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コロナで始めた散歩、近所という旅行


皆さんの中にも同じ様なシチュエーションの方々がいらっしゃると思うのですが、私もご多分に漏れず、新型コロナからの在宅ワーク、にて運動不足や腰痛をしばしば覚える様になりました。これではイカンと今までの通勤分くらいは歩こうと思い立ち、仕事を終えてからですから、夜、日が落ちてからの散歩を始めたのが昨年5月くらいのことです。

これがやってみると滅法面白く、今ではこれをやらないと何か物足りない、完全に習慣化してしまいました。何が面白いのかというと未知の近所に出会うことです。
旅行で何が楽しいのかといえば、知らない所で、知らない景色を見ながら、知らないものを食べる、やはり未知の体験が楽しみのベースにある様に思います。通勤の往復路は目を瞑ってもイメージできるくらい頭に刷り込まれていますが、実は少しそこから外れると知らない場所は沢山あり、今まで見ようとしていなかっただけ、という事に気が付きました。

普段の生活での移動は、かなりの確率で目的に対する義務を伴うのではないでしょうか?通勤は無論、買い物やどこかに食事に出かけたりするのも目的ありき、この観点からは移動時間は極力省きたい無駄、とも言えますが、いざ全く義務や目的を持たずに歩いてみると、移動する事そのものが実に楽しいのです。目的から解放されるだけでこんなに自由な気持ちになるとは思いませんでした。

夜、外に出ると景色も昼間とは違います。公園なんかに行くと大きな木が沢山生えてますが、周りは私以外誰一人おらず、ふとこの大木も全部生きている事に気がついてこれは多勢に無勢だなどと思ったりします。

東京でも道の辻には時々地蔵尊や庚申塚などの祠があり、近寄って見てみると壁の木材が相当古いものである事に気が付き、これは一体いつの時代からあるのだろうなどと思いながら、とりあえず拝んでみたりします。

なんて事ない住宅街でも中には、やけに薄い家のドアだけが豪華だったりして、これはきっと主人のこだわりに違い無いなどと余計な事を考えたりもします。

夜の鉄塔やガスタンクはまるで怪獣の様です。近づいてじっくり眺めてみると尋常では無いインパクトがあり、もうこれは現代アートのうちに入れちゃっていいんじゃないかと思ったりします。

遠くから見る集合住宅のオレンジ色の光の群れ、街灯が壊れかけている様な裏通りにいきなり灯っている赤提灯、真っ暗にしか見えない流れの絶えた川、月の薄明かりに菜の花の黄色、不吉で懐かしい廃屋、思いがけず大きな秋の虫の音、霧雨が起こすアスファルトの匂い、スナックの開いたドアからうらぶれた白粉めいた匂い、夜の散歩からは毎回なにがしかの印象を持ち帰る事ができるので、これはスケール感が違うだけでやっている事は旅行だな、と思い当たりました。

また、時々おかしなことも起きたりします。

夏の暑い夜だったと思いますが、毎度の如くの夜散歩、静かな所が好きなので自然と裏通りの方へと足が向かいます。そこは街灯もまばらなかなり暗い裏通りで、見渡す限り私以外の人は誰もいません。

暗い通りですが向こうの方に明かりが見えました。やや大きめの電話ボックスだと、その距離からでもわかりましたが、その時なにやらプーカプーカという音がうっすら聞こえてきます。

最初遠くてよくわかりませんでしたが、よくよく見るとその電話ボックスの中で小刻みに動いている人がいました。なんとそれはピアニカを吹いている真っ白な頭のお婆さん、作務衣の様なものを来てリズムに合わせ体を動かしながら、電話ボックスの中で己の演奏に酔いしれているではありませんか!

すわ妖怪か!?と一瞬思いましたが、そのお婆さんの吹いている曲がやたらと陽気な曲だったため、多分そうじゃ無い、落ち着こう、と思い直しました。おそらくこの暗い通りの電話ボックスの中は自分の姿が四方のガラスに映り、オンステージ状態なのだろう、との考えを巡らすまでに落ち着きを取り戻しました。

それにしても見事な演奏で、リズムそのものといった感じの軽いステップ、音が決まる所になると首がクッ!と横に入り、なんでしょう、尺八でいう所の首振り八年の境地、そんな事を思わせるくらいの玄人感満載のステージで、私の驚愕はすっかり驚嘆に変わっていました。そのまま少し離れた所で1分弱くらい、独り立ち止まって演奏を聞いていたでしょうか。

そのうち段々とエンディングに向かう兆しが見え始めたと同時に、お婆さんが私を意識している事が以心伝心で伝わってきました。やばい!今目があった気がする!演奏が終わる前に立ち去らねばと本能的に判断し、会話に発展しない程度の会釈を残してそそくさとその場を立ち去りました。

今あった出来事をうまく整理できないまま、しばらくゆっくりと家の方向に足を運んでいました。あれは一体何だったんだろう、という問いにはっきりと答えは出ませんでしたが、よくわからんがエエもん見させてもらった、という事で結論づけ、大満足で家路を辿りました。もしかしたらピアニカ婆さんと会話を交わしといた方が良かったのかも、と後になって思いました。

しょっちゅうではないが、こんな面白いことがたまに起こるのも散歩の妙味です。ただ最近は徒歩1時間圏内の近所という近所は歩き尽くしてしまったのが悩みの種です。本当に行き詰まったら電車に乗って少し離れた所で作戦展開しようと思ってますが、もうそうなると本当の旅行にどんどん近づいてしまい趣旨を見失ってしまうという、ジレンマです。

近所ネタが枯渇しないうちに、新型コロナが終息する事を祈るばかりです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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