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3年前。会社を辞めて、独立してみた。

こんにちは。FacebookやTwitterさえほとんどやってない(見るだけ)僕が、noteに何かを書くというのは気が引けるところもあるのですが、「中崎西公園」というユニットへの参加を機に、ためしに書き始めてみようと思います。まずは簡単に、経歴的なものから…

大学卒業→リクルート(15年)→フリーランス(1年)→会社設立(もうすぐ丸2年)→有限責任事業組合「中崎西公園」参加

新卒でリクルートメディアコミュニケーションズ(現:リクルート)に入社し、広告営業・HR領域の広告制作ディレクター・大手企業担当プランナーを経て、マネジャーも5年ほど経験。その後、本社部門の「ダイバーシティ推進/経営基盤変革担当」も経験させてもらいました。そして2018年3月に退社してフリーランスに。リクルートの業務委託パートナーとして引き続き関わりながら、個人として企業の経営支援などをしています。2019年3月には法人成りし、「株式会社メーティス」を設立。代表取締役になりました。フリーランスも会社経営(社長業)も「一度はやってみたい」という軽い気持ちで始めたところもあるのですが、とはいえ大企業を辞めて独立したのにはそれなりに理由があります。

「がん」になって、感じたこと。

前職のリクルートには15年在籍しましたが、振り返ってみても本当に良い会社だと思いますし、退職時も特に何の不満もありませんでした。じゃあ、なぜ辞めたのか?大きな理由の1つは、今から約7年前、34歳の時に初期の喉頭(声門)がんを罹患したことです。幸い、本当に初期の発見だったので、レーザー切除後は抗がん剤を使用する必要もなかったのですが、5年間は経過観察が続きました。(一応、寛解した今も年2回は定期検査を受けています。)

手術から2週間後には会社に復帰し、労働時間を大幅に抑えながらも、それまでと変わらない価値の仕事をすることができました。もちろん会社の配慮や周囲のサポートがあったからで、当時の仲間には心から感謝しています。がんを経験している方が周りに少なからずいらっしゃったのも意外な発見でした。ある方から「僕も"がんサバイバー”なんですよ」と声を掛けていただき、そんな言葉があるのかと驚いたり。みんな先行きへの不安も感じながらも、世の中の働き方の自由度を高まってきたことを力に変え、変わらず活躍されていることに勇気をもらいました。

それと同時に、「これまであんなに長時間働いていたけど、何をしてたんだろう?」と思いました。事務作業や会議など、何も考えずにやってきたことの中には無駄なものが多いと気付いたのです。病気になる前は単身赴任も経験し、会社に出社して残業するのが当たり前だったのですが、この経験を経て「いかに短時間で高い価値を生み出せるか」という意識が高まりました。そして、「一個人として生き方・働き方を自ら選び、どこに住んでいても、短時間でも、パフォーマンスを発揮して適正な評価と報酬が得られるようになりたい!」と思うようになったのです。

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5年早く経験できた「フルリモートワーク」がもたらした変化

ちょうどその頃、過重労働が社会問題になり、育児や介護など制約にかかわらず誰もがパフォーマンスを発揮でき、多様性をイノベーションにつなげる「働き方変革」が経営テーマになっていました。そこで当事者でもある僕に、特例的に関西在住のままフルリモート環境で、東京の役員直下のダイバーシティ推進企画を担当する機会を与えてもらったのです。今やコロナの影響でリモートワークが当たり前のような雰囲気ですが、今から約5年前の話です。よくやらせてくれたなと思いますが、この仕事が大きな転機になりました。

経営陣や社外のトップコンサルタントとの議論、人材・組織開発やイノベーションに関する様々なセミナー等でお会いした方々や最先端の研究理論と出会い、一人ひとりの個性を活かしてインパクトの高い仕事をするためのチームマネジメントや組織開発に対する関心が高まりました。と同時に、自由でプロセスが問われないリモート環境で働いたことで、一個人としてよりプロフェッショナルである必要があると強く感じたのです。居場所があることに甘えて会社の看板や環境に守られるのではなく、自分自身で望ましい仕事機会を選択し、結果に責任を取れるように。そんな思いで、38歳になるタイミングで「独立」を選択しました。

「別に辞めなくても」と多くの人に言われたし、振り返ると「よく思い切って辞める決断ができたな」と思います。ただ、俗に「中年の危機」と言われるような、現状維持の先にある将来への漠然とした不安があったように思います。そういえば、僕が就職活動をしていた2002年頃はIT化の波が押し寄せ、「これからは個の時代だ」と言われていました。メーカーや商社人気が凋落し、手に職をつけられる「SE」が大人気。そんな時代を経験してきたこともあり、「いつか一人で食べていけるようになる」ということが目指す姿として脳に刷り込まれていたのかもしれません。今は、退職しても何のわだかまりもなく仕事を発注してくれるリクルートの懐の深さに感謝しつつ、個人としてこれから何にチャレンジしていくべきか、あちこち寄り道しながら模索しています。

実際、一人になってみると良いことも悪いことも色々ありました。今回、縁あって「有限責任事業組合中崎西公園」というユニットに参加することになり、これを機に、感じたことや気付きの記録をこのnoteに残していこうかと思っています。(「中崎西公園」については、次の記事にて…)

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