1章5節 力のない奴は足で稼げ!

Z中学校で敦が驚いたことの1つは、香川達がほぼ毎日飲み会をやることだった。月曜から「飲みに行くよ芦田くん」と誘われる。部活の引率があったり授業の準備や朝の学習時間の課題作成とチェックなど、やるべきことは山ほどあったがそれでも連れて行かれる。断るとあからさまに機嫌が悪くなるため、敦はなるべく出席した。幸いなことにお金はほとんど香川らが出してくれた。お前に後輩ができたらそのとき奢ってやれという先輩達の言葉に、敦は『これが教師なんだ!』と侠気のようなものを当初は感じていた。

飲み会のメンバーは香川と難波と時々第2学年の学年主任である日村。ごくまれに同期の体育教師・本田が加わる。例えば教務主任の陣内や生活指導主任の錦織、或いは男子バレー部の浅岡などは全く参加しなかった。また同じ学年の英語教師である川崎などには、香川は声すらかけていないようだった。難波は日中は錦織や浅岡など学年の教員と一緒にいて、香川とつるんでいる様子はなかったが夜は違った。

始業式から2週間ほどしたある日の飲み会で、なかなか上手くいかない悩みを敦は3人の先輩に相談した。日村は、俺は最初から怖かったから生徒に舐められたことはないと言った。香川は昔の方が生徒も荒れていて大変だったと言い、自分は平常心を装っていたと話した。最後に難波は言った。

「まず部活の大会とか観に行けばいいんだよ!自分の頑張ってる姿応援してくれる先生には、ガキだってなつくだろ!」

「大会の応援ですか」

「この先生応援に来てくれた、好き~ってなれば授業もやりやすいじゃないか。お前は実力がないんだ。そんな奴は足で稼ぐしかねえだろ!」

そうか。よし、やろう。その週末から敦は動いた。元々大学院を出て何の知識もなく飛び込んだこの世界である。他の教員より力不足なのはわかっている。そしてZ中学校に昔からいる教師達は、この4月から異動してきた教員達を『力のない教員』と呼んでいるのもわかっている。バスケ部顧問で、部活の顧問を決める会議の司会者だったが怒って出て行ってしまった下田などはある日タバコを吸いながら「何でアタシらが使えねー教員の尻拭いしなきゃならねえんだよ」と口走っていた。間違いなく自分も尻拭いされている側だと自覚していた敦は、とにかく実力をつけることに焦っていた。土曜日はサッカー部の大会だったが、日曜日には難波が顧問を務めるバドミントン部の大会会場に足を運んだ。

「うわ、芦田だ~!」

「なんでいんのー?!」

3年生の女子部員を中心に声が挙がった。応援に来たんだよと伝えるとキモイと返ってきたが、生徒達は笑顔だった。ベスト4のうち3つにZ中学校の部員が残り、優勝も勝ち取って難波はご満悦だった。敦は保護者から応援や差し入れへの感謝を述べられた。そして頑張っている生徒達の姿を見て、自分が教師として正しい道を進んでいることを確信していた。

次の週は土曜日に男子バレー部、日曜日に女子バレー部の大会会場に足を運んだ。自分の時間はますます減り、教材の作成や採点は空き時間を目一杯使ったり家に持ち帰ったりして必死にやっていった。そんな余裕のない状態だからか授業の腕は決して上がらなかったが、徐々に3年の女子生徒達から授業中の質問とか授業後にわからないところを教えてくれといったことを言われるようになった。

やった!足で稼いだ成果だ!敦は、自分は成長しているのだと感じていた。

「ねー、芦田せんせー。わからないとこあるから放課後教えてよ」

ある日、難波のサブで入った授業で小渕という女子バレー部所属の3年生に声をかけられた。あぁ、いいよと言うと他のバレー部員を呼んで、芦田が教えてくれるってと言い出した。結局その日の放課後、部活がなかったこともあって5人の女子バレー部の生徒に勉強を教えることになった。それが終わり職員室に戻ると、難波が待っていた。先生の言うとおり、足で稼いだら生徒も応えてくれましたよ!思わずそう告げようとしたところ、難波は言った。

「小渕とかがお前に勉強教えてとか言ってくるのは、俺達がお前と毎日飲んだりして仲いいって思ってるからだからな。芦田先生は難波先生達と仲いいんだって安心してるだけだから。お前の実力じゃないんだからお前は調子に乗るな」

全く思ってもみなかった言葉に、敦は何も言えなかった。これは質問を受けるなということなのか?調子に乗らずこのまま頑張れということなのか?残念ながらどちらも間違っているように思えてならなかった。

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