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当事者支援者の仲間とのつながりで醸成されるもの

こんにちは。わたころ運営のほんまです。
6月30日開催のイベント「当事者×セラピストの内的世界~リハビリテーションを内側から見る人たちとの対話~」にご参加くださった皆様、本当にありがとうございました。(そしてアンケート回答受付中ですので、よろしくお願いいたします。イベントレポートは、アンケート結果も含めて書かせていただきますね。少々お待ちください。)
今日は、イベントの個人的な感想を書いてみたいと思います。

「わたしたちが当事者だったころ(わたころ)」は、2020年7月に運営メンバーで初めての打ち合わせをしてから、早くも3年が経ちました。
この活動を通して、私は、以前よりも自身の当事者性や弱さ・できなさを周囲に打ち明けやすくなり、受け止めやすくなったように思います。それには、さまざまな理由が挙げられますが、運営メンバーとの安心感・温かさを感じられる関係性、イベントやオンラインサロン等を通して関わる当事者支援者の皆様、わたころの活動に興味関心を持ってくださる皆様との出会いと対話によるところが大きいと思っています。今回のイベントでも思いましたが、当事者支援者の人たちって、こんなにいっぱいいらっしゃるんですね。心強いなぁと思いますし、これからももっとつながっていきたい、話してみたいなぁと思った次第です。

先日のイベントの中で、ある参加者の方が「専門家として、能力以上のことをしていかないと認められない、という苦しみがあった。でも、当事者セラピストという存在と出会う中で、そんなに頑張りすぎなくてもいいんだと思えた」という趣旨のお話をしてくださいました。「人よりも努力して当たり前」「人よりも成果を出してやっと人並み」…そういう考えを持ちながらも、苦しさを感じている方も少なくないのではないでしょうか。また、参加者の方々から、「障害を持ちながらどう就活していけばよいか」「自信をもって働くにはどうしたらよいか」とのお話もありました。自分と近い境遇の仲間と出会いつながることで、自分なりの/自分らしい生き方・歩み方を見つけやすくなるのではないかと思うと、わたころとして、継続的につながり語れる場所をこれからも用意し続けていきたいなと改めて思いました。

また、イベントの中で、当事者支援者が同僚から「当事者だからって全部わかると思うな」「患者のすべてをお前が代弁するんじゃない」等といった趣旨の、ネガティブな言葉をかけられたことがある、というお話もありました。「自分がそう思っているわけではないのに、周囲にそう受け取られてしまうんだなぁと思った」という悲しいエピソードでした。
そういえば、以前から私も「同じ障害や病気の当事者だからといって、他の当事者のことがわかるとは限らない」と、よく言っていました。まぁ、そもそも、障害があろうとなかろうと、他者のことなんてわかりきれるはずもないですし、それどころか、自分のことさえ全部わからないのですから、この言葉自体は間違っていないと今でも思います。それに、単に同じ障害や病気を持っているからと言って、「あなたのこと(あなたの気持ち)がわかる」等と言われたら、なんか嫌な気がしません?笑。
ただ、今回のイベントで上記のエピソードを聞いていて、少し違うことが頭をよぎりました。私たちが当事者や当事者支援者について語るとき、世間・多数派(マジョリティ)のものの見方を内面化している部分はないかしら。多数派の考え方をあらかじめ十分に意識し発信しておくことで、周囲から責められないように予防線を張っている部分はないかしら。「本当に思っていることって、何だろう」——当事者支援者がマジョリティになる場をつくることで、当事者支援者が周囲からの見られ方から少し自由になり、自らに向いたネガティブな考え/セルフスティグマから解放されていったらいいなと思います。そして、そうしたプロセスを経ることは、普段支援しているクライアントと接するときにも、生きてくると思います。

先日のイベントでは、皆様大変お忙しい中、月末・週末の夜遅い時間帯にもかかわらず、多くの方が22時まで残ってくださいました。本当にありがとうございました。
今後もまた、このようなつながりを感じられる機会を設けていけたらいいなと思いますので、ご参加いただけたら嬉しいです。(ほんま)

*ほんま:当事者経験をいろいろ抱えるソーシャルワーカー。社会福祉士・精神保健福祉士。主に障害者就労支援に従事。おしゃべり。趣味はころころ変わるが、コーヒーと旅行はずっと好き。

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