見出し画像

生まれつきの当事者(序)

皆様、こんにちは。
わたころ運営の吉田です。

読者の方々はもうご存じかもしれませんが、
僕は、先天性白内障という視覚障害の当事者です。生まれた頃から、この疾患・障害と生きています。
わたころの活動や同じような当事者支援者の方々と交流する中で、以前よりもこの障害(特性)と付き合っていけるようになってきています。

一方で、
病気や怪我、精神疾患、その他、何かしらの転機により障害を抱える当事者になられた方々もいます。

noteで何を書こうかと思っていたら、ふと
先天性の障害当事者と後天性の障害当事者には、どんな内的世界の差異があるのだろうか?
という、素朴な疑問が出てきました。
でも、きっと今回のnoteで何か答えを出せるわけではないと思います。

今回は、あくまで、私一個人の話からその疑問に対する糸口までを考えてみたいと思います。


先天性と後天性

私は、先天性の病気のため、物心ついたときから障害当事者でした。
そして、障害と共に生きていることが、僕にとって当然(ニュートラル)なことでした。
よく聞く話かもしれませんが、
「生まれた時からこう(視覚障害)だから仕方ないし、そういうもの。」
という考えでした。

いわゆる、
障害を持たないで生活していた時間がないため、障害があるときとないときの本質的な違いが僕にはわかりません。
きっと、これはどうやっても心の底から分かることはできません。

もちろん、言葉や知識による理解や他者の話を聞くことで共感をすることはできます。
その違いにある「内的世界」には、少なからず、
先天性当事者の場合と後天性当事者の方による障害への考え方が違うと思うのです。


内的世界の違いに近づくために

この内的世界の違いに近づくためのヒントとして
語り手の人生が時間の経過の中でどのように物語(人生)が変化したのか,プラス(良い事柄)とマイナス(悪い事柄)のレベルにプロットしていき全体的な意味を明らかにする
「ナラティブスロープ」
という手法があります。

ナラティブスロープの視点から考えると、
私の場合(先天性当事者)は、障害を抱えはじめた時点が出生時とすると、その時はマイナスに下降しているわけではなく、プラスマイナスのレベルだったかもしれません。

しかし、
成長とともに社会の中で求められる事柄や周囲とのギャップが生じ、自身と社会における制限、つまり、障害を感じるようになりマイナスに下降していきます。
そこから、成長していく中で紆余曲折あり、ナラティブスロープもプラス、マイナスを下降と上昇を繰り返していきます。

一方、
後天性当事者の場合は、発症や受傷などその転機と共にナラティブスロープがマイナスに下降することが多いのではないでしょうか。
ただし、後天性当事者の場合も、転機以降のスロープの下降と上昇の違いはあるため、ひとくくりにはできませんが。

以上のように、
この転機とナラティブスロープの下降のタイミングの違いに、先天性当事者と後天性当事者が抱える、障害に対する内的世界の違いがあるのではないかと考えています。


おわりに

しかし、その内的世界がどのように異なるのかについて、今の時点で私には言語化することができません。

今後、このことについては学びながら考えていき、自分なりの答えを出したいです。
それを通じて、自身も含めて障害という特性との付き合い方をうまくやっていく方法を皆様と共有できれば幸いです。


<吉田尚樹>
わたころ運営スタッフ|作業療法士
リハビリテーションの医療機関にて子どもたちの作業療法に従事。
先天性白内障当事者として当事者支援者の活動や情報を発信中。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?