1章3節 これが現場なのか

初出勤から3日目、この日初めて全ての教員が揃っての前日出勤だった。色々な会議があり、4月からZ中学校に赴任することになった教職員の挨拶も改めてここで行われた。

既に2日間勤務して、敦は気になったことがあった。初日、2人の50歳くらいのベテラン教員が声をかけてきたのだ。

「先生さぁ、部活のことなんだけどバスケットボール出来ない?」

決してバリバリのスポーツマンではない敦だが、サッカーは好きだった。学生時代に草サッカーチームを作り、運営に携わった経験もある。だがバスケットボールはルールすらほとんど知らなかった。それを伝えると、2人のベテランはそうかぁ…と笑いながら去って行った。何なのだろうかと少し引っかかった。

勤務2日目には、サッカー部の顧問であるベテラン教員の岸川と初めて顔を合わせた。岸川は教科も同じでサッカーが好きだという敦に、自分は出張が多いので顧問がもう1人いて欲しいと思っていたんだと言った。敦も、どうせやるなら好きなサッカーの顧問がよかった。香川や難波と異なり、岸川は穏やかで話しやすそうだったというのもある。昼食を共にしながら部のことを色々尋ねたが、岸川からは意外な言葉が返ってきた。

「僕は、練習とか試合の采配とかは全部コーチにお任せしているんだ」

どういうことなのかよくわからなかったが、部活が始まったらわかるだろう。春休みは練習ないのですかと尋ねると、自分の用事があって責任者不在だからやっていないという。いずれにせよ、4月3日の会議で顧問が正式に決まったらよろしくということになった。


そして4月3日。職員室の机移動から始まり、午前中に会議。ここで峯本校長が今年度の目標や教育方針などを話した。その時にZ中はいくつかの学校が合併して作られたこと、まだZ中学校としては9年くらいだということ、そしてこの9年間で一度も新規採用はいなかったことが明らかになった。今年新規採用でやってきた敦と女性の体育教師である本田、女性の美術教師である渡邊、国語の病休代替である女性教師の芹沢の四人は、Z中学校創立以来初めての新規採用だった。

「合併した直後はめっちゃくちゃ荒れてたからな。あちこちの力のある教員を引っ張ってきて今があるんだよ」

後に山岡副校長から敦はこう教えられるのだが、Z中学校にはある程度力のある教員が多いというのが元からいる教員の共通認識のようだった。

年間の予定などを教務主任の陣内が読み上げていく。陣内は初出勤の日に、バスケットボール部を打診してきた2人のうちの1人だった。次に生徒指導の指標のようなものを生活指導主任の錦織が話していく。錦織もまた、バスケットボール部を打診してきた2人のうちの1人だった。敦にとって初めての会議だったが、この時点ではよくわからない言葉のオンパレードできちんと理解はしていなかった。やっていればわかるだろうと思っていた。


昼食前に約1時間、顧問会議が組まれていた。今年度、何の部活を誰が受け持つのか決める会議。生活指導主任の錦織と部活動担当だという下田が司会を務めた。まず難波が言った。

「俺もそろそろ異動だから~バドミントン部に副顧問入れて欲しいんですけど~」

あれ、初めて会ったときと随分雰囲気が違うなと敦は思った。もっと口数の少ないドライな感じかと思っていたが、そうではないらしい。難波が言い終わるとすぐに、かなりのベテランと思われる女性が立った。社会科の上林だ。彼女は敦と同じく、第一学年の副担任だった。

「私は昨年度、将棋部の顧問でした。元々顧問はやるつもりがなかったのですが、峯本校長から先月卒業した3年生まで面倒を見てくれと頼まれたからやっていたんです。役目は果たしましたからもう部活はやりません」

次に今年度、別の区から異動してきたばかりの英語教師・加藤が挙手した。彼女も第一学年で、担任だった。

「私は前の学校で英語部でした。英語部ならやりたいと思います」

英語部はありませんと下田が言う。次に加藤と同じく1年の担任になる織田が立ち上がった。織田もまた今年異動してきた、ベテランの女性教師だ。

「私は父の介護があるため部活は出来ません!」

なんだなんだ、どういうことだ?敦は面食らった。先程の職員会議とは打って変わり、ここでは皆が自分の要望を好き勝手に言っている。司会の下田は明らかに不機嫌そうに言った。

「とりあえず皆さん色々あるみたいですけど、例えば難波先生なんかは全然バドミントンの経験者とかじゃない中で一生懸命勉強して指導されてるんで、他の皆さんも同じように求めたいんですが」

いや私はと織田がまた何か言おうとすると、

「何だよやってらんねえよ、好きにしろや!」

と難波が大声を上げて出て行ってしまった。更に香川と司会者であるはずの下田も一緒に出て行った。香川が不機嫌そうにドアに蹴りを一発入れて、会議室中に大きな音が響いた。


静まり返った部屋の中で携帯の着信音が鳴り、もう1人出て行った。男子バレーボール部の顧問で、第三学年の学年主任を務める浅岡だった。基本無口で、この2日間挨拶したときに「ドーモ」と言われたきりだ。何を考えているのかわからず、この人は怖い感じだなと敦は思っていた。実際、この顧問会議中もずっと無言だった。そして皆が好き勝手にガヤガヤやりだした辺りから、ニヤニヤし始め隣の陣内と何か話していた。

「あー、何ー?試合ー?ダメだよー今日は前日出勤だからよー…」

浅岡はバレーボール部の顧問仲間と思しき相手と電話をしながら退室していった。会議室はますますシーンとなった。司会席に座っていた錦織は、完全に黙り込んで座ったままだった。相当この人も怒ってるんだろうなと敦は感じた。

「それじゃさ、今どの部が副顧問必要かわかるように書いてみようか」

言い出したのは3年の担任で家庭科の井出だった。特に声が大きいわけではないが、井出の言葉に皆が従った。井出はさり気なく、先程まで下田が座っていた錦織の横に座った。

ホワイトボードに各部の顧問が書かれていく。

女子テニス:香川(1年担任、数学、男性)、上杉(2年担任、国語、女性)

女子バドミントン:難波(3年担任、数学、男性)

陸上:錦織(生活指導主任、3年担任、社会、男性)

男子バレー:浅岡(3年担任、体育、男性)

女子バレー:陣内(教務主任、2年副担任、理科、男性)

男女バスケ:下田(2年副担任、体育、女性)

サッカー:岸川(2年担任、数学、男性)

吹奏楽:川崎(1年担任、英語、男性)

演劇:井出(進路主任、3年担任、家庭科、女性)、岡本(2年担任、社会、女性)

将棋:廃部

華道:井出

美術:横田(2年担任、英語、女性)

パソコン:日村(2年担任、技術、男性)、小倉(3年担任、理科、女性)

まず顧問不在の美術部は、新規採用で2年副担任の渡邊が収まった。教科担任だしちょうどいいだろう。次に、下田が1人で男女両方見ているバスケ部をどうするかとなった。陣内が初めて口を開き、下田は昨年度体調不良で欠勤が長かったのだと言った。だからどうにかみんな協力して欲しい、と言った。

「芦田先生は、岸川先生の話だとサッカーがいいということですね。見るからにサッカー好きそうですけど、やっぱりサッカーがいいですか?」

不意に井出が敦に言った。敦は即答した。

「サッカーは好きですが、どうしてもサッカーというわけではありません。何でもやらせていただきます」

ここまでの会議の様子を見ていて、敦はウンザリしていた。部活は教師の仕事なのだろうに、アレはやりたくないこれじゃなきゃイヤだと好き勝手に喋る人達を見て『こんな人達と同列に見られたくない』と思ったのだ。するとすぐに、織田が言った。

「やるって言ったわよ。じゃ、この人にバスケ部はやってもらえばいいわね」

もういいよ何でもやるよと敦が腹を決めたその時、

「じゃあ僕がバスケ部は副顧問やります」

と声がした。3年の副担任で国語の直江だった。彼も他区から異動してきた教員で、40代後半くらいのベテランであった。直江は笑顔で、でも技術指導は出来ないよと続けた。これでバスケ部の問題は解消された。

「じゃあ芦田さんが男女両方のバレー部に入ればいいわね!」

また織田が言った。お前は何なのだ、恥ずかしくないのか?と敦は思ったが波風を立てる必要もないとバレー部副顧問で納得しようとしたところ、

「あのー、それじゃあアタシがバレー部に入ります」

と、敦の隣で声が上がった。3年の副担任で他区からの異動組である英語教師の柳田だった。見た感じそんなにスポーツが好きという風には見えなかったため「いいんですか?」敦が尋ねると、柳田は早口で「先生は若いんだから好きな部活やりなよ」と答えた。この2人と会話をしたことはほとんどなかったが、直江と柳田のお陰で、顧問会議の一番の問題が解決した。

その後、体育科で専門ということで新規採用の本田が陸上部に入り、音楽科で異動組の木戸が吹奏楽部の副顧問になった。将棋部が廃部になってもう部活はやらないと言っていた上林は、年に数回しか活動しないという条件で華道部に入った。織田も便乗し、華道部顧問は2人になって井出が演劇部に専念することとなった。英語の加藤はバトミントンとサッカーなら、女子の部だし室内だしとバトミントンを選んだ。結果、サッカー部が残り敦は無事サッカー部の副顧問となった。

たかだか顧問を選ぶだけの会議のはずが、30分以上オーバーして終了した。退室するときちょうど敦は錦織と一緒になった。

「あの…」

ウン?と錦織は振り向いた。思い切って敦は聞いてみた。どこの学校もこんな感じなんでしょうか?と。錦織は真顔になって、少し小声で言った。

「これが現状だよ。何もやらないくせに権利だけは主張しやがるんだ」

「お、俺やっぱりバスケに入った方がよかったですかね?」

「いやー、関係ないよ。一番先生が力を発揮できるのがサッカーならそれでいいんじゃねえか?ただ、これが、今の日本の教育現場だってわかっといた方がいい」

錦織の言葉に、まだ勤務3日目であるにもかかわらず不穏なものを感じていた。怒ってドアまで蹴って出ていく香川達、何を考えているのかわからない浅岡、そして好き勝手に喋る人達。これで生徒が登校するようになったらどうなるのか。敦には全く先が見通せなかった。

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