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第0回 このマガジンについて

はじめまして渡部宏樹(わたべこうき)と言います。筑波大学の人文社会系で教員をしています。この「観ながら学ぶサイレント映画史」というマガジンは、その名の通り、動画で昔の映画を実際に観ながらサイレント映画の歴史を学べるというものです。映画の歴史を学びたいという人であれば子供から大人までわかるように書いています。また、内容はアメリカのフィルム・スクールの授業スタイルに合わせているので、アメリカに留学して映画史や人文系の学問を学ぶときの雰囲気を掴むのにも役に立つと思います。

フィルム・スクールとは何か?

私は、2011年から2018年にかけてロサンゼルスにある南カリフォルニア大学という大学の映像芸術研究科博士課程に所属し、映画・メディア学を学びました。アメリカでは映画関係の研究をする研究組織を一般的にフィルム・スクールと呼びますが、南カリフォルニア大学は1929年にアメリカで初めて設立されたフィルム・スクールで、現在でもフィルム・スクールのランキングには常に上位に食い込む名門大学として知られています。(ランキングの是非や妥当性についてはいろいろと思うところもありますが、とりあえずそういう風に知られているという紹介です。)南カリフォルニア大学自体は日本ではそれほど知られてはいませんが、2013年の夏にNHKで放送された『ハリウッド白熱教室』という番組に登場した非常に個性的なドリュー・キャスパー教授が在籍している大学と言えば思い当たる方もいるかもしれません。

「フィルム・スクールで勉強している」と言うとよく「え、じゃあ将来は監督になるの?」と聞かれるのですが、私に関しては、答えは「ノー」です。アメリカのフィルム・スクールは大きく分けて、監督、プロデュース、編集、照明、音声などの実際に映画を制作する技術と知識を学ぶコースと、映画の歴史や理論などを勉強するコースの二つを有していることが多いです。南カリフォルニア大学の学部の場合は、前者はプロダクション・コース、後者はクリティカル・スタディーズ・コースと呼ばれていました。もちろんコースの呼び方は大学によって異なりますが、アメリカのフィルム・スクールと日本の映画関係のコースを持っている大学との最も大きな違いは、学生に実践と理論両方の習得を求めていることにあります。南カリフォルニア大学のフィルム・スクールは建学当初から「プロダクション」と「クリティカル・スタディーズ」の両コースを有しており、映画を作る実践的な技術と理論的歴史的な知識の両方を習得することは、それ以来の変わらぬ理念でありつづけてきました。在学時の私は「クリティカル・スタディーズ」(現在はシネマ&メディア・スタディーズに改称)のほうに所属しており、必修の授業で映画を作ったりはするのですが、基本的に映画についての学術的な研究をしていました。

このマガジンの内容と特徴

前置きが長くなってしまいましたが、このマガジンは、2014年から2015年にかけてロサンゼルスで映画製作を研究していた友人たちの発行していた「MoFi: Ministry of Film」というメルマガに連載していたサイレント映画の歴史についての連載に加筆修正したものです。せっかくアメリカの大学で映画について教えているのだから、その内容を日本語にして発表しようとして連載をしました。日本における映画の研究はけっしてレベルが低いものではありません。日本の研究者による優れた書籍や研究論文はたくさん発表されています。ですが、映画史をざっくりと概観しようと思ったときに日本語で手に入る優れた一般書籍というものは2014年の段階ではなかなか思いつきませんでした。私がアメリカのフィルム・スクールで感じたことの一つが、日本と比べて映画という表現形式がある程度まで基礎教養として認識されているということです。もちろんあらゆるアメリカ人が映画について通史的な知識を持ち合わせている訳ではありませんが、高校レベルでも映画のクラスをとることができます。大学学部レベルになれば、デイヴィッド・ボードウェルとクリスティン・トンプソンという著名な映画学者による『フィルム・アート』と『フィルム・ヒストリー』という入門書が多くの1、2年生向けの授業で基礎文献として使われており、日本の一般的な社会人よりも映画と映画史に対するアクセスは開かれているのは間違いありません。『フィルム・アート』は日本語の翻訳が出ているのですが、『フィルム・ヒストリー』のほうは翻訳が出ていないので、日本語でアメリカのフィルム・スクールで教えている映画史の基本的な知識を得るのはちょっとハードルが高いのです。2014年から15年にかけて執筆したメルマガでは、この概説的な映画史の知識を15回程度の連載を通じて、日本の読者に伝えることを目標にしました。

およそ15回というのは、セメスター制の1学期が15週で、私がこれまでティーチング・アシスタントして関わってきた授業のフォーマットを使おうという意図で行いました。映画史の入門的授業は先述した『フィルム・ヒストリー』という教科書を使うことが多いのですが、教科書の内容をそのまま伝えるのは剽窃にもなりますし、工夫がないので、私がやってきた授業のスタイルや学生との会話、授業の中で見た映像の描写などを交えながらやってきました。ですので、単に「昔こんな面白い映画があったんだよ」というだけでなく、映画が生まれた時代や社会における政治的な状況の分析や現在のアメリカを考える上での含意、映画以外へのアートや文学との関係、人文系の学問で使われている理論的な道具立てなどへの言及も行いました。映画の歴史を伝えるというだけでなく、アメリカのフィルム・スクールで映画の歴史がどう教えられているのかという雰囲気を伝えることも目的にしました。

今回noteでマガジンという形で加筆修正板を公開するに至るまでには紆余曲折があります。もちろん紙の書籍として発表しようとも考えたのですがいくつかの理由でこのような形で発表することにしました。一つはこの原稿を書いてから5年以上の時間が経過し、その間に日本語で多くの研究書や入門書が発表され、内容が陳腐化したことがあります。2020年2月のコロナ・ウィルス騒動でようやく加筆修正をする余裕ができました。また、元々のメルマガでは議論している映画がアップロードされたサイトへのリンクを埋め込み、実際に映像を観ながら歴史を学べるようになっていたのですが、紙の書籍ではそのような仕組みを作ることがあまり現実的ではなかったこともあります。サイレント時代の映画の多くはすでに著作権が切れており、所蔵しているアーカイブ等が自身のサイトやYouTubeに動画を無料でアップロードしています。サイレント映画の歴史を学ぶのにこれらを使わないで紙の本で済ますというのはあまりにももったいないと考えたのが、noteでの公開を決めた最大の理由です。

なおこの加筆修正バージョンは、元々のメルマガ原稿を南カリフォルニア大学映画芸術研究科博士課程に所属されている中根若恵さんに誤字脱字のチェックと上述の『フィルム・ヒストリー』と照らし合わせた事実の確認をしていただきました。すべての文責は私にありますが、読者の皆様も事実の誤認などあれば教えていただければ幸いです。ではサイレント映画の歴史をお楽しみください。


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