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いまここの初期衝動の果てに_20190313

雑記です。実は残り二つとなった中部地方の郷土玩具はできあがっているのですが、久々の投稿なのですこし趣向を変えて、郷土玩具の模造品をつくるにあたってどういうことを考えているのか、について。

ローカルでありグローバルでもある展開を見せるHIPHOPを例に考えてみました。

本来はこういったことを書く暇があったらさっさと作っちゃいたい性分なのですが、改めて自分のやっていることって何なんだとも思い、それは書いてみないとわからないので書いてみます。

そもそもつくるための周到な準備などしていない

いきなりですが、これは本当にそう。というか実際に手を動かしてみないと見えてこないことが多いです。とにかくやってしまう。このテキストすらもそう。

郷土玩具のことを扱っているのに、日本各地をくまなくフィールドワークしているわけではなく、知識についても本やネットなど誰もがアクセス可能な情報から学び、また所有している郷土玩具の数も大したことがないのに、しゃあしゃあと全国の郷土玩具の模造張子をつくり続け、このnoteを書き続けています。

この太字のテキストはなんだか僕が仮想の誰かに向けて書いたエクスキューズ(言い訳、弁解)のように読むことができます。つまり次のことを言いそうな人に対してのものです。

・現場/本場を知らないのに語るな
・ちょっと調べればわかりそうな事を興味持ち始めたばかりの若造が語るな
・本物を持っていないのに模造品ばかりつくってなんの意味がある

まあ実際に直接・間接的に誰かから言われたわけでもなくて、僕が勝手に脳内で捏造した、どこかしらのサークルにおいてそれなりのポジションや発言権を持った「郷土玩具ヲタク」「郷土玩具ファン」から思われてそうなことが、僕の耳に幻聴として聞こえたのでしょうか。それとも僕自身の心の声かもしれません(笑)。

いずれにしてもただ作ってみたいという無邪気な初期衝動で始めたことであり、事前に綿密な研究やフィールドワークをもとにして始めているものではありません(笑)。ただしよく分からない確信だけはあってそこに飛び込んでいるのは間違いありません。

どこの世界にもこういった手合いはいるので仕方ないのですが、「いずれこういうこと言われそうだな〜」という自意識がそろそろ働いている当の本人(僕)が、その割には結局「しゃあしゃあと全国の郷土玩具の模造張子をつくり続け、このnoteを書き続け」られるのにも本人なりの理由があります。

ローカル音楽だったHIPHOPに見る「本場」の揺らぎ

僕の好きな音楽はHIPHOPなんですけど、この音楽ジャンルには"HIPHOP警察"という言葉があるくらいに「ルーツ」「歴史」「正統性」「姿勢」などを殊更に大事にして、これらの尺度にそぐわないものを取り締まる人たちがいるんですよね。

これらの尺度を僕が大事だと思っていない、という話ではないですよ、念のため。この辺は郷土玩具にも通じる「ローカル」という名の「本場」や「現場」などについてのお話です。

一応HIPHOPがどういうものかをwikiで引くと以下の通り。ちょっと長くてすみません。

ヒップホップ (hip hop) は、1970年代のアメリカ合衆国ニューヨークのブロンクス区で、アフロ・アメリカンやカリビアン・アメリカン、ヒスパニック系の住民のコミュニティで行われていたブロックパーティから生まれた文化。

80年代には、ヒップホップ[1]には三大要素があると言われていた。ラップ、ブレイクダンス、グラフィティがその構成要素である。現在ではDJプレイを加えた四大要素と言われている。ヒップはかっこいい、ホップは跳躍するという意味で、アフリカ・バンバータ[2]は、音楽やダンスのみならず、ファッションやアートを含めた黒人の創造性文化を「黒人の弾ける文化」という意味を込めてヒップホップと呼称した。これは1974年11月のことだったとされる。このことから、11月を「Hip Hop History Month」として祝う習慣がある。

単に「ヒップホップ」と言った場合、文化から派生したサンプリングや打ち込みを中心としたバックトラックに、MCによるラップを乗せた音楽形態を特に指すことが一般化しているが、これらは本来はヒップホップ・ミュージックあるいはラップ・ミュージックと呼ぶのが正しい。

とまあ、ニューヨークのブロンクスで誰それによって生み出されて、初期には誰それが活躍して、80年代はどこどこの誰それ、90年代はどこどこの誰それ、それが世界中に飛び火していって云々、、とどこまででも話は続けられるのですがそれは割愛します。

ここで特に注目したいのがHIPHOPの地域性です。

HIPHOPの伝統芸といいますか、「I represent(レペゼン)◯◯◯(オレはどこどこを代表してるぜ)」「Big shout out to my man ◯◯◯!(世話になってる誰それに捧げるぜ)」という言い回しがあったりするんですけど、要は自分のルーツや出自などを大事にし、それを声高に叫ぶ「おらが村」的な文化があるんですね。

つまりある地域の文化やリアリティをラッパーが背負って曲で表現しているわけです。これができないラッパーは、商業的につくられたリアリティのないまがいものとして下に見られたりもしたのです。

ところでNetflixでやっていた「The Get Down」などは、HIPHOP草創期のニューヨークをとてもリアリティたっぷりの映像で描いていて良いです。こちらが現実に見たこともないのにリアリティを感じます。かつて荒廃しきっていたニューヨークで若くて何も持たない人々が、地域間の争いや個々の人生の苦しさをHIPHOPというアートフォームに託し昇華していったプロセスが感動的です。

こういった特定の地域文脈と特定の人物たちによって産み出された文化、これは構造的には郷土玩具にも通じているのではないでしょうか。

ある地域特有の信仰や環境と、その地域に存在した作り手たちによって産み出された玩具は、その地域の文化や文脈を背負っています。

そしてそういったものが生み出されているローカルな場を、普通は「本場」とか「現場」と呼びます。

ある文化の真髄に触れるためには、なるべくその「本場」なり「現場」なり(まだそこに現存するならば)に赴くのは当然というか自然なことだと思います。

それ故に、HIP HOPが誕生したブロンクスや、伝説的なラッパーを多く輩出したブルックリンやクイーンズが聖地となり、また北海道の八雲町(木彫りの熊の発祥の地)や静岡県の浜松張子の工房などが聖地となっていくわけです。

ファンという立場であれば「本場」というものは揺らぎのないもので、時が経てば経つほどにそれは堅牢で聖性を帯びたものになっていきます。

だから行けるならどんどん旅して現場に赴けば良い。僕だって機会さえあれば、懐が寂しくなければ、行 き た い ん で す よ !(笑)

一方で「本場」などの文脈からは外れた、そういう文化的地域とは無縁な場所の新規の作り手やプレイヤーとしての立場からは、違う角度の問題が浮かび上がってくるように思います。

自分のリアリティがある場所を「現場」とする

テレビやPC普及、インターネット以降、リアリティを感じる「本場」や「現場」は変質してきたように思います。

それはあるモノ・コトに触れるための情報環境や方法が、LIVEや観光旅行に限らず、SNSをはじめとするさまざまなメディアによってもたらされることにより、受容者のリアリティが変わっているからではないでしょうか。

この状況に対する揺り戻しとして、「やっぱり現地に行かなきゃ」というような「本場主義」「現場主義」が生まれることもあると思います。

これは情報を高い解像度で享受できるという意味で否定できるものではありません。それは自分の制作に引きつけても、実際に自分の手で何かをつくる際に解像度が高くものが見えてくる現象にも現れています。僕の場合は、手のひらが現場と言えるでしょう。

ただ僕がここで言いたいのは、そういった「いまここ」にいる自分の解像度の高低にこだわる姿勢とは別に、人の心に立ち現れる「憧れ」や「懐かしさ」などの、「いまここ」にいる自分ではなく、遥か遠くにある未来や過去といった、現在の自分から時間的・空間的距離を持ったものに対する心の動きにも、僕自身は強いリアリティを感じるということです。

これはインターネットなどで新しいものも古いものも、両方が同様に情報として手に入る時代だからこそのエキゾチズムや懐古趣味なのかも知れませんし、全く別の何かかも知れません。

HIPHOPの話で言えば、まだニューヨークだけのローカルな文化として醸成される過程において(70〜80年代前半くらいまで)は、「どこの町」の「誰」がやっているか、が重要だったのですが、それが変わってくるのが音楽のMVを流し続ける『MTV』の登場(1981年開局)です。

MTV以降、全米どころか世界中にこのローカルな営みは拡散されていったのです。もちろん現在のインターネット以降の動きなどとんでもないことになっていて、ネットでしか聞けない音源が日々無尽蔵に産み出されています。

黒人だけでなく白人やアジア人でもHIPHOP、ラップミュージックを営む人々が現れ、英語圏の人間でなくてもライム(韻)を含んだリリックを書く。あらゆる言語で世界中のいたるところにタギングやグラフィティが存在する。ダンスやDJイングという表現言語で国境や性別を超えてバトルやコミュニケーションがなされる。それはあらゆる経済構造や文化環境の違いを飛び越えて、若い人が熱中する音楽の一ジャンルというよりは文化としか言いようのないものです。

誕生から半世紀近くが経とうとしているこの文化が、いまだに強度を保ちながらこのような拡がりを持っているという事は、贔屓目に見なくても驚愕すべき事実だと思います。

なぜ街角のローカルな営みが世界中に拡がり得たのでしょうか?

特定の地域が持つ固有性や文化のみに魅かれただけでは、ここまでの拡がりを持つ事は説明できないはずです。そもそもいま世界中のHIPHOPをやっている人で、ブロンクスに参詣した人が果たしてどれだけいるのか。行く金が無いどころか、下手しなくてもその発生の歴史すら知らない人の方が多いでしょう(笑)。

それよりも、この音楽には「持たざるものが人生を創り上げていく希望」や「持たざるものたちへの鎮魂歌」といったマイノリティへの激励と慰撫があるからこそ、ここまで拡がったのだと僕は考えます。

それは人種や宗教や地域文化を飛び越えた、HIPHOPが本質的に抱えている、持たざるもののための原器というか構造なのだと思います。

そこに世界中の若者たちは、自分たちにとって重要なリアリティや肌触りのようなものを直感的に感じ取り憧れて、そして自分たちの場所(ネット上も含む)にローカライズ(現場化)していったのではないでしょうか。

そういった本質的な部分を、ある地域特有の文脈を織り込み、地域の発展や人々の祈りを託した各地の郷土玩具という存在に、僕は垣間見るのです。

風習や信仰をベースに、その地域の余剰物を用いて工夫して、その地域固有の結晶となし、苦しい日々を少しでも慰撫し良くしたいという意志を感じ取るのです。

そこに僕は感動をおぼえますし、また郷土玩具の持つこの構造をそのままに、どうにかして現在に即した形にできないものかと思ったりしています。

また僕のように生まれも育ちも東京で、いわゆる「郷土」と言えるような風景が貧弱な人間にとって「郷土」とはどういうものか、「郷土」と呼べるものを自分の中に生み出すことができるのか、という問いも同時にあります。

そこで日本を現場として、本場ニューヨークが発祥のHIPHOPに、自分たちなりのリアリティを持って叩き上げ続けるこんな例を出してみましょう。

HIPHOPの本場ニューヨークから遥か遠くの極東の地の日本でも、RHYMESTER(ライムスター)というグループは日本のHIPHOP黎明期より、日本語で韻を踏む事、DJとMCというオーセンティックなスタイルでのパフォーマンス、またキャリアを通じて雑誌やラジオなどさまざまなメディアで日本のHIPHOPと世界のHIPHOPとの距離感を測りながら(「日本人が黒人文化を真似しても仕方がない」という常とう句を余裕で論破しながら)、常に批評的な曲をリリースし続ける稀有なグループです。

そんな彼らが、「日本人がHIPHOPをやること」ではなく普遍的に「HIPHOPをやること」とは、とどのつまりこういうことであるといったメッセージを歌った、『ザ・グレート・アマチュアリズム』という曲がとても好きなので紹介したいです。歌詞が素晴らしいので歌詞のリンクも貼っておきます。



さて僕のリアリティと張子って何の関係があるのか?

先ほどの『ザ・グレートアマチュアリズム』の歌詞を再度引きます。
RHYMESTERはHIPHOPという音楽の本質が「持たざるものたちの持たざるものたちによる持たざるものたちのための偉大なるアマチュアリズム」であることを説いていき、表現することの敷居を高い強度の表現力によって下げていきます。

スタイルはスレスレ非合法ぐらいの逆転の思考法
偉大なるアマチュア ド素人 止まらない初期衝動

HIPHOPを「初期衝動」のもとに全方位的に解放し、

ネコ踏んじゃったすら弾けないが 韻踏んじゃったらお前もライマー

楽器を使えない者たちにも音楽を解放し、

半ば本格派 半ば道楽か 勝手次第な好事家なくば かつて生まれた道楽は無駄

プロアマという棲み分けを無化し、ただソレに淫せよと説き、

持ってるやつに持ってないやつ がたまには勝つと思ってたいやつ
値段もロゴもどでかいシャツ は着ないで楽してモテたいやつに朗報!
願っても無いチャンス ブサイク音痴だって歌えちゃう
すげー敷居低い歌唱法 ちょうど俺が生きた証拠

そしてルックスが悪くても、歌すら歌えなくてもできるんだ、だってこんな自分でもできたんだぜと、持たざる者たちへ奮起を促す。

張子の話がちっとも出てこず「お前さんHIPHOPがやりたいんか?」と思われても仕方ないですがさにあらず(笑)。

まず僕にとって郷土玩具というのは、日本全国に散りばめられた多種多様な「郷土」の結晶で、前述したように自分にとっての「郷土」とはどういうものか、「郷土」と呼べるものを自分の中に生み出すことができるのか、という問いの答えの一端を示す鍵となり得ます。

そして張子という表現スタイルは極端に言えば、「誰でもどこでも作れて、さらに上手い下手という技術基準はそれほど重要ではなく、それがシンプルに良いかどうかが問われる」ものだと思っています。

簡単につくれて、つくったものは軽いので持ち運びに便利で、まあまあ強度もある。それが張子です。

「てのひらのしわざ」というこの記事をまとめているマガジン名にもあるように、張子は「型をつくる(粘土をこねる)」「型に紙を貼る」「型を抜き出す」「色を塗る」「絵を描く」など、ひたすら胸の前の空間と手のひらを使って何かをする作業です。

自分の手のひらを現場とし、全国各地の郷土玩具を模倣する作業を通じて、まだ見ぬ「郷土」のイメージをつくりながら集めていくこと。ここに現在の僕のリアリティがあります。

もちろん行けるものなら行きたいし、手に入れられるものなら手に入れたい(まだ言うか笑)。でもそうそう行くことは叶わないし、それで済ましてしまうことはどこかマネーゲームに近い気もしています。強者総取り感が強くなってしまいますね。

じゃあどうする。

いまここにそれがないのなら、自分でつくれば良い。
欲しいもの見たいものはつくってみる。

それを経ていつか本物を手にした時に、自分のつくったものと本物の違いを味わうだろうし、本物をつくった人とつくった人同士にしかわからない制作プロセスの話なんかも聞いてみたい。

そもそも本場や現場や現物にたどり着かない時間や距離や非所有ですら、「郷土ってなんだろう?」という問いの滋養になるのです。その距離がもたらす憧れの募りこそがつくることへと駆り立たせると言っても良いでしょう。

またいわゆる「郷土」とは縁のない人間だからこそ「全国」という俯瞰視、フラットな見方ができるのかも知れないとも思っています。

ノスタルジーの最果てに

郷愁や望郷を表す言葉でノスタルジー(NOSTALGIE)という言葉がありますが、僕の場合、そもそも元になる郷土がないのでネオスタルジー(NEOSTALGIE)と言い換えても良いかも知れません。

もともとノスタルジーという言葉は、「故郷へ戻りたいと願うが、二度と目にすることが叶わないかも知れないという恐れを伴う病人の心の痛み」という精神医学用語で、戦地に行った兵士たちが戦局の悪化にともない多く発症したものらしいです。

これからの時代は故郷らしい故郷を持たない人が激増すると思いますね。既に郊外や地方の画一化された光景はよく見るので、こういう人は多いと思いますけど、2020の後とか特に多くなるのではないでしょうか。

けどそういう人でも「三丁目の夕日」やちょっとレトロな街並みとかを見てキュンとしたりするわけですよね。この現象が興味深いと思っています。

きっと意識のなかにあるんですよ、ふるさとって。

ここに良い郷土玩具となりうる条件のヒントがあるように思います。

もうそろそろで47都道府県の郷土玩具の張子制作も折り返しです。それでは引き続きよろしくお願いします。



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