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伏見人形(京都府・京都市)_20190409

西行も牛もおやまも何もかも 土に化けたる伏見街道 (一休禅師)

年度末・年度始まりだったので慌ただしく、なかなか更新できませんでしたがようやく落ち着いてきたのでマイペースに再開です。

日本の土人形の元祖 伏見人形

今回は日本各地の土人形の元祖である「伏見人形」を張子にしました。

伏見人形の起源がいつ頃なのかは諸説ありますが、かつて土器や埴輪をつくり朝廷に貢上していた「土師部(はじべ)」と呼ばれる集団が、伏見周辺の深草という土地の土を用いて様々なものを生産しており、そのうちの人形が伏見人形となったようです。

江戸時代前期には伏見稲荷大社の土産物として売られ、江戸時代後期には質と量ともに最盛期を迎え、伏見街道沿いには50軒を超える窯元が軒を連ねていたそうです。

以下は伏見稲荷大社周辺地図です。中央を走る鴨川市流の東側(右側)を並行して走るのが伏見街道です。周辺に「深草」の名前の入った地名が多くあります。

土人形の元祖なのに今は一軒の窯元のみ...

地図の上部、伏見街道を北上したところに寛延年間(1750年頃)創業で現在唯一の伏見人形の窯元「丹嘉(たんか)」があります。

冒頭にあった一休禅師の歌、

"西行も牛もおやまも何もかも 土に化けたる伏見街道"

これは「丹嘉」のHPに載っていたもので、かつての伏見街道ではいかに多くの種類の伏見人形がつくられていたかを想像できるものですね。

こちらのHPには伏見人形の作業工程や本当に多くの種類の人形を見ることができます。

「饅頭喰い」人形

その伏見人形の中でも今回張子でつくったのは『饅頭(まんじゅう)喰い』という人形です。

これは子どもが二つに割った饅頭を両手に持っていて、子どもが「お父さんとお母さん、どっちが好きか」と問われた際、持っていた饅頭を二つに割って「この饅頭はどっちが美味しいですか」と質問で返したという話が題材となっています。

子どもが賢く育ってほしいという願いや、安産祈願で奉納されたりしているようです。

この写真は、ちょうどいま奥さんの実家のある新潟県糸魚川市に来ていて、毎年4月に『けんか祭り』がおこなわれる天津神社の裏手に、にょきにょきと伸びる大量のつくしの生える野原で撮影しました。

西陽に照らされる桜とつくしの中に、涼しげで賢そうな顔をしたこどもが饅頭を持っているという、シュールというか逆にバカっぽいシチュエーションですが。

ちなみに伏見人形が全国に土人形の元祖として広まったのは、生産地である伏見が豊臣秀吉により京と伏見を結ぶ伏見街道を開いた土地であり、江戸時代には参勤交代などの交通や、京から港をつなぐ運搬の要衝として栄えたことによります。

「饅頭喰い」人形も全国各地に広まって、各地のアレンジによりさまざまな意匠を施されてつくられてきました。

こちらにはその「饅頭喰い」人形の多様なバリエーションを見ることができます。本当にすごい量です。

【張子制作MAP】

25/47。京都は地図を眺めるだけで楽しいです。伏見稲荷大社は行ったことがなかったので行きたいところが増えました。


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