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【VRChat】ワールド製作のエッセンス

どうも、wata23です。

今回のこの記事は、ワールド製作に対する自分のスタンスを整理したくて、書き始めているとりとめのない文章です。ちなみにこの文章を書いている時点では結論が全く出ていませんので、最後まで読んでも結論はでてないかもしれません。

Unityの便利な使い方や解説を期待していた人がもし居たら、申し訳ないのですが今回のはただの手記のようなものです(ようはポエムというやつですね)

それでも良ければ、お好きに読んでいってください。

とある自明の理

ワールドを何のために作るか。
無数の理由があるだろうし、あっていいと思う。

最近、お見かけしたツイートだとこう定義されていました。
『ワールドは自己表現である』と。

つまり、この場合は自分のために作っているということですね。

ちなみに私もかなりこれに近い考え方で、
『自分の作りたいものを作ることに専念するのが大事』だと思っています。

しかし、大抵の人間にあるものがあります。
そう、【承認欲求】ですね。

ワールドですと、Visit・Favorite数がそれに相当すると思います。
当然、自分の作ったものを見て、お気に入りに追加してくれるのは嬉しいことです。
逆に自分が作った自信作のVisit・Favorite数が伸びずに落ち込む場合もあると思います。

ただ、これに対しては、このツイートがその通りだと思っています。

そう、人気かどうかはどちらかというかマーケティングの面だと思っています。

ここで言うマーケティング的な面は、私が考える範囲だと、
①ワールド製作者自身の知名度(ブランドと言い換えてもいい)
②ワールドに訪れる人達の口コミ
③ワールドに訪れる人たちのニーズ(需要)
④SNS等での情報の拡散度
このあたりがすぐに挙げられると思います。

要はまずそもそも見てもらいたい層に届くかどうか、で第一段階で
その後に何回でも訪れてもらえるかどうか、で第二段階かなと思っています。

したがって、私自身はVisit・Favorite数を気にする必要はないと感じています。なぜなら、大体の人はマーケティング戦略なんて気にしないで、ワールド製作していると思っているので。
そうなると伸びるかどうかはただの運でしかありません。
(ツイートする以外に何があるかと言われると、定期的にそこでイベント開催するくらいしか私には思いつきませんが……)

じゃあ私には承認欲求がないのかと言われると、それは解脱した仏でもなんでもないので、承認欲求はあります。
ただし、私の中で重要なのは、自分の知り合いに見てもらって『良い』と感じてもらうことなので気にならないというだけです。

不特定多数の多から褒められることも当然嬉しいですが、自分が親しくしている個に『良い』と感じてもらえるほうが断然嬉しいですよね。
そう、これは私にとっては自明の理なんです。
(ただし、親しい人が居ない場合はウェイトが異なると思います)

したがって、私はVisit・Favorite数に関しては伸びたらラッキー程度の感覚なので、不特定多数から承認してもらう必要がありません。

この承認欲求を取り除くと残るものとは。

そこにあるものこそ、『私が純粋に表現したいもの』になると思います。
では、それがいったい何なのか?それが今回突き詰めたかった話です。

ワールドの主要なエッセンス

この話を考え始めるにあたって、もう一つのきっかけがありました。

最近、チワさんが出したワールドというか絵があります。

これらは2Dの絵に見間違えるほど美しいですが、Unity上で3Dに作られています。このシリーズの一部はチワさんのポータルワールドから行くことができます。

実際にVR上で訪問させて頂いた時に驚いたことが一つあります。
非常に強いポストプロセスがかけてあり、居心地の良さ的な面では良くなかったのです。

ただ、これが悪いと言っているのではなく、絵作りを至上目的としたときに、確かに居心地の良さという面は必要ではないんですよね。

【絵の綺麗さと居心地の良さは両立しなくてもいい】

では、私のワールドに本当に必要な元素は一体何なのか?
それを考えるためのきっかけになりました。

(追記 : さて、ここからは私の内面へ潜っていくフェイズです。
ダラダラとした思考が文章として出力されているので注意です)

考えてみると、私のワールドでは絵の綺麗さと居心地の良さを両立する方針で作っていました。ただ、それは明確にそうしたいという意思があったわけではなく、何となくそのほうがいいだろうという惰性にも似た何かでした。

私のワールドでは居心地の良さを両立するために、あまり強いポストプロセスをかけることはできません。これはバランスを取っているといえば聞こえはいいですが、悪く言えば振り切れた絵作りをしていないとも言えます。

昔の私は、自分のコミュニティの人たちのために居心地の良いワールドを作っていました。

でも、今ではそのコミュニティはなく、いつの間にか私のワールドの居心地の良さというのは、不特定多数の人と知人に向けたものになっていました。

それに気がつけた今、一体何のためにワールドを作るのか、それを今一度見つめなおすいい機会だなと思い、この文章を書いています。


それを突き止めるためには、私が何をワールドに求めているのかを考える必要があるでしょう。

よく考えてみると、私がVRChatのワールドに求めるのは『未知の絶景』と『知り合いと一緒に話をするのに必要な場』である気がします。

そのように定義できると、別にその2つは一緒にある必要性はなく、片方1つだけでも成立する要素であることが分かります。

そう考えると、居心地の良さ自体は「話のしやすさ」には影響はしますが、必須なエッセンスではありませんね。ただ、居心地が良いほうが良いだろうという何となくの感覚で作っていたことが分かります。

さらにこの居心地の良さは、大多数の多に向けてのものであり、承認欲求を抜きにして客観視すると、私自身が本当に求めているものとはズレています。


私は、私の中にしかない世界をこのVRChat上に作りたい。
そして、自分の親しい人に私自身ともいえるそれを見てもらいたい。


それが私のワールドのエッセンスであることを理解できました。


次に必要なものを携えて

ようやくワールドのエッセンスが見えたことで、私のスタンスが新しくなりました。

①ポストプロセスをふんだんに使ったワールド作りの解禁
②居心地の良さはできれば確保する

といったところですかね。
無意識のうちに縛られていたことが分かったので、とても良かったです。

ただ、この文章を書いているうちに思いついたことがいくつかあるので、試してみたいなと感じています。

私の中の幻想を、VRChat上で一つずつ結実させていきたいですね。

謎の駄文を読んでいただいて、ありがとうございました。
わりと何人か、自己の内面に追求している文章を書いてるVRChatterがいらっしゃると思うのですが、この文章は実はそのうちの一人から影響を受けて書いております。

たまに思いふけることがあれば、こうしてまた文章化するかもしれませんが、読んでくださった人の暇つぶし程度にでもなれれば幸いです。

ではお疲れ様です。

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