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北大路魯山人風にあんかけスパゲッティを語る

前口上

 こんにちわ。皆さんは明治から昭和にかけ活躍した、かの高名な芸術家にして美食家、北大路魯山人をご存知でしょうか?美食家だけに料理に関する本も執筆されてまして、その本が物凄く面白い。なんでかと言うと文体がメチャメチャ偉そうでつい癖になるんですね。私もちょっとそんな文体を真似て食に関する記事を書いてみようと思った次第。ここからは北大路魯山人の霊に取り憑かれて書く事なので、どんだけ偉そうに書いてあっても私ではありません、悪しからず。

国境を越える事なき不世出の美味

 この日本国において味処といえばどこか?
それはズバリ京阪である。ただそれは伝統的和食の王道という見地からの解釈であり、深く狭き世界の話ではある。大空をゆく鳳の目をもって日本の食全体を眺めるとすれば、ありとあらゆる日本料理が取り揃えられているのはやはり東京であろう。

 件の京阪からの出店よかろう、日本海側の郷土料理よかろう、果ては沖縄の島の味よかろう、という訳で、こと東京においてはこちらで腰を上げずとも向こうの方でご当地の自慢の品を届けに来るのだから訳はない。しかし本当の逸品に出会うにはやはり足を使って出向かねばならぬのだが、これはまたの話としよう。

 今回ここで問題としたいのは肩肘の張らない大衆向けご当地料理である。地方料理が上京して全国区の金看板と相成ってゆくのは珍しい事ではなく、例をとるならば豚骨ラーメンだってその始まりは物珍しい地方出の珍味だったのである。今日も未だ在野の味が一旗あげようと、上京の機会を伺っている。

 そんな趨勢の中、近頃耳にするのが名古屋飯、である。これまで高雅を解しない下手とされてきた名古屋のご当地料理に脚光が俄かにあたり、味噌カツや櫃まぶしなども東京で簡単に味わえるものとなった。

 総じて名古屋飯というものは下世話なものである。だが下世話である分、実は味が分かりやすく人に膾炙する流儀ゆえ、一度味わってしまえば不思議とその魅力に取り憑かれるという風潮もあるようだ。

 かつてビートルズやローリングストーンズに代表される英国ロック音楽が海を渡り米国を席巻したブリティッシュ・インベンジョンにも似て、これまで東京では市民権のなかった名古屋飯の数々がナゴヤン・インベンジョンとでも呼ぶべき大快挙を果たしている。そんな世相の中、一つだけどうしても国境を越えられない料理がある。それは、あんかけスパゲッティである。

 カレーで世界を席巻したCOCO壱番屋をはじめ、数々のレストラン会社があんかけスパゲッティを東京まで押し上げようと試みた。しかしどうしても東京人の舌には受け入れられない様で進出と撤退を繰り返し、近頃はそうした試みも廃れてきている様だ。知らぬものには全く馴染みのない味だろうから、私の方で簡単にその味を記してみよう。

 あんかけスパゲッティ、というのは野菜と肉を煮込み胡椒を強く利かせた辛味の強いソースで作るスパゲッティ料理のことである。ブイヨンにトマトベースだがその他に沢山の香味野菜と香辛料を使うためか大変豊穣で複雑な味、どちらかと言えば中濃ソースなどにその成り立ちは近い様だ。これに好みの具材を載せて喰うのである。

 野菜やソーセージ、目玉焼きや果ては魚フライなど、載せて美味そうなものは何でも載せる。店によって無数とも言える種類があり、このざっかけ無さが名古屋飯の本領であり面目躍如といった趣がある。

 もう一つ、この料理を特別にしているのが麺の扱いである。通常パスタはアルデンテ、と茹で具合のみを喧しくいう者が多い中、本格的なあんかけスパゲッティは茹でおいた太麺を油で炒めるのである。これにより芯ではなく外側がアルデンテ、かつ少し油の風味の効いた独特の味わいが生まれる。邪道の誹りを免れ得ない、と言う者もあろうが、私は寧ろこれを料理に常道なしとの見解から刮目すべしと思う。

 斯様にあんかけスパゲッティ、とは世界中に根を張り巡らせるパスタ料理の中においても群を抜いてユニークな唯一無二のスパゲッティ料理である。しかし、この佳味が世に知られてないのは不思議な事でもある。

 そこにはおそらく二つの訳がある。一つは今もこうした説明を要したが如く、その妙味を想像し難い事である。クリーム系、トマト系、などおおよそのスパゲッティ料理はなんらかの「系」に属していることが多いものである。これはとりも直さず、初めてであってもその味を想像する縁となる。かたや、あんかけスパゲッティはその唯一無二性が故に「系」に属しておらず一見を寄せ付けない。

 もう一つの訳はそのネーミングである。「あんかけスパゲッティ」の「あん」とは詰まり「餡」であるが、なんの事はない「ソース」の事を古き言い習わしにてそう呼んでいるだけである。あんかけスパゲッティが世に現れた1960年代はまだパスタソースという呼称が定着していなかった時代だ。事実、ビッグ錠氏による昭和の名作グルメ漫画「スーパー食いしん坊」に出てくるスパゲッティなどはソースのことを「かやく」と呼んでいたりしたものだ。餡掛け饂飩や、餡掛け焼きそばなどしかなかった時代にはスパゲッティにかけるソースも「餡」であったのである。

 しかしこの結果は、想像し難い未知の味を伝えるに「餡」というドロドロしたイメージの言葉しかない、という事になる。よほど味への開拓心、向上心ある者でなければ、未知のドロドロが掛かったスパゲッティにはどうしても奥手となりがちなものだ。ここにあんかけスパゲッティが国境を越え生まれた場所を出ること叶わぬ所以がある、と言えるだろう。

 今はどうか知らぬが、本場名古屋のあんかけスパゲッティの店は、その多くをカウンターのみのスタンド型が占め、線路のガード下や市民住宅の一階などで外連味なく老若男女の舌を喜ばせていたものである。斯様な歴史ある佳味が、その名前や先入見のみにて世に膾炙しない、私はこの事を憂う者である。本来、味とは頭ではなく舌、そして心で了するものである。味覚の開拓者を自負する諸君に於かれても、先入見に惑わされる事無く、よしきた、とばかりにこの妙味を自家薬籠中の物としていただきたく、筆を置く次第。





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