1章8節 本物と偽物

運動会までの日々はとても濃密だった。まず、学校行事の裏側でどれくらい教員が黒子として動くのかが、少しだけわかった。主になるのは体育科の浅岡と下田、そして敦の同期の本田である。だが例えばきちんと整列しろとか待機場所では黙れとか、そういったことはその場にいる教員の対応に任されていた。そしてその場で動けない教員は使えない、とレッテルを貼られていった。

全体練習の日のことである。敦が副担任で入っているクラスの担任を務める加藤は日差しが強いせいか、つばの広い帽子を被って日陰に座っていた。織田もまた同様に大きな麦わら帽子を被って座っていた。敦の同期の渡邊は日焼け防止用の装備にサングラスだった。練習の後、下田はこれらの教員をマジ使えねえと切り捨てていた。

Z中学校は運動会で使う校庭が、学校から徒歩5分くらいのところにあった。移動の際に1年1組の担任である川崎は、

「そこは私有地だ!入るんじゃない!」

と1年1組のやんちゃ坊主達を怒鳴りまくりながら引率していた。冷静な女子は勿論、男子の中にも

「まだ朝9時前なんだけどー。うっせぇよザビエル」

と言い出す者が多数いた。入学当初から川崎の髪型を指してザビエルと呼ぶ生徒が沢山いた(大多数が兄か姉のいる生徒だった)。川崎は普段こそ温和で英語や音楽に通じた人物なのだが、自分の価値観で許せない生徒がいたときにブチ切れる傾向があった。そしてそれらの生徒を「アレはADHDだ」と吐き捨てていた。そんなことは生徒達には知られていなかっただろう。しかしブチ切れると罵ったり殴ったり頭を掴んだりするので、多くの生徒から嫌われていた。特に男子生徒のウケが非常に悪かった。3年生で青組の団長の程野は敦に、

「オッサンがあいつにいじめられたらオレに言えよな。オレ1年生の時にあいつ泣かしたことあるぜ」

と言ってきたことがあった。言葉こそ不穏だが彼なりの敦への親愛の証なんだろうと思いつつも、川崎はそう言われていることを知らないのか全く気にしていないのかどちらだろうかと疑問に思っていた。

運動会練習は進んだ。当初は敦もどう動いてよいかわからずにいたが、とりあえず待機場所で騒ぐ1年生を黙らせることと入場行進はピシッとやるべきだという香川の意見に従って、物干し竿を使って隊列を合わせる指導をしていった。香川の動きを見て、なるべくそれについていった。そして2回目からは物干し竿を出して率先して合わせろと指示を出していった。それでも日差しを避けたい連中は変わらなかったし、元々Z中学校にいた教員の一部(特に下田と難波だ)のそういった教員への批判は増える一方だった。


応援団の活動も続いていた。程野と大岩に頼まれてアイディアを出すどころか、ほぼ敦が青組の入場と口上を考えてやった翌日からほとんどの団が下級生も加えて本格的な練習に入った。

毎日その様子を見て回ると、大体青組に引っ張り込まれて一緒にダンスをやらされた。担任の浅岡からは特に何も言われなかったが、難波が担任している3年3組からは「青組の手先」呼ばわりされた。

「難波先生が、芦田はスパイだって言ってた!」

「応援賞を青組にとらせる気でしょ!」

ヒステリックに難波のクラスの女子が叫ぶのを見て敦はドン引きした。そしてありもしないことをツラツラ生徒に吹き込む難波に対し、この頃からかなりの嫌悪感を抱き始めた。

小倉の担任する3年2組は、結局萩原が団長になって副団長の芳賀と共にまとめていた。ただ、男子バレー部のエースである石橋は相変わらずやる気の無い振る舞いを見せていた。サッカー部の桃井も相変わらずで、敦の顔を見るとニヤッと笑ったりピースをしてきたりしていた。このクラスの女子がヒステリックに自分に文句を言ってきたこともあり、桃井らとはあまり関わらずつかず離れずのような距離感で接していた。

錦織が担任する3年1組は、何ともひっそりとやっていた。生徒曰く、錦織がやる気ないらしい。生徒も全体的にやる気がなく、だから大きな騒ぎも起きなかった。

もう一つ、井出が担任している3年4組は全体的なまとまりが一番感じられた。女子に比較的リーダーシップを発揮できる生徒が揃っていて、男子の小嶋という声の大きな良い神輿がいてそれが井出を中心にまとまっていた。そのためか一度も騒ぎが起きなかったし、授業をやりに来ても一番良い雰囲気を感じられるクラスだった。

こうして3年生を中心に活動していたが、やはりここでも問題が起きた。3年生がちょうど修学旅行で不在にしており、2年生と1年生だけで放課後の応援団活動をしているときだった。2年生のフロアである2階で活動していたが、最上級生のいない気安さと放課後という開放感が1、2年生を暴走させた。キャーキャー騒いで応援団の活動どころではない。敦は走り回る生徒を注意していたが、数が違いすぎる。到底抑えきれるものでもなく、1年生のサッカー部員で一番態度の悪い上野が防火扉を強く押して校内に警報が鳴り響いたところで香川や下田といった教員が上がってきた。

「てめぇら何やってんだ!ふざけんじゃねえぞ!」

香川が怒鳴りつけた。

「お前ら全員帰れ!中止だ!こんなもん!」

下田もほぼ同じ口調で続く。

「芦田先生!あと3分でコイツら全員帰らして!3分。絶対!」

えっ、無理だろ!敦は絶句した。香川と下田は言いたいことだけ言って戻っていく。残されたのは生徒達と敦だ。そして何とも不満そうな顔。あと3分で彼らが全員帰れるはずもなかったし、帰るはずもなかった。

そもそもこうなることくらい予想もつくだろうに、誰1人として2階に来なかったじゃないか。騒ぎになってからワーワー言ってあとはお前が処理しろとか、無茶ぶりもいいとこだった。

結局2年生の各クラスで主になっていた連中(大半が女子だった)が集まって、職員室に謝罪に行った。何故かこの女子達はみんな大泣きしており、泣きながら「もう一回チャンスをください!」と叫んでいた。そしてそれを許すのは何故か、香川と下田だった。せめてそこは応援団担当の主である陣内じゃないのかと思ったが、香川と下田は「お前らを信頼するからしっかりやれよ」と言って再び活動が始まった。謝りにきた女子達は、「ハイ!」と叫んで号泣していた。酷く低俗なドラマを見せられているような気分になり、敦はそっとその場から離れた。

運動会の直前、今度は敦が頻繁に出入りしていた浅岡の担任する3年5組で揉め事が起きた。男子と女子の意見の相違という、よくある話だった。応援団の活動だけでなく、学年種目の練習態度にまで話が膨らんでしまい団長の程野はまとめきれずにいた。フォローすべき副団長の大岩と女子の副団長である宮澤などは率先してバトルしている始末だった。敦は見ているしかできず、最終的に浅岡を生徒が呼んできた。浅岡は全員座らせると、一回も声を荒げることなく穏やかに生徒を諭した。

「これはお前達にとって中学校生活最後の運動会だし、そして最上級生として後輩を指導しながら何かを成し遂げる最初で最後の機会だろう。お前達この運動会をどう終わらせたいの?こんな最後に内輪で喧嘩してグチャグチャになっちゃいましたで終わらせたいのか?」

生徒達は何も言わず、最後には静かに頷いた。活動が再開し、浅岡はしばらく黙って見ていたがやがて教室を出て行った。

この人は本物だ。敦は呆然と見送りながらそう思った。香川のように怒鳴るでもなく、難波や日村のように変に懐柔するでもなく、浅岡はこの場を静かに納めたのだ。この人から学びたい、自分の進むべき道がわからずにいた敦は盲目的に直感した。

少なくとも香川のような教師像は、自分に向いていなさそうだった。難波のように勝手に人をスパイ呼ばわりするような教師にはなりたくなかったし、小倉のように人をダシに使って生徒にいい顔するようなのも厭だった。川崎のような感情にまかせてブチ切れているだけの教師も底が浅すぎる。また、加藤や織田のように必要なところで動かず役立たず呼ばわりされるのは最も厭だった。

その後、浅岡に生徒達はきちんとやり始めましたと報告に向かった。それを口実にたくさん話がしたかったのだが、男子バレー部の指導中だった浅岡はあまり関心なさそうに、

「あぁ~そう~」

と答えるだけだった。肩透かしを食らったような気持ちになった敦に、浅岡は何気なく言った。

「いやぁ、先生が毎日行ってくれてたから助かったよ。ありがとね」

この人ともっと話したい、もっとこの人から学びたい!敦の胸は高鳴っていた。

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