救うとしたら……それは大衆だ。今その話は出せん。わかるだろう」

 編集長はそう言うとモニターに向かった。話はもう、終わった、という合図だ。

 仕事が終わって家に戻ると、私はノートパソコンを立ち上げた。
 編集長の言うことなんか無視して告発してやろうか。
 そう思った。
 ……一瞬だけ。
 でも結局できなかった。私は臆病ものだ。
 真実を知っているのに何もできないなんて、臆病を通り越して卑怯だとも思う。
 
 そして思った。

「それでも……何かできるかもしれない」

 過去が言えないなら今を、剥き出しの彼をできる限り伝えるのだ。

私は「長期密着ドキュメンタリー企画」を書き始めた。

「待っててね。セキ」

心の中でそう呟きながら。



 終わり

 


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