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母離れの第一歩、父と眠る娘

父と眠れないということではない、あえて就寝のパートナーとして父を選択することがなかった 4 歳娘。それがこの秋、ついに自らの意思で父と共に眠るようになりました。

そもそも、私が仕事や外出で不在の際はもちろん問題なく夫(父)と寝ていました。だがしかし、かなり不本意の末。その直前には一切の笑みが去り「嫌なんだけどどうにかならないのか」と絶対無理な直談判を諦めることなくくり返したり、実践に入ると「寝るのはママがいい」とグスンと涙をこぼすこともあったりして…。まあ私と夫にとっては「ママ不在の夜」が毎回チャレンジの気持ちでした。

3 歳くらいの頃になぜか 4,5 回「今日はお父さんと寝るね」という気まぐれナイトがあったのですが、はてあれは現実だっただろうか?と蜃気楼のように消えてしまっていた昨今。突然にお父さんチョイスはやってきました。

その理由はただひとつ、私の寝かしつけイライラの表出だったとはっきりわかっています。

0歳時代こそネントレに精を出し、生後3週間から夜泣きもなくそっとベッドに置くだけで寝ていた娘。とはいえ保育園に通うようになってからはもちろん優先度は『保育園生活のリズム』。登園先ではがっつり3時間の昼寝タイムを設けられ徐々にそちらにチューニングされていきました。(ネントレは長時間の昼寝はダメベース。ちなみに当時も今も、保育園のスタイルに不満があるわけじゃないです。とにかく言いたいのは自分のネントレ思想は崩れたって話)

そして年数を重ねるにつれ、休日は一切昼寝がなくても機嫌よく夜まで過ごせるほどの体力をつけた娘さん。それでもその事情関係なしに月〜金はガッツリ昼寝を経て帰宅する。こちらとして寝かせたいタイミングも、彼女にとってはまだ昼寝で蓄えた電池が余ってる状況です。そして成長著しく文字通り日進月歩で更に体力を上乗せしていく娘…。イコール就寝時間ずれ込んでいく日々。

子どもの寝かしつけあるあるですが、『これ(寝かしつけ)が終わったら、あの本の続き読むぞぉぉ、あのドラマも見るぞぉぉ、あっその前に仕事のメール見ときたい』とかの野望にメラメラ燃えてる自分にとって、キャッキャとなかなか寝ないわが子の姿は正直計り知れない絶望にも映ります。大げさじゃないです、365日数年これが続くって、割と壮大なんです。

お分かりになる通り、私は『寝かしつけ=本来必要ないストレス』という思いがめちゃ強くて、毎日5分10分と寝る時間が後ろ倒しされていく現実に打ちのめされていました。

赤子の頃、ベッドに下ろすときに『背中スイッチ押しませんように』と願っていた慎重さなんてどこにいってしまったのか…「早く寝てーおしゃべりしない!」直球の要望を口にする日々です。その声には焦りやイラつきが含まれ、それはそれは尖っていたはず。

娘の「お父さんと寝る」宣言はまさにそのイライラの渦中に選手交代として私に告げられたのです。

これはつまり退場宣告だと理解しました。彼女は『イライラしている母と眠れない』判断をしたのです。はっきり伝わるその意思に、驚き以上に情けなさと腹立たしさと切なさが入り混じりました。というかこれつまりめちゃめちゃ恥ずかしいという気持ちです。

自分のエゴでイライラし、その感情を表出することに全く躊躇なく…それはおそらく娘への甘えだったと今なら思います。そう気づけたのは夫の寝かしつけの態度を見たから。なんと、夫は『眠れなくて大変だね、ベッドにいるのに眠れないって辛いよね』とまさかの娘視点の寄り添いをしていたのです!


マジか…そんな態度できちゃうのか…

いや、もちろん夫にとっては降って沸いた『父復権のチャンス』ここぞとばかりに甘く優しい態度で接したくなる、という前提は見過ごせません(積年の私の僻みゆえの穿った見方かもしれないけど)。とはいえ完全な敗北感。そこから数日に渡り父親を希望するようになったことから見て、娘にとっても喜ばしい驚きだったはずです。

私は深く反省しました。自分の態度を、自分の甘えを。そして数日続いて知りました。

寝かしつけしないの精神的にめっちゃ楽ぅぅぅぅぅぅ!なにこの自由、解放感、すごいやばい夜大好き!

仕事も家事も育児もおえ、あとは自分の好きなタイミングで寝室に行くだけという、なんと選択権にあふれた甘美な時間。甘い美しい幸せ。自分への落胆と娘への申し訳なさと引き換えに獲得した夜のフリータイムは、驚くほどに私に精神的安定をもたらしました。どれくらいかというと、その日を境に娘への注意や叱りつけが激減し、ニコニコワハハな自分が増えたんです。まさに心のゆとり。

ああ、私本当に寝かしつけが辛かったんだな。そして、寝なさい寝なさいという気持ちがあまりに濃いわたしのストレスは、娘にとってもそれはそれは重苦しいものだったんだろうな。

全てを理解し、かつ、『子どもから選ばれない』寂しさも肌で感じた私は壮大な発見をしたような気持ちすら抱いてました。そんな数日を経て、娘は私に言いました。「ママとしか眠れないと思ってた。でもお父さんと寝てみたら大丈夫だったの。だから寝てるの。でも本当はママがいいの」…その言葉を受けて、私は素直に一緒に眠ろうと思いました。眠れない娘を否定することはしない。私が何かを導こうなんておこがましいことを思わらない。ただただ夜は寝る時間だよ、と寄り添う。

そう心に思った日から、添い寝は私にとって全く異なる時間になりました。それと同時に、娘がまた私と寝たがるようになりました。ただ、以前と異なるのは『夫が希望すればお父さんでもオッケー』スタイルに変わったこと。この選択権の可能性は、家族全員の心の拠り所になりました。今では、必要に応じて娘はスッと夫と寝室に向かいます。そして、私もそれをなんの違和感もなく受け入れられるようになりました。もちろん逆も。

寝かしつけ時間なんて、短い方が楽だしありがたい。そして、自分じゃ無いと無理っていう状況は例え育児以外のどんな事象でも無い方がいい。

だけど、ちょっとした心のゆとりはその考え方の軸すら変えることもある。多分、寝かしつけ以外にも、友人関係でも、仕事でも、あるんだろうな。私が日々感じているかもしれない小さなストレスも、何かのゆとりがきっかけになって世界大変革ハッピー要素になることもあるかもしれませんね。前向きに生きたいもんです。

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