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端午の節句と鯉のぼり_20200416

鯉のぼりの記憶

東京の下町生まれ、マンション育ちの子どもだった僕は「こどもの日」が近づくと、自宅の小さなベランダに小さな鯉のぼりを飾ってもらっていました。1980年代に丸っとローティーン時代を過ごした僕の地域は、新興住宅地で多くのマンションが建設され、団塊世代を中心とした若い家族が多く住んでいました。ゴールデンウィークが近づくと、マンション群のベランダの多くには、小さな鯉のぼりがたくさん設置されていました。

グリッド状に並んだマンションのベランダを眺めて、黒や赤や青の鯉のぼりが取り付けられているところには男の子がいることがわかります。たくさん並んだ同じサイズの水槽の中で泳ぐ鯉たちをイメージすればいくらか素敵ですが、現代的な感覚だと年中行事を行うことで漏洩する個人情報という無粋な話でもあります。

僕の両親は地方出身者で、どちらの故郷にも豊かな自然にあふれた場所で、まとまった休みのある時に遊びに行くのが楽しみでした。ゴールデンウィークに遊びに行った際に、広い庭を持った一軒家に掲げられた大きくて豪華な鯉のぼりを眺めて、東京のマンションに住む自分と小さな鯉のぼりが何とも恨めしく感じた記憶があります。

あの大きくてカッコいい鯉のぼり。人をすっぽりと呑み込む巨大な口を持った鯉のぼり。あの鯉のぼりを羽衣のようにまとってみたいと思っていたかどうかはさておき、端午の節句にあわせて鯉のぼりの張子をつくりました。

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「こい のぼる」と「こいの ぼりえ」です。安直極まりないネーミングですが気に入っています。

「端午の節句」って?

ところで「端午の節句」とか「鯉のぼり」の由来って何だろう。何で5月5日に「鯉のぼり」を飾るんだろう。

そもそも「節句」というのは、古代中国の陰陽五行説が由来の暦で年中行事を行う季節の節目のことです。節句は年間に5回あり、「人日(じんじつ:1/7-七草の節句)」、「上巳(じょうし:3/3-桃の節句)」、「端午(たんご:5/5-菖蒲の節句)」、「七夕(しちせき:7/7-七夕の節句)」、「重陽(ちょうよう:9/9-菊の節句)」と分かれていて、それぞれに季節の行事を行います。

「端午(たんご)の節句」とは「午(うま)の月の、午(うま)の日の端に行われる節句」のことで、「午月(ごがつ):旧暦の5月」の「端:はじめ」の「午の日:転じて5日」に行われる年中行事です。「菖蒲(しょうぶ)の節句」とも呼ばれ、この時期に盛りを迎える菖蒲が薬草として使われ、邪気を祓う力を持つと信じられていたことから、行事としては菖蒲を髪飾りとしたり、家の軒に飾ったり、お風呂やお酒に菖蒲を入れたりしたそうです。お風呂に菖蒲を入れるのは今でも銭湯などに残る風習ですね。古くは奈良時代の宮中行事で菖蒲を髪飾りとしたり、菖蒲の薬玉を贈り合ったりしたそうです。

鯉のぼりの起源

そんな菖蒲の節句が変質してきたのは鎌倉時代です。武士が台頭してきた頃、宮中で行われていた行事であった「菖蒲の節句」の「菖蒲」が、武道や武勇を重んじる「尚武」とおなじ読みであることから、武家の間でも「尚武の節句」として盛んになり、幟旗(のぼりばた)や吹き流しを戸外に飾り、甲冑などを屋内に飾り始めたそうです。

さらに時代は下って江戸時代になると、町人たちが武家の風習を真似して、とはいえ身分制度があるので表立っては真似できないので、武士の幟旗ではなく鯉のぼりを飾り始めたそうです。鯉のモチーフを採用したのは、中国では黄河の急流を登った鯉が竜になるという故事からだそうで、「登竜門」という言葉の由来でもあり、立身出世の象徴にもなっていたからだそうです。

元々は女性のための節句だった?

このようにはじめは宮中の魔除け的な行事から、武家社会と結びついて男の子のための行事と変化していった「端午の節句」ですが、元は女の子のための節句だったという話があります。

端午の節句がある5月というのは田植えの時期で、農耕社会において一年で最も重要な季節です。かつて田植えは女性の仕事だった時代の頃があったようで、大切な田植えの際に、穢れを祓うために菖蒲を使用した様々な行事が行われたそうです。ふーん、そうですか、といった具合ですが(笑)。

「こい のぼる」と「こいの ぼりえ」

そんなわけで鯉のぼりモチーフの人魚のような張子を男女両方に向けてつくりました。こんな時節柄、男の子も女の子もたくましくしなやかに時流を泳いでいけますように。

「端午の節句」向けと言えば五月人形ですが、金太郎のバッジや、公園遊具のように揺れる桃太郎もありますよ。


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